第19話 フリッツ

 トヴィストブルクは帝都の西の方向、そう離れていないところに位置する。

 ヴルカーンハウゼンは帝都の東へ二日の距離にあるから、イーナにとってはあまり行く用事もなく、馴染みもない場所だった。

 帝都の西の城門を出ると、すぐに自然豊かな田園地帯が広がる。

 丘がずっと続く地形をしばらく馬で走らせると、トヴィストブルクへと到着した。


 トヴィストブルクは湖畔のそばに広がる街だった。

 帝都よりもさらに整理された都市で、街のほとんどが規則的な道で整備され、道幅も用途に応じて変えているようにみえる。

 帝都の壁外と異なり、道幅が十分にとれているため、交通量が多くとも誰にぶつかることなく円滑に移動できていた。

 街に入って目の前の道をまっすぐ進んでいくと、直線の向こう、遠くに大きな庭園が広がる大きな屋敷がみえてきた。

 

 「ちょっと久しぶりすぎて軽く緊張します…何年振りだっけ…?」

 馬に乗ったヘレナが言う。

 

 「どれくらい帰ってないの?」

 ヘレナは士官学校を卒業してからそこまで経っていないようにみえるし、士官学校には休暇がある。

 しかもトヴィストブルクは帝都からかなり近い。

 何か帰れない理由があったのだろうかとイーナは思う。


 「いや、そうじゃないんです。この街にはちょくちょく帰ってきてはいるんですけど、あの屋敷――本家に行くのが久しぶりすぎて」


 「本家?」

 

 「エドラー家は人数がとても多いので、全員があの大きな屋敷に住んでるわけではないんです。私なんかはかなり端の分家なので、家自体はあまり大きくないですし、そんなにあの屋敷にも入ったことはありません」

 エドラー家はあらゆる貴族の中でも最も人数が多いと言われている。

 もちろん四ツ窓貴族家の中でも人数は飛びぬけていて、体感では「窓持ち」のうち半分くらいはエドラーではないかとイーナが思うくらいだ。

 

 イーナは手紙を取り出して差出人の名前を見る。

 エドラー家の当主であるフリッツ・エドラーなるこの人物も、ヘレナにとっては遠い親戚でほとんど他人に近い存在なのかもしれない。

 

 『まあ、来ちゃいますよね…こういうの。エドラーとしては出さないわけにはいかないですもんね』

 イーナは手紙を受け取ったときのヘレナの発言を思い出した。




 エドラー家の屋敷はかなり広かった。

 建物の表にも裏にも庭園があり、裏は湖が広がっているから眺めがかなり良い。

 帝都の建造物群とは段違いの土地の余裕をいやがおうでも見せつけられた。

 よく手入れされた庭園をまっすぐ横切り、馬から降りて屋敷の中に入ると、広い部屋に通される。

 屋敷はヘレナの「部屋」の雰囲気にどことなく似ていて、銀色や繊細な装飾を多用しつつも上品な印象を与えていた。

 広間には大きなテーブルがあり、その上にかなりの量の食事が用意されている。

 そのそばに、かなり年齢を重ねていると思われる老人の男性が立っていた。

 長いひげを蓄え、杖こそ持っているものの、背筋はしっかりと伸びた男は、二人が部屋に入ると、軽く礼をした。

 

 「この度は当家の者を救助いただき誠に感謝申し上げる。エドラー家当主のフリッツ・エドラーだ」

 男は見た目通りの威厳ある声で挨拶をした。


 「送った手紙通り早めに来ていただいてありがたい。我々の予想を上回る速さで、こちらも驚いている。もう昼だ、どうぞ好きに召し上がっていただきたい」

 フリッツはテーブルの上の食事を勧める。

 イーナは「我々の予想を上回る速さで」のところで苦笑しつつも、テーブルのほうに近づく。

 すると、フリッツの方から近づいてきてイーナに話しかけてきた。


 「ヴルカーンハウゼンでの戦闘は素晴らしかったと聞いている、包囲状態からたった二人で100体以上のナトゥアを殲滅したと」


 「ただの思いつきを行動に移した、いわゆるまぐれですよ」


 「いや、たとえまぐれだったとしても、君の額縁の能力は確実に高い。物体の加工の精度や数を見れば明らかだ。今まで何人かヴルカーンハウゼンの『窓持ち』を見てきたが、その中の最も能力が高かった者たちに引けを取らない」

 エドラー家の当主であるフリッツは相当に歳をとっている。

 恐らく大叔父と同年代くらいかもしれない。

 彼が若かった60年も前ともなれば、ヴルカーンハウゼンの「窓持ち」もまだ相当な人数がいただろう。


 「シュテルマーに執拗に絡まれているようだと聞いているが…議会で上手く彼を退けたと」


 「それは私ではなく、ヘレナ少尉がかなり上手く立ち回ってくれて…」

 イーナはヘレナの方に顔を向ける。


 「そうなのか?」

 気配を消し、肩をすくめながらも骨つき肉を頬張っていたヘレナはびくりとして、急いで答える。

 「いや、そんなことは…イーナの作戦勝ちというのが正しい表現だと思います、特に鳩とか」


 「それはこちらの議員からも聞いた。鳩で文字通り議会を『かき回した』とね!」

 フリッツは一人で笑い声を上げる。

 広間にフリッツの声が響く。

 とても大叔父と同年代とは思えない声である。

 笑い終わると途端に真面目な顔になって、こうイーナに切り出した。


 「それで、シュテルマーだが、彼の対策はもう済んでいるのかね?奴はこれで終わる人間じゃない、徹底的にやるぞ」


 イーナは議会での別れ際のシュテルマーの言葉を思い出す。

 確か、「次回は」という言葉を使っていた。

 今のところイーナにはシュテルマーがどんな手を繰り出すか想像がつかない。

 だから対策など何もしていないし、考えてすらいなかった。


 「その様子ではあまり考えていなそうだな」

 フリッツは呼吸を整えると、イーナをしっかりと見据えて言葉を続けた。


 「そこで本題とさせていただく。イーナ・ヴルカーンハウゼン。私の考えを端的に言えば、君をエドラー家の貴族軍に招聘し、私の理論を実践していただきたいと考えている」

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