桜のの葉がはらはらと落ちる。それは冬を越すため、命を続けるための営み。

 木の足元に落ち重なった葉を広目こうもく寮の門弟が掃く。寮内には落ち葉を掃く音だけが響いていた。それは平穏な静けさというよりも不穏な静寂だった。


 広目寮の客間には四人が円になり中心に向かい合うように坐す。

 広目寮寮長、土岐田源三郎ときたげんざぶろう

 持国じこく寮寮長、五辻則泰いつつじのりやす

 増長ぞうちょう寮寮長、平松聞碁ひらまつぶんご

 そして、多聞たもん寮寮長、結城清姫ゆうききよひめ

 土岐田はいつになく深刻そうな表情を崩さない。四寮長は発言に注意しているのか、それぞれの出方を窺っているのか、顔を合わせ挨拶をしてから沈黙が続く。

 幾分か過ぎたころ、最初に口を開いたのは五辻だった。


「先刻の京都での調査だが、ほのかの報告によるとやはり大蛇で間違いないだろう」

 「大蛇」の言葉に客間の空気が一気に張りつめる。疑わしい目を五辻に向けるのが結城清姫。艶やかで高尚な百合の花のような清姫の視線を浴びれば牙を剥いた蛇さえもたじろいでしまう。

「その調査、信用に足るのかのう? 大蛇は三百年に一度ヒトの層に現れて来たおぬ。千年もの間隠儺師おんなしや咒法師によって抑えられてきたが、この程の出現から未だ百年少ししか経っておらん。それが今、本当に現れるのかの」


 大蛇が初めて現れたのは千年前。隠儺師の祖と当時の咒法師たちによって鎮められたそれは三百年後に再び現れることとなる。それから三百年ごと、大蛇が現れる前に鎮める為の儀式が執り行われ、現在に至っていた。しかしそれは周到な準備をし、重且つ大として扱われてきた。

 いつもは陽気な平松も今回ばかりは表情をこわばらせる。

「大蛇を鎮む咒法は確立されちょっが、今回は時間がなか。いっきすぐに手を打たんな間に合わん」


「京都周辺の住民の避難、各所に隠儺師及び咒法師を配置するにしても一か月ほどかかると推測する。土岐田寮長、至急御門への申し伝えを頼みたい」

「それは構わん。こちらは清與きよ太上たがみ家に向かわせる。例の物を預かり受けにゃならんでな。それよりも案ずるのが百鬼夜行じゃ。九字くじじゅを使うてまで大蛇を呼び出そうというんじゃ。目的はそれだけではなかろう。察するにして、ヒトの世の恐慌と己の存在の宣布」

 土岐田がこれほどまでに険しい顔を見せることは滅多にない。

「先頃高野山で拾ってきた九字の咒が書かれた岩のかけら。あれを調べてみたが、やはり土岐田寮長の予察通り。彼奴あやつらの仕業と考えて間違いなさそうじゃ。邪法師集団、太夫衆たゆしゅうの」

 

 清姫の言葉に他三人が反応する。

「太夫衆だと。では此度の大蛇覚醒も太夫衆の陰謀とお考えか」

 五辻が柄にもなく焦りをみせると土岐田が続けた。

泰時やすときが四神から他の十二神将について聞いておる。今隠儺師の手元を離れておる式神が縛られているとのこと。今回の件に強い咒力を持つ太夫衆が絡んでいると考えても不思議はない」

「儂らん力を抑える為式神を縛っちょっとか? 太夫衆が絡んでくっとは、大事になってきたもんじゃど」


 太夫衆。かつては隠儺師とならび咒法により隠祓おぬはらいを担っていた。しかし御門みかどを後ろ盾に勢力を広げて来た隠儺師とは違い、太夫衆は弱体化し、やがて呪詛を用いたを仕事として請け負う集団と化していった。隠儺師はそれとは一線を設け、今では太夫衆の使う術を邪法とし、相容れぬ関係となっていた。


「可能性の話じゃが、もし本当に太夫衆が関わってきておるなら水火も辞さぬ覚悟が必要じゃ。各寮から援軍を頼みたいと思うておるがいかがかな」

 土岐田の問いに各寮長も思惑おもいまどう。どうしたものかとみなが小さく唸る。

「万が一大蛇を抑えられんかった場合を考えるとのう、こちらも内を空けるわけにはいかんのよ。多聞寮からはせめて二人か、そこらで耐えてはくれぬか?」

「清姫のいう通りだ。ここは最悪の事態を考えておいた方が良い。総員を導入するにはリスクが高い。このような事態は予想外、まさかが鍵となるとはな」


 五辻が土岐田に向けて送った視線を、いつも通りにこりと微笑み返す。

「大蛇を鎮めるために必要なのは太上家の咒符と四神の法陣じゃ。お前さんは気が進まんかもしれんが、今託すことが出来るのは泰時だけじゃ」

 五辻が「ふん」と鼻を鳴らし視線を逸らす。

「四神を封じる為、先に比叡山の悪鬼あっきの門を開け六辻むつじ泰時を襲おうとしたか。姑息な手を使う」

 五辻が鋭く憤った目つきになる。

「隠儺師たちにとって苦難となるかもやしれんが、協心戮力りくりょくしてなんとしてでも食い止めにゃいかん」

 四寮長が目を合わせ、しかと団結の意を示す。


「まずは住民の避難、それから隠儺師、咒法師ん配置や。増長寮からは卍山まんじやま仇朗くろを向かわす」

「多聞寮からは繁星ふぁんしんと私が対応しよう。準備が整い次第こなたで待機させるのがよいかの」

「持国寮は洸を送る。それと土岐田寮長、泰時を暫く借りることはできるか」

「うむ、分かった。泰時には伝えておく。では、皆抜かりなく頼む」


 隠儺師たちが未だそれぞれの日常を過ごしている中、少しずつ普遍が傾いていく。それをこの時は誰も知る由がなかった。皆ただひたすらに、己の生を営んでいた。


 *


 山に続く道。その前には石肌が剥き出しになった鳥居が立つ。鳥居の向こう側は薄暗い雰囲気で、民家がぽつぽつとあるものの人の気配が感じられない。一帯が村になっているその場所で暮らしているのが太夫衆だった。忘れ去られた村となった場所に踏み入れるのは呪いを求めてあつまる依頼者だけ。陰湿な雰囲気に覆われ、淀んだ空気が昼夜問わず支配していた。

 村の奥にはほらがあり、三角護摩など秘法の儀式が行われていた。そこに僧衣をまとった太夫衆が集まる。洞の壁には咒文が書かれた咒符が釘で打ち付けられていた。咒符には天后や大陰といった文字が見える。行方不明になっている十二神将の名であった。


 太夫衆の一人が壁に向かい咒符を撫でる。その手は異様に優しく咒符の輪郭をなぞった。太夫衆のかしらであるその男が睨んでいるのは咒符ではなく、もっと奥深くにある何か。覚悟と憎しみが入り交じった感情は、決意と希望が生み出すそれよりも時として力を持つ。

「頭。ほとんどの準備が整ったぜ。怨嗟は放っておいても集まる。すでに時間の問題だろうよ」

 頭と呼ばれた男が札を撫でていた手をぐっと握った。

「四神を司る男。あれを葬り去られへんかった事が最大の懸念材料や。そいつは今多聞寮におる。隠儺師からの修練も受けとるやろ」

「そうはいってもつい最近まで術も使えなかった素人だろ? 少し修行したくらいではどうせ四神は使いこなせないだろ」

 頭とは違いのんきに構えているのは清與が奈良の一件で見た怪しい影。怨霊を人にとり憑かせる咒法を持っている男だった。


「そう楽観的におったら下手こくで。高野山含めて各地での鬼の覚醒もほとんどが隠儺師に祓われとる。ほんまはもっと力のある悪鬼を集めときたかったけど、まあ四体の十二神将を封じれただけでも御の字。それくらいあっちは強いで?」

 頭に諭されると口を尖らせすねたようなふりをする。

「でもよ、これが最初で最後のチャンスなんだろ? 俺らが日の目を見る。こんな湿った場所で毎日毎日呪いの業をして暮らす生活を終わらせられるかもしれねえ。ならやるよ、俺は」

 頭の目はどこか悲しくその男を見ていた。どうしてもこちらが悪役になってしまう今の状況に巻き込まなくてはいけない。それはその男だけではなく太夫衆総べてに言えることだった。

「すまんな、これが先祖代々仕込んできた目論見。この代で終わらせる」

「なんで頭が謝るんだよ。みなでやろうぜ。きっとうまくいく」

 明るく返してくれる声が今の頭にとっては大きな力となっていた。悪になろうとも勝てば正義。

「ほな最後の仕上げ。行こか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る