第06話 縮まる距離


「……おにいさま?」

(あっ)


 思わず手で口を塞げば、アシュトンはセヴランとアレアミラを交互に見ながら訝しげな表情を作っている。

 アレアミラはセヴランに申し訳無さそうな顔を向けてから、アシュトンに向かい居住いを正した。

「セヴランお義兄様は、姉の婚約者なのです……」

「姉……」


 ぽかんと口を開けてから黙り込むアシュトンにアレアミラは言い訳を続けるように口にする。

「一人見知らぬ土地に向かう私を心配し、ついて来て下さって──」

「変なの」

 半眼で呟くアシュトンにアレアミラは瞳をぱちくりと瞬いた。

「婚約者ならその相手の近くにいるべきだろう? どうして妹についてきたんだ?」

「えっと、それは……」


 間違えた。

 近所のお兄さんをそう呼んでいると答えるところだった。やってしまったと背中を嫌な汗が流れる。

 かと言って族長の命令に背いて姉の代わりに嫁ぎに来たなどと、流石に墓穴を掘るような事は言えない。

 しかもその姉の保身の為の布石だなどと……勝手が過ぎて呆れられる……いや、詰む。

 アレアミラが何も言えずに目を彷徨わせていると、アシュトンが静かに声を出した。


「……まさかお前、姉の婚約者を誑かしたのか?」

 思いもかけない言葉にアレアミラは目を丸くした。

「なっ、……そんな筈ありません!」

 驚きに顔を真っ赤にして拳を握る。


 自分の好きな人の心を攫われた事はあっても、姉から誰かを取るなんて出来る筈ない。

「お、お姉様はとても美しい方で……私などが太刀打ちできるような方では決して……!」

 そこまで口にしてアシュトンの目が眇められたのに気付いた。


「『美しい娘』……成る程な。お前、姉の代わりにここに来たんだな。そうか……舐められたものだ、まさか諸悪の根源を庇った挙句、身代わりを立てられるとら思わなかった」


「あああ……」

 こんなにあっさりバレてしまった。

 がくりと膝から頽れ項垂れるアレアミラにアシュトンはふんと息を吐き出した。

 しかしその声音は思いの外柔らかい。

「馬鹿だな。こんな簡単にバレる嘘が通る訳が無いだろう? そもそも兄上と会えばすぐ分かるじゃないか」

「それは……そうですが……」

 国王の事ばかり考えていてそこまで頭が回らなかった──いや、頭を掠める事はあっても正直どこか他人事で……

『このヴェールで顔を隠すんだ』レインズにそう固く言われて持たされて。これで何とかするしかないと頷く自分がいた。


「お前もそう思うだろう?」

「まあ、そうですね……」


 困ったように笑うセヴランには、とても目を合わせられなかった。





 アレアミラに大人しくしているように言い含め、それからアシュトンは毎日のように離宮に足を運んだ。

 本人の宣言通り「監視」らしく、アレアミラをじろじろ見ては食事や服装に不備が無いかを確認している。

「……一応お前は王族なんだぞ。待遇が悪いだなんてこちらの恥だからな」

 難しい顔でそっぽを向くアシュトンを見て、何だか微笑ましくなってしまうものの、目的の為にはそれでは困る。出来るだけアシュトンに国の事を教えて貰うように頼んでいた。一応ここに来る前にざっくりと学んできてはいるが、それだけでは不安しかない。


「カーフィ国の歴史に歴代国王と貴族名鑑……と、……?」

 何だか他と違う装丁の本に思わず手が止まる。

「うっ、それは今王都で流行りの冒険小説と恋愛小説だ。女性は冒険小説に興味は無いと言われたけど、それは面白いし……」

 もごもごと口を動かすアシュトンと本を交互に見てアレアミラはにっこりと笑った。

「ありがとう。私、本が好きだから嬉しい。どっちも大事に読むね」

「そ、そうか。……それは良かったな」

 何故かびくっと身体を反らせ、アシュトンはそのまま逃げるように帰って行った。

 変なのと首を傾げていると、セヴランが変わらぬ様子で肩を震わせていた。



『おい』

『はい』


『なあ』

『なんでしょう』


『あのさ』

『ええ』


『アレアミラ』

『……はい』



 アシュトンが通い始めて五日。

 いつの間にか縮まった距離に一つの告白があった。


「族長はあいつらの無謀な計画などお見通しだったんだよ」

 アシュトンが通い始めた離宮で、今後のアレアミラの動向を模索している中の、それはセヴランからのもので。ここを出る出ないで譲らない二人に、諦めた様に話し出した。


 三人で輪を作り座り込んで、内緒話に興じるように頭を寄せて話し出す。

 どうせ誰も寄り付かない場所ではあるが、声を大にする話でもないからささやかな気遣いである。

  

「カレンティナがこの国に来れば戦の弓を引く道具にされるだろうと、そのように懸念されていたのもあります。それ程この国に根付く、獣族への差別意識は未だ根深いでしょう?」

 そう振り向いた先のアシュトンは複雑そうな顔をした。


「……お前の姉さん、何か酷そうだな」

「え、うーん……どうだろう?」

 アレアミラは誤魔化すように笑ってみせる。

(でもね、みんな魅了されるの)

 先に不安な話を聞いていても、一目見れば姉に心を掴まれてしまうのだ。

 

 思い出すのは実家での事。

 集落では蚕を飼育し、糸を売り外貨を稼いでいた。

 アレアミラは機織りで布を織るのが仕事で、集落の外へ出て商人への売買も担っていた。


 姉は蚕が怖いらしく近寄れず。

 機織りをすれば生地が歪み。

 外へ売りにいけばトラブルを起こして帰ってきた。

 

『アレアミラは美人では無いけど可愛いわ。鼻がぺちゃんこで面白い顔』


 因みにこれは姉なりの褒め言葉である。

 こんな調子で商売に関わるようでは、外には出せないと集落の総意となった。


 姉は他者のコンプレックスを見つけるのが上手い。ただそれが、女性の場合は傷を抉り、男性の場合は心を擽り、いずれにしても地雷となって周りはそれに巻き込むのだから始末におえない。


(お姉様に悪気は欠片も無いのは分かっているけれど……)

 純粋に分からないから、注意されても響かない。


 とは言え根は素直な人でもあるから、話が通じれば簡単に利用されてしまうというのも頷ける。

(きっとアシュトンも……)

 そうなるだろうなと思えばチクリと胸が痛み首を傾げる。

(……あれ?)

 小さく痛んだ胸を抑えながら不思議な気持ちを抱きつつも、セヴランに目を向けた。

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