第29話 学年末考査、その傾向と対策
「キミってさ、理数系得意?」
教室で自分の机に寝そべっていたキミの目の前に、突然三都美が現れた。
キミは慌てて飛び起きると、鼓動を早めながら三都美に返事をする。
「物理とか数学なら……、生物とか地学はあんまり」
『えーっ、キミって小説書いてるくせに理数系なの? それに生物はあんまりって、生物部じゃなかったっけ?』
(いいじゃないですか、別に。それに生物部は幽霊部員ですよ)
あたしが突っ込んだせいで、キミは三都美の重大な言葉を聞き逃したらしい。
キミは申し訳なさそうに、三都美に聞き返す。
「あ、あの……、今なんて言いましたか?」
あたしもさっきの三都美の言葉は信じられなかった。
まさか、冗談……だよね? そう思いつつも念のため、三都美の返事にあたしは耳を研ぎ澄ませる。
「だから、あたしに勉強教えてもらえないかな? キミんちでさ」
『くくく……紅茶を淹れるキミの姿なんて、初めて見たかも』
(冷やかさないでくださいよ。だって自分でやっておかないと、絶対に親がそれを口実に様子を見に来るんですから)
『でも、寝不足でフラフラじゃない。そんな調子で大丈夫?』
(部屋の掃除が、気付いたら模様替えになってましたからね。でも大丈夫です、眠気なんてこれっぽっちもありません)
慣れない手つきで淹れた紅茶をお盆に乗せて、キミは徹夜の突貫作業で模様替えした自分の部屋に入る。
そこにはデニムのミニスカートにトレーナー姿の三都美が、小さなローテーブルに向かってちょこんと座っていた。
(あぁ、なんか樫井さんが座ってるだけで、僕のむさ苦しい部屋が一気に華やかになった気がします……)
『ちょっと、ちょっと、失礼じゃない。三都美が座ってる場所って、普段はあたしの定位置だよね? いつもの景色と今とで何が違うっていうのよ』
キミはあたしの言葉を軽く聞き流して、せっせとお茶とお茶菓子を振る舞う。
三都美への誉め言葉は、直接本人に言ってあげればいいのに……。
ここには三都美とキミの二人きり。心地いい緊張感が部屋を包む。そして芳香剤とは違ういい匂いも漂ってくる。
まぁ、あたしもいるから二人きりとは言えないけどね。
「ここってどうやって解くの?」
「これはこの公式を当てはめればこうなるんで、後は展開して、整理すると……」
「あぁ、なるほどねー」
自信たっぷりに、三都美に数学を教えるキミ。こんなに頼もしい姿は珍しいね。
三都美は数学が相当に苦手らしくて、頻繁にキミに質問を浴びせる。その都度キミも、嬉しそうな顔を浮かべながら丁寧に教え続ける。
質問が繰り返されるたびに、キミと三都美の物理的な距離が縮まりだした。
最初は向かい合わせだったのに、いつの間にか真横に、終いには隣り合って三都美が勉強を教わっている。
「うーん、数学ってあたし苦手だなぁ。どうしたらそんなにスラスラ解けるようになるの? コツとかあるの?」
「楽しいからですかね。楽しいことなら、苦にならないでしょ」
「楽しい? 数学が? どの辺りが?」
教科書以外のことも質問してくる三都美。どうやら三都美は、キミ自身にも興味を深めてるみたいだよ。
肩を並べて勉強を教わるまでになったキミと三都美の距離。物理的な距離ばかりじゃなくて、心の距離も同じようにグイグイと接近してるに違いない。
「数学ってパズルみたいなものだと思うんですよ。で、そのパズルを解くための道具が公式。道具を駆使して宝箱が開けられたらおめでとう、みたいな?」
「なるほどねー。そっかー、お遊び感覚でやればいいのかー。そう聞いたら、あたしも楽しんでやれそうな気がしてきたよ」
そこまで聞いた三都美は、ふっと肩の力を抜くとテーブルに突っ伏した。
ぶっ通しで二時間も勉強すれば、そりゃ疲れるよね……。
三都美は休憩するのかと思ったら、顔をキミに向けてニンマリと笑いかける。そしてまたしても、三都美自身の興味を抑えることなくキミにぶつけた。
「ねぇ、ねぇ、ちょっとキミのベッドの下、見せてもらってもいいかな?」
「え? なんでまた、そんな所を――」
「いいから、いいから。ちょっとだけね」
不安げな表情のキミを制しながら三都美はすっくと立ちあがると、ベッドに向かってスタスタと歩いていく。そして妙に自信ありげな表情でキミに笑いかけると、おもむろにベッドの下を覗き込み始めた。
頬を床に押し付けて、ベッド下の闇の空間に手を伸ばす三都美に、あたしは忠告したくてたまらない。わざとじゃないよね? あたしのことだから、きっと気付いてないだけだよね? こっちから見ると、水色のパンツが丸見えなんだけど……。
そんな状況にもかかわらず、キミの態度はビックリするほど紳士的。
本棚の参考書を探すふりで、三都美に完全に背を向けた。もっともその顔には、振り返りたくてウズウズしている表情がクッキリと浮かんでいるけれど……。
「うーん、次はここ。開けてみてもいいかな?」
何の収穫も得られなかった三都美は、さらなる興味を押し入れに求めた。
続けられる三都美の家探しの理由は、鈍感なキミにもわかったらしい。
「ひょっとして……、エロ本とか探してないですか?」
「えへへ、バレたか」
「気が済むまでどうぞ」
余裕の対応を見せるキミ。自信たっぷりのその態度に、エロ本の発掘は不可能と判断したのか、三都美は家探しを断念した。
『まだまだだね、あたし。こいつはそんなところにエッチな本を隠したりしないよ。その代わりパソコンの中には、マニアックな画像がテンコ盛りだけどね』
(ちょっと、ちょっと、どうして知ってるんですか!?)
あたしは少しだけ、あたしに勝った気がした……。
軽くおやつを食べた後、勉強再開。
今度は最初から隣同士。肩を寄せ合いながら、キミの物理の講義が始まった。だけどキミはウトウトし始める。ここに来て徹夜のツケが回ってきたらしい。
「すいません、ちょっとだけ休んでいいですか?」
「どうぞ、どうぞ。生徒の出来が悪いせいで、先生にご苦労をおかけしますなぁ」
「苦労なんてしてないですよ。むしろ、こんなに楽しい勉強は初めてです。じゃぁ、ちょっとだけ……」
そのままキミは後ろに寝転び、仰向けの大の字。そしてそのまま、三十秒と経たないうちに寝息を立て始めた。
『寝ちゃっていいの? 三都美が帰っちゃっても知らないよー?』
あたしが呼びかけてもキミは全然目覚めない。だから言ったのに……。
眠り続けるキミに、あたしに続いて三都美も呼びかける。
「昌高クン、昌高……クン」
えっ、名前呼び? キミの小説ではそう呼ばれてたけど、ついに現実でも?
だけど、三都美の呼びかけはそれほど強くない。そして目を覚まさないキミに、今度は頬を軽くつまんでみたり、鼻をつついてみたり……。
起こす気はなさそう。むしろ三都美は、キミの眠りの深さを測ってるみたい。
キミが熟睡してるのを確認した三都美は、頭に手を回して抱え上げる。そして浮いたキミの頭はすぐに、三都美の太ももの上に静かに着地した。
それを真上から見下ろしながら、三都美はキミの髪の毛をそっと撫でる。しばらく黙っていた三都美は、やがてキミに囁きかけるようにつぶやき始めた。
「昌高クン、いつもありがとうね。あたしってば、遠足の時からキミに助けてもらってばっかりなんだよね……。あの時だって、キミが身代わりに恥をかいてくれたっていうのに、あたし恥ずかしくてひどいこと言っちゃった。ごめんね」
三都美はキミの頬に手を添えつつ、当時を振り返るように謝り始めた。
キミはまだ目覚めない。三都美はさらにつぶやき続ける。
「キミって優しくて、本当にいい人だね。映画や海でも自分の得にならないのに、あたしのために力になってくれたし……。あたしってダメだなぁ、そんなキミに甘えてばっかりだよ」
あたしって思った以上に鈍感なんだね。ひょっとしたらキミ以上かもしれない。
あれだけわかりやすいキミのアピールにもかかわらず、三都美はちっともその気持ちに気付いてないんだから……。
でもあたしだって、隣でいつもキミを見てたから知ってるだけかもしれないね。
「初詣だってキミにはいくら感謝してもしきれないよ。あの時キミに助けてもらわなかったら、きっとあいつに強引にファーストキスを奪われてた。ありがとうね」
『こいつが起きてる時に言ってあげなよ。間違いなく涙を流して喜ぶよ』
あたしは、あたしに向かってつぶやく。その言葉は届かないけど……。
目の前にいるのもあたしだから、その思いは手に取るようにわかる。面と向かって言うのは、やっぱりまだ恥ずかしいんだよね。
だけど、いつかは直接言ってあげて欲しいな……。でないと、キミが報われないもんね。
「昌高クン、あのね……」
ここまではキミに淡々と語り掛けていたのに、三都美が突然沈黙した。
そして何度か口を開きかけては、そのたびに思い止まる。
しばらくそんなことを繰り返していたけれど、やがて穏やかな表情でキミに優しく微笑みかけながら、三都美はその口を改めて開いた。
「昌高クン、あのね……。あたし、キミのことが大好きだよ。だから――」
「ん? これは……」
あぁ、もう、いいところだったのに! なんていうタイミングで目覚めるの。
そんなキミは寝る前と違った状況に、少し戸惑っているらしい。そして自分の頭が心地いい感触の上にあることに気付いたキミは、それを確かめるようにその正体をそっと撫で回した。
突然太ももを撫でられた三都美は、びっくりして立ち上がる。
「ひゃっ!」
「あいたたた……」
突然枕を失ったキミの後頭部は、鈍い音と共に床へと打ち付けられた。
真上を見上げたままのキミ。瞬き一つせずに、ジッと一点を見つめる。キミの目には間違いなく、さっきあたしも目撃したモノが焼き付いてることだろう。
「あ、あ、あ、ごめんね、起こしちゃって。そろそろ遅いから、あたしもう帰るね。今日はどうもありがとう。また学校でね」
色々な恥ずかしさが重なって、三都美は頭が混乱しているらしい。三都美はバッグとコートを引っ掴むと、逃げ出すようにキミの部屋から退散した。
呆気にとられたままのキミは、やがて少しずつ現実に帰ってくる。
『見送らなくて良かったの?』
「あ! あぁ……。でも、もう間に合わないですね」
『良かったね、良いもの見られて』
「ええ、もう死んでもいいです」
『ダメでしょ、それぐらいで死んだら』
ニヤニヤが止まらないキミ。正座をしつつも少し背中を丸めて前かがみ、どうしてそんな体勢なのかは聞かないでおいてあげよう。
そしてキミは、嬉しそうな表情のまま語り出す。
「そういえばさっき、樫井さんに膝枕をしてもらってた時に夢を見たんですよ。今までの僕の行いが報われて、告白される夢。いい夢だったなぁ……」
キミ、キミ、それは夢じゃないよ。でも教えてあげるべきか、あたしは迷う。
さっきの三都美の言葉は、あたしが伝えちゃいけないやつ。本人から直接聞かないと意味がないやつ。そう考えて、あたしは黙っておくことにした。
そして夢に気を良くしたのか、目を輝かせるキミは調子に乗って宣言する。
「僕、決めました。ホワイトデーに、樫井さんに告白します!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます