第27話 バレンタインビターチョコレート
「――受け取って、昌高クン。はい、これ」
昌高は学校の帰りの公園で、制服姿の三都美から小さな包みを手渡された。
それは包装紙に丁寧に包まれながらも、掛けられているリボンはちょっと歪んでいて、苦労の跡が滲んでいる。
そんな手作り感満載のプレゼントに感激した昌高は、思わず無粋な質問を三都美に投げかけた。
「ひょっとして、これって……」
「もう、恥ずかしいから教えてあげない。家に帰ってから開けるんだよ?」
「う、うん、わかった。ありがとう」
すぐにでも中身を確認したかった昌高だけど、三都美との約束は絶対。昌高は大急ぎで家に帰って部屋に鍵を掛けると、さっそく包みを開いた。
中身はチョコレートと一通の手紙。
チョコレートは手作り。そのお世辞にも良いとはいえない出来は、逆に一生懸命さが伝わってきて、最高の幸福感を昌高にもたらした。
昌高はそのチョコレートを一つだけ口に放り込むと、手紙に手を伸ばす。
「甘……」
甘すぎるほどに甘ったるいチョコレートに、表情までが溶け出す昌高。けれども手紙を開く時には、その表情は緊張感で強張っていた。
「昌高クンへ。
クリスマスイブはあたしを助けてくれてありがとう。そしてせっかくもらったプレゼントのドレスを台無しにしてしまってごめんなさい。
思い起こせば、昌高クンには助けてもらいっぱなしだね。いつもあたしを見守っていてくれたのかと思うと、その感謝に言葉もありません。
それなのに……さらにあたしは、キミに図々しいお願いをしようと思ってます。
そのお願いは、言っちゃおうかな、どうしようかな、やっぱり言っちゃおうかな。
あたしを、キミの彼女にしてくれませんか?
そしてこれからもずっと、あたしのそばにいて欲しいな、なんて……。
返事は気が向いたときでいいです。
追伸。チョコはもう食べてもらえたかな? へたくそでごめんね。でも、感謝の気持ちと愛情だけはたっぷり注いでおいたから、いっぱいいっぱい受け取ってね」
『さらに状況がこじれてるっていうのに……。キミはよくもまぁ、こんな能天気な内容の小説を書いていられるね』
「これはもう、僕にとっては願掛けです。だから、ほっといてください」
『確かに小説に書くと、それっぽいこと起きるもんね。でもいっつも、微妙にズレるんだよね、悪い方に……』
長期の休みが終わってみれば、三都美に誤解されてて会話もままならない。
状況は似通っているけど、二学期が始まった時と今のキミは全然違う。
あの時はもうこの世の終わりのようで、声もかけにくい雰囲気だった。けれども今回は落ち込んでないし、希望を捨てずに前を向いている。
うん、それでいいんだよ。だってキミは今回、三都美に対しては何一つ恥じるようなことはしてないからね。むしろ誇っていいぐらいだよ。
だけど、利子については脇が甘いとしか言いようがないかな……。
三学期の席も三都美と離れ離れのキミは、話しかけるチャンスは休み時間限定。
教室移動の廊下で、キミは勇気を振り絞って三都美に声を掛ける。
以前じゃ考えられなかったキミの積極的な行動に、あたしもこぶしを握り締めて成功を願いたくなる。
「あ、あの、樫井さん……」
「…………」
あっさりと玉砕、無視された。そんなにすんなりとはいかないか……。
その様子を心配そうに見ていた利子が、コッソリ近づいてキミに声を掛ける。
キミは立ち止まって振り返ると、廊下で利子との立ち話が始まった。
「大丈夫ですか? さらにミトンさんとの仲が、険悪になってませんか?」
ファミレスでの二人を、三都美が目撃していたことを利子は知らない。すぐに三都美は立ち去ったし、キミもそのことを利子に教えてないからだ。
今日も余計な心配をかけないように、キミは笑いながら利子に強がってみせる。
「大丈夫、大丈夫。いつものことだから」
「大丈夫じゃありません。昌高さんはミトンさんのことが好きなんでしょ? だったら仲直りしないと。もうすぐバレンタインですよ?」
「そうなんだけどね」
「なんなら私が、直接ミトンさんに――」
「いや、大丈夫だって。リコにそんな役回りをさせるわけにはいかないよ」
「遠慮なんてしなくていいんですよ。私が協力するって決めたんですから」
勃発する押し問答。傍から見れば、いちゃついてるようにしか見えない二人。
利子との言い争いをまんざらでもなく思っていそうなキミに、あたしは教えてあげることにした。
『キミ、キミ、後ろを見てみるといいよ』
あたしの声に、キミは怪訝な顔で振り返る。
その視線の先には三都美が、こちらをジッと見つめて立っていた。そしてキミと目が合うと、すぐさま踵を返す。薄ら笑いを浮かべながら……。
週が変わっても、状況は一向に好転しない。
キミは食欲がないらしく、昼食も取らずに机に寝そべる。遠く離れた三都美と利子が、仲良くお弁当を食べながら話しているのを眺めながら……。
『あたし思うんだけどさ、やっぱりハッキリ言った方がいいよ』
(誰に何を言うんですか?)
『咲良さんにだよ。近くにいられると、どんどんこじれていくから迷惑だって』
「そんなこと言えるわけないでしょ。ミトンは鬼ですか? 悪魔ですか?」
あたしへの返事が声に出ていたキミ。
そんな時に限って……やっぱりだ。
「誰が鬼なのかな? 誰が悪魔なのかな?」
いつの間にかキミの隣に立っていた三都美。さっきまで向こうでお弁当食べてたじゃない。いつの間に飛んできたのよ、あたしってば……。
さらに日が過ぎてバレンタインデーを迎えてしまった放課後、下校しようと下駄箱を開けたキミは中に手紙が入っていることに気がついた。
内容は短く「公園で待ってます、必ず来てください。樫井三都美」とだけ。
『これって、ひょっとして』
(これは、間違いなく樫井さんの字……。ってことは……)
『やったじゃん、おめで――』
(智樹の謀略か!)
『いやいや、それはキミがクリスマスに書いた小説でしょ』
信じられない様子で、キミはずっと手紙を見つめている。太陽にかざしてみたり、何も書かれていない裏側まで見つめてみたり……。
その煮え切らない行動に、あたしは呆れながらキミを急かした。
『早く公園に行ってあげなよ。いつまであたしを待たせるつもりなの?』
(いや、でも、きっと公園には智樹が待ち構えていて……)
『んなわけ、あるかーい!』
思わずあたしはキミの頭をはたく。しかしその手はキミの身体をすり抜けて、ただの素振りに終わった。最近また増えつつある……。
警戒しながら公園に向かうキミの足取りは軽い。なんだかんだ言いながら、やっぱり期待も大きいんだね。
キミが到着した公園には、正真正銘の三都美が一人で待ち受けていた。
三都美はキミに気付くと足早に駆け寄ってきて、カバンからごそごそと何やら取り出して手渡す。
「恥ずかしいんで、家に帰ってから開けてね」
それだけ伝えると、三都美はあっという間に走り去っていく。
キミは公園にポツンと一人取り残される、少し歪んだ包装紙とリボンに包まれた小箱を手にしたまま……。
家に帰り、鍵を掛けた自室に籠ると、キミは再び疑心暗鬼に襲われる。
そして繰り返されるネガティブなキミの言葉。いちいちなだめてあげるのも、いい加減面倒臭くなってきたよ。
『早く開けなよー』
(以前もこんな目に遭ってるから、開けるの怖いですよ)
『そうだねー。でも開けちゃいなよー』
(遠足の後は、智樹の仲を取り持ってくれって内容だったし)
『どうせ最終的には開けるんだから、早くしてー』
(クリスマスの時だって……)
最初は苛立つばかりだったけど、キミの言葉を聞いてたら切なくなってきた。
言われてみれば、キミは随分とひどい目に遭ってきたよね。あたしが小説から抜け出てからだけでも充分すぎるほど。この調子じゃ、キミのこれまでの人生を想像するのが怖くなっちゃうよ。
そう思うと少し同情心も湧いて、あたしの口調もついつい優しくなる。
『今日はバレンタインだよ。きっとチョコだから、開けてごらんよ』
それでもキミは上から見たり、横から眺めたり、下から覗き上げたり、耳を当てて何か音がしないか確かめたり……。
『少なくとも、時限爆弾じゃないと思うよ……』
やがてキミは覚悟を決めて、リボンをスルリとほどいた。
破けないように丁寧に、包装紙を留めるシールも慎重に剥がす。
そして剥がした包装紙やリボンは、丁寧にたたんで机の最下段の引き出しへ。そこは、三都美との記念品の保管場所にしているらしい。
遠足の手紙、四人で観ることになった映画の半券、クリスマスプレゼントが入っていた紙袋……これって記念品っていうより、怨念品だよね……。
「開けますよ」
キミは期待に目を輝かせているけど、包装を剥した時点で市販品なのが明らか。
蓋を開けばやっぱり六個入りの、手作りとは到底思えない完ぺきな出来栄えのチョコレートが現れた。
だけどそこには、手紙が添えられている。一度包装を解いて同封したのかな?
「おお……」
キミはバレンタインにチョコをもらったのは初めてかい?
とっても嬉しそうな表情を浮かべているけれど、あたしには素直に喜べる状況にはとても見えなかった。
キミが期待を寄せているのは手紙だよね?
だけど市販品のチョコに添えられた手紙なんて、それこそ不安な内容しか思い浮かばない。何しろチョコは市販品も市販品、コンビニに並んでいたやつだ。
「手紙、開けてみますね」
『ちょっと待った方が……』
あたしの制止も聞かず、キミは嬉しそうに封筒を開いて中の便箋を取り出す。
キミが開いたそこには、少し丸っこくてかわいい文字たちがびっしりとひしめき合っていた。思った以上の長文だ。
キミはゆっくりとそれを読み始める。あたしも恐る恐る隣に寄り添って、キミと一緒に手紙に目を向けた。
「那珂根様。直接話そうと何度も思ったんだけど、どうしても言えなかったので手紙に書くことにしました。
あたしと智樹は修学旅行の少し前から付き合い始めたんだけど、その時から積極的に迫られて少し困ってたんです。付き合い始めたといってもお互いのことはまだ良くわからないし、どうしてもそんな気分にはなれませんでした。
この人は、あたしの身体だけが目当てかもしれない(自意識過剰かな?)なんて不信感ばかりが募って、迫る智樹をずっと拒み続けてました。
そしてあの初詣。智樹に強引に迫られて、でも力ずくで押さえられてたから逃げることもでなくて……。そんなあたしのピンチを救ってくれたのがキミでした。キミはあたしのヒーローです。本当にありがとう。
それなのに、あんなところを見られた恥ずかしさの方が先に出てしまって、ひどい言い方になっちゃいました。本当にごめんなさい。
恥ずかしくなると、本心を言えなくなってしまうあたしの癖は治さないとだね。
実はあたしには、キミに直接伝えなきゃいけない大事なことが他にもあるんです。でもそれも、あたしの悪い癖のせいでまだ言えません。
きっと、克服してみせるから待っててね。その時は絶対に直接伝えるからね。
それじゃ、また学校で……。樫井三都美」
手紙を読み終えたあたしは、嬉しさで胸がいっぱいになる。
けれどもキミは、手紙を持ったままピクリとも動かない。まだ読んでいるのか、それとも放心状態なのか……。
この手紙を読み終えた時、キミはどんな表情を見せるんだろう。気が気じゃないあたしは、キミの顔を見つめたままジッとその時を待つ。
そしてキミがついに口を開いた。
「智樹……。呼び捨て……」
『そこなの!?』
「そりゃぁ、直接伝えなきゃいけない大事なことっていうのは気になりますけど、あんまり良い予感がしないんですよね……」
『えーっ。こんな書き方をされたら、普通は期待感しか湧かないでしょ』
「だって、何度もそれに裏切られてきましたから」
手紙の内容に飛び上がって喜ぶかと思ったのに、いつも以上に冷静なキミ。
キミの満面の笑顔が見たかったんだけどな。ちょっと残念……。
まだ手紙には続きがあった。あたしは利子に感謝しなくちゃいけない。そして謝らないといけない。直接伝える術はないけれど……。
「追伸。さっちゃんから色々と教えてもらいました。ファミレスのこと、廊下でのこと、そしてもっと以前のことも……。キミとさっちゃんの仲を勝手に誤解して、妙な態度を取ってごめんなさい」
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