第02話 静かな初夜


「あの、どうして義兄さまが……?」

 そう切り出した馬車の中。

 御者に気取られるのも良くないだろうと、可能な限り顰めた声で問いかけた。

 セヴランは肩を竦めて、ああと呟いた。


「一年だ」

「……え?」


 窓の外に向けていた視線を戻し、真っ直ぐにアレアミラを見つめる。気恥ずかしくなるそれに頑張って耐えていると、セヴランはふっと口元を綻ばせた。


「一年経ったら集落へ帰る。族長の怒りを逸らす為の措置だ。……長の取り決めを勝手に覆しておきながら、叱られるだけでは済まないからな」

「あ……」


(この企みにお義兄様は関わっていないと思っていたけれど)

 姉に関わる事なのだ。知らない筈はないという事か。


 きっと彼は叱責を見越して、ペナルティを考えていたのだろう。

 流石に勝手をしておいて残った者たちが幸せになれる筈は無いと踏んだようだ。成る程と思う。

(お姉様の為に……)

 一年も耐えるなんて。

「そうですか」

 凄いとしか言いようがない。


 当たり前なのに、何故か気落ちする自分がいて。不思議と気持ちが揺らいでしまう。

 込み上げてくるものを振り払うようにアレアミラは慌てて明るい声を出した。

「……よ、良かったです! 実は一人で上手くやれるか不安だったから……でも、頑張らないといけませんね。出来るだけ早くお義兄様が帰れるように、カーフィ国に馴染めるように頑張ります」

 そう言えばセヴランは目元を和ませた。

「ああ、そうしてくれ」

「はい……」


 出来るだけ笑顔で、口の端を引き上げて、それでも。

(笑えていたかしら……)

 アレアミラは歪みそうになる表情が、嬉し泣きに見えるようにと、必死に頑張った。



 ◇



「なんだ……美しいと聞いていたのだが……」

 そう声を落とすのはこの国の王だ。

 三十半ばの男盛りな美丈夫で、玉座に相応しい精悍な逞しさを持った人物だった。その王に促され被り物を取れば、そこから落胆した声が洩れた。


「も、申し訳……ありません」

 それはそうだ。姉が代わりにくる筈だったのだから……

「獣の美醜など当てにならないな……下がって良い」

 深く溜息を吐き王が手を振れば、それが退室を促す合図のようで。アレアミラは背後から腕を引かれ、その場を辞した。


 

 王が驚くのも無理はない。

 国と集落で諍いが起こったのは、姉が婚約者のいる男に粉を掛けたからだった。

 誘いに抗えない程の美女だった──と……

 そう聞いていたのに現れたのが自分だったので驚いたのだろう。

 

 男の婚約者は貴族令嬢であり、彼女は自らの矜持を傷つけられた怒りを集落へぶつけ、戦線布告をしてきたのだ。


 ……まあ、レインズを含めた集落の若い男性は勿論姉を庇い、いきりたった。

 そして姉の美しさに興味がないらしい族長は、カレンティナを罰することに決め、獣族への悪感情が高まるカーフィ国へと一人、花嫁として送り出す事に決めたのだ。和平の為の婚姻として。

(正直お姉様に諍いを収める力なんてあるとは思えないけれど……)


 族長は姉を集落から出したかったのかもしれない。

 姉本人に悪気はないけれど、集落が彼女に振り回されているのを、もう見過ごせなかったようだから。


 それに戦線布告をされたとは言え、獣族がそれに応じてカーフィ国に暴力を奮えば周辺諸国から非難を向けられるのはこちらだろう。

 元の原因を作ったのが獣族と知れば尚更だ。


 結果お互いの関係を保つ為に今回の措置となった。

 美しい娘を王に差し出す──と、いう名目で……



 

 王の態度は友好的では無かったけれど、和平による婚姻に間違いはないらしい。アレアミラは用意された花嫁衣装に身を包み、神の前で誓いを口にさせられた。

 一国の王ともなれば口八丁などお手の物らしい。隣の王は聖職者の問いかけに淀みなく応じていた。

 ただまあ、当然だがその夜の訪は無かったけれど。


 暗く人気のない寝所でぽつりと一人、アレアミラはぼんやりと月を見上げる。


 本当ならここでこうして一生を過ごさなければならなかった。


(けど……)


 セヴランがいる。

 ……姉のところへ帰る事を望んで。

 

(だから頑張らないと……)


 アレアミラは目を閉じて静かな夜に誓った。

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