第06話 命を取る者、渡す者


 アレクシオから表情が抜け落ちるのを見て、リリーシアは大きく息を吐き出した。


 二人は同じ穴のむじなだ。

 お互いの望みに忠実で、見たいものしか見ない。思うようにしか解釈しない。

 エアラは確かに聖女として努力していたかもしれない。

 王城で侮られないように淑女教育に励んでいた。

 だからこそ、目の前にいるアレクシオや王妃の座に手が届く事と、城で生きる為にはそれが必要であるとに気付き、望むようになったのだろうけれど……


 思いは一途かもしれない。賢さもある。

 でも自分の目に映るものしか認めようとせず、踏み躙ったものに罪悪感すら抱かないなんて。


(なんておごり高ぶった)


 それが次期国王と王妃のする事か。

 恥を知るべきなのはそちらの方だろう。

 

「……何だその目は」

「失礼、殿下。暗がりで良く見えないもので」


 低く、けれどどこか困惑した様子でアレクシオはリリーシアを睨みつける。

 思えばリリーシアは次期王妃となるべく徹底的に自制してきた。表情も言動も。思ったまま言葉にするのはあの時取り乱して以来、どれくらい振りだろう。あれだって子供の頃以来だった。

 つまり今のリリーシアはアレクシオにとって不可解な存在なのだ。


「もういい。衛兵、この女を牢に入れておけ」

 そんなリリーシアの感慨に付き合うつもりはないらしく、アレクシオは兵士に命を下す。

 その手を払い、リリーシアはまだ隣にいてくれている黒馬に手を添え泉からゆっくりと立ち上がった。

 水で身体が重い。

 でも思ったよりずっと気持ちがさっぱりしているのは何故だろう。まるでみそぎでもしたようだ。


 黒馬も嫌がらずリリーシアの隣で大人しくしている。その様子はじっとこちらに聞き耳を立てているようで、人の動作を思わせた。

「殿下、この馬は」

「殺せ」

「えっ」


 兵士たちは嫌そうな顔を隠さない。

 その表情からは、魔女だ悪魔と不吉を仄めかしておきながら、何故自分たちに触れさせようとするのかという戸惑いが見て取れる。


 見ればアレクシオの表情には憎々しげなものが浮かんでいた。感情を露わに指揮をとっているのだろう。

(殿下の表情を崩したのはエアラさんだと思っていたけれど……)

 自分もこんな形で彼の心をざわめかせている。


 少しだけ胸がすいて。

 それで何だか気が済んでしまった。

 このまま牢屋に入れられ、刑に処される。もうそれでもいいと思う自分がいる。

 何の後ろ盾も無くなった自分には、助けてくれる人なんてどこにもいないのだから。

 

 ところが急に黒馬が大きくいななき、前足を振り上げた。

「うわ!」

「こいつ!」

 ぶんぶんと首を振り、額の角で兵士たちを威嚇する姿に、恐れた兵士が驚き剣を振り回す。


「うわああーっ」


 ざくり


「え……」


 その剣がリリーシアの脇を裂いた。

 

「あ!」

「ああ……?」

「リリー!」


 ドプンと血のついた剣が泉に落ちるのが見えるのと、自分の脇腹が酷く熱いと気付いたのはほぼ同時だった。そこに手を触れればヌルリと生温かい感触が溢れてきて、反射的にきつく押さえる。

 かと思えば急に入らなくなった膝から頽れるリリーシアを、黒馬が噛んで支えた。


「何をしているんだ! 早くその悪鬼からリリーシアを取り戻せ!」


 アレクシオの叫び声と共に黒馬が怒りを見せたようにいなないて、その背中に大きな翼を生やした。

 ワッと恐怖が場を占める。


「化け物め!」

 奮起する兵士たちに混じるアレクシオの声を聞きながら、ふわりと身体が浮いたような気がした。

「リリー!」

 熱い……眠い……

 けれどリリーシアは重くなる瞼に抗えず、そのまま目を閉じ、意識を手放した。



 ◇



 傷ついたリリーシアを抱え、赤毛の女性が顔をくしゃくしゃに歪める。

「どうしよう、どうしよう。この子がこんな事になったのは、あたしたちのせいだ。早く助けないと……ああ、でもどうやって? どうすれば……」

 動揺に震える女性の肩に手を置き、その場にいたもう一人が声を掛けた。


「俺がやる。姉さんはエミリオの見届けを代わってくれ」

「ああ、オフィールオ……」


 涙が止まらない姉に対し、弟は冷静で一切の動揺を見せない。

 長く伸ばした前髪から見えるのは、分厚い黒縁眼鏡とレンズだけ。

 けれどそこに握る拳には怒りが滲んでいた。

 どうして彼女がと思っている。

 これまではどうして彼女は、と思っていたのに……

 

 青白い顔をして横たわる、まだあどけない顔をした少女の頬に手を添えれば、冷たい感触が返ってきた。次第に脈打つ音が弱くなるこの身体は、きっと夜明けまで持たないだろう。


 オフィールオは自らの手首を噛み、血を滲ませた。

 それをそのままリリーシアの唇に押し当てる。


「オフィールオ!」


 思わず叫ぶ姉もこれ以外は方法が無いと分かっている筈だ。

 ……それは彼らにとって特別な行為。

 この国の者たちが無条件に聖女を信仰するように、自分たち獣族の持つ習性──服従と支配の意を持つ。命の受け渡しともいえるこの行為は、彼らにとって最も尊い契約だった。

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