舞
「大紀さん! この後手合わせお願いします」
泰時は朝ごはんを口いっぱいに含みながら話す。
「お! 気合入っとるやん! ええで、なんぼでも付きおうたる」
こちらも口いっぱいに入れた食べ物を喉に押し込む。朝食を搔き込む手を休めず、朝からたぎる男二人。
「ねー、なんで暑苦しいのが二人に増えてんの」
「すっかり広目寮になじんだね」と
泰時が現れたことで広目寮は以前よりも増して賑やかになった。
各々朝食の時間を過ごしていると、勢いよく障子が開く。現れたのは
「おい、トキ! 今日は見学だとか言って仕事に付いてくるって言ってたよな。何まだ飯食ってんだよ」
清與の怒鳴り声を聞いて皆が振り向く。
「トキって何!? なんで名前で呼んでんの!?」
驚いたのは薙だけじゃない。全員の朝食を食べる手が止まる。清與は皆が何に驚いているのか思い当たる節がないような顔だ。その空気に泰時が右手を上げ割って入る。
「あの、今まで名前を名乗る勇気がなくて黙ってたんですけど。ここに来て決意が出来たというか……」
泰時は少し気まずそうに続ける。
「
「六辻泰時。なるほど、泰時でトキか。呼びやすなったわ」
大紀はいつもの調子を崩さない。
これまでの事を深く追及するでもなく、ただすんなりと受け入れてくれる暖かさが泰時には嬉しかった。
「あ、それで大紀さん、すみません。清與の仕事見学をすっかり忘れてました。次回必ず手合わせお願いします」
ええよええよと大紀は手を振る。
清與と泰時は仕事へ出発するため、門前に停めてある車へと向かっていった。
「六辻って、あの六辻か?」
二人が去ると、大紀が尋ねる。皆の間に少し緊張した空気が流れた。
「とりあえず、土岐田寮長が戻られたら報告連絡相談だね」
ピリついた空気とは反対に、晶馬はあまり深刻には考えていないような口ぶりだった。晶馬がその調子だったので、皆もそれ以上詮索する様なことはなく、その時はそれぞれのやるべき事へと移っていった。
「今日の仕事は“調査”だっけ?」
現場に向かう車の中で泰時が尋ねる。
「ああ。最近隠の出現率が高い。今向かってる奈良なんかは、普段は地元の法師たちで事足りていたんだが、今は手が回らない程らしい。そこで疑われてるのが、
大きな鳥居の前に車が止まる。すでに人払いがされており、境内に人はいない。
ここからは徒歩で本殿へと向かう。
参道の両脇には原生林が広がっている。それぞれの木々が神木のような威厳さを放ち、樹皮に生やした苔は人を近寄らせず自然の中で生きてきたことを証明していた。
木々に守られるように鹿が悠々自適に生活をしている。
「鹿は神様の使いなんだよね」
「
こんな神聖な場所に隠の存在など信じられないと泰時は感じていた。
本殿に向けて二人が歩いていると、一匹の鹿がひょこひょこと近寄ってきて、泰時と並んで歩き出した。
「見て見て、清與。この鹿俺に懐いてるみたい」
泰時は眼をキラキラさせる。
「そいつは俺の咒符。式だ」
冷たく言い放つ清與。泰時は立ち止まり、清與の背中を呆れた目で見る。
「ややこしいことしないでよ。なんで鹿なの」
「目立ったことしねえ方がいいだろ。鹿もビビらせちまうし」
もっともな返答に言い返せない。
「隠の気配がある場所はコイツが知らせてくれる」
式である鹿は相変わらず泰時と並ぶように付いて歩く。二人と一匹となった一行は、澄んだ空気がどこまでも続きそうな参道を、さらに奥へ歩を進めていく。
先ずこのような状況で確認しておきたい場所が、鬼門とされる北東の方角。
「いくら神聖な場所とはいえ、鬼門は必ず存在する。まあ、北東側は確認しておくか」
本殿をぐるっと裏手に周り、北東側に行ってみる。そこは境内から山へと続いており、人が入れないようにしめ縄が張られていた。特に異常は感じられない。
「特に変なところはなさそうだね。
「ここが原因じゃないのか?」
訝しげにその場を後にする清與と泰時だったが、やはり何か妙に感じる。
「そういえば、法師様がいないようだけど」
確かに一般人は立ち入り禁止となっているが、宮司や法師たちの姿まで見えない。
「とりあえず話を聞きてえところだな。一度本殿へ戻るか」
少し湿っぽい空気の中、まだ木々たちがざわめいている。
本殿入り口前の
「清與! あの法師様って――」
泰時が注視する方を見ると、法師たちが十数人ほどだろうか、ぞろぞろと泰時たちの方に歩いてくる。しかし様子がおかしい。法師たちは皆白目を剥き、喪心しているように見えた。
「もしかして憑かれてる!?」
「おいおい、ここの法師全員がか? 冗談が過ぎるな」
その時、清與の式が屋根の上に向かってクゥンクゥンと鳴いて知らせた。屋根に影が見え、気付かれるや否や、走り去るように消えた。
「あれを追え!」
清與の命令に式が走り出し、鹿のものとは思えない飛躍力で屋根を超えていく。
「法師たちがどういう経緯で憑かれたのかは分からねえが、厄介だぞ」
法師が泰時たちに気付くと一気に襲い掛かってくる。
「清與の咒符は使えないの? ほら、封印できるヤツ」
「あれは怨霊本体や物が媒質の場合は使えるけどな。媒体まで殺っちまう可能性があるから、使えねえんだよ。こういう場合」
襲ってくる相手は法師だけあって、かなり体術に長けている。
「しかも取り憑いてるのが法師だ。強力な咒力を持ってるだろ。もし飲まれたら鬼化するぞ」
そうは言われても、今は人間である法師を前に、躱す事しか術がない。
「じゃあ、どうすれば……」
殴りかかってくる法師を、バク転の要領で蹴散らせ距離を取ると清與はスマホを取り出し電話をかける。
「晶馬さん。すぐ
電話口で晶馬が何かを伝えたようだが、返事をせず電話を切った。それほど今は余裕がない。
「二度寝してる
「右鶴ちゃん!? 大紀さんや薙さんじゃなくて?」
最小限のダメージで済むように手加減しながら躱し続けるのにも限界がありそうだ。
「元々ヒトだったのを、お前簡単に切れるか?」
せわしなく攻撃を受けて流しながらも、まだ余裕はあった。それほどに隠儺師の実力は高い。しかし問題なのは時間だ。法師の精神が負けて怨霊に飲まれれば、取り返しがつかなくなる。
「九朗でもここまでは二十分はかかる。耐えろよ、トキ」
「押忍」と泰時は返し、気合を入れる。
右鶴が今にも唸り声を上げそうなほど行き詰っていた時、晶馬が呼びかける。
「右鶴、すぐ行ける?」
右鶴は睨んでいた教科書から顔を上げると、しかと頷いた。
オーバーサイズのパーカーを脱ぎ捨てると、その下には巫女のような、
高下駄を履き、すぐに準備を整える。
叩き起こされた九朗が右鶴を抱えると、翼を広げ、一気に空高く上昇する。そしてツバメをも超す飛行速度で泰時たちの元へと飛び立った。
遠くの空から、空気が割れる音が近づいてくる。空気中に静電気が起こり、光る。
泰時たちの上空に九朗が到着すると右鶴は九朗の腕から飛び降りた。
右鶴は泰時たちが交戦している背後に降り立ち、その場にうずくまる。右鶴の周りに砂埃が舞う。
「トキ、
二人は地を蹴り、大きく飛躍すると、右鶴から離れた位置に着地した。
泰時はその時初めて、右鶴の装束姿を見た。
右鶴がしゃがんだまま、右手と左足を伸ばす。手首や足腰には鈴の装飾が施されている。右鶴が手首を捻り、鈴を鳴らすと法師たちの動きが止まった。止まったというよりは、動きたくても動けなくなっている。
右鶴が立ち上がり、舞い踊る。
――“
風が止まり、鈴の音が静寂の中に響き渡る。
泰時は初めて見る光景にくぎ付けになった。
右鶴の舞は美しいとか儚いとか、そういう
力強く、気高く、高圧的で、挑発的で、圧倒的で、崇高であった。
法師たちが呻きだす。
「出るぞ」
清與が身構える。
「右鶴の咒法は隠と媒質の剥離。分かりやすく言えば、引ずり出すんだよ、隠を」
「じゃあ今から出てくる怨霊が、右鶴ちゃんに襲い掛かるかもしれない」
右鶴の舞を前に、苦しみだす法師から、ずるずると黒い影が伸び出てくる。
泰時と清與は剥がされた怨霊に備え、臨戦態勢に入る。
ついにヒトの体から飛び出した怨霊が、一気に右鶴に目掛けて襲い掛かる。泰時と清與が飛び込もうとした時だった。右鶴は両腰に差した短剣を腕をクロスさせて引き抜くと、空中で一回転する。あっという間に飛び掛かってくる怨霊の喉元を切り裂き、一瞬で祓い去った。怨霊は影となり、その場にぼたぼたと落ち、消えていく。
「終わったよ」
右鶴が振り返る。泰時たちは出番のなかった拳が気まずくなり、さっと隠した。法師たちは意識を失い、その場に倒れこんでいる。
「あ、ありがとう、右鶴ちゃん」
「しかしどういうことだよ。鬼門にも異変はない。俺の式も特別な反応を示していなかった。やはりさっき逃げた影が原因か?」
清與は法師の顔を不審そうに覗き込む。
「神様が祀られている神社内で隠が出るなんて……」
「ヒトの層、
泰時の言葉に右鶴が答える。
「だから、ヒトと隠の間に神が割って入る事もない。昔から隠を退治してきたのはヒトだよ」
確かにそうであった。時にヒトと隠は入り交じり、隠と神とは入り交じる。しかし神がヒトの世界に降りてくることはめったにない。だから神が祀られている場に隠がいたとしても、それは不思議ではないのだ。
「右鶴みたいに神の力を引き継いだ咒法を使える奴はいるけどな。
人は昔から神の力を借りる時、神を人に宿すときには舞の儀式を行ってきた。
神の力を継承した咒法。そんな偉大な業を、まだ十五歳の女の子がこなしているなんて。プレッシャーもあるだろう、悲惨で痛ましい現場にも遭遇してきただろう。泰時に熱い思いがこみ上げた。
「右鶴ちゃんはほんとすごいな。しかも一瞬で怨霊を切り裂いちゃうし。清與の意図が分かってたんでしょ? 清與も右鶴ちゃんの力を信用してたから、最初から右鶴ちゃんを呼んだんだよね? 二人ともやっぱり流石だな」
泰時が褒めちぎると、清與と右鶴は無言になり、目を合わさなくなる。
どうも照れているらしい二人に、泰時は顔をほころばせていた。
そうこうしていると、九朗が応援を呼びにいった警察や法師たちが駆け付けてきた。
「これはどういう状況?」
九朗がその場を見渡す。
「分からねえんだよ。そこそこ力のある法師が全員憑かれてた。なにか外からの力が働かない限り無理だろ、こんな事態」
風はもう止んでいた。目を覚ました法師から事情を聞くも、憑かれた時のことは何も覚えていないらしい。重要な手掛かりは得られなかった。
泰時たちは不穏な感覚を残したまま、その日は撤退するしか仕様がなかった。
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