第2話:魔女







その女は、細く鋭い目で俺を見ながら、うっすらと笑みを浮かべている。

まるで獲物を前にした捕食者の如く、その黒く美しい目は、歓喜と殺意に満ちていた。


「さぁて、どうしてやろうか...。アタシの結界を破るほどの使い手だ、そう簡単にはいかないだろうけどねえ...。」


そう言いつつも、彼女の表情からは、勝ちを確信したような余裕が感じられた。

実際、俺も負けを確信していた。このままやり合えば、俺の負けは確実だろう。




...ならば、こうするまでだ。



俺は静かに、手のひらを上にして両手を前に伸ばす。


「...降伏、と受け取って良いのかな?」


女は、少し残念そうに呟いた。

よかった、異国だがこれで通じたらしい。これでダメなら、デサド南東諸国の降伏のポーズを北から順にやっていくつもりだったのだが。


俺は少しく安堵して答えた。


「...ああ。俺はマリユス国のハーマスの者なのだが、気がついたらこの世界に飛ばされていた。何者かが転移魔術かスキルの類を使ったらしいが、詳しいことはよくわからない。それで、食いつなぐための食料を探していたのだが、野菜を盗んでいるところを見つかってしまってな...。」


「それで、ここに逃げ込んできたと。」


「ああ。決して他意は無い。ここに入ろうとしていたのも、結界で守るほど重要なものなら、売れば当分の食料を賄えるだろうと思ってのことだったのだ。」


「ふむ...。まあいい。嘘はついていないようだしな。」


そして、女はしばらく考え込んでいたが、よし、っと言って俺に向き直り、


「お前、うちに来ないか?どうせ住む場所もないんだろうさ。食うものもないのなら、そっちも必要だろう。」


と、高慢な笑みを浮かべながら、俺に提案してきた。

この女の狙いは大体わかる。俺をペットか何かにしようとしているのだろう。


...だが、ここで野垂れ死ぬよりはよい。俺はすぐさま、頭を下げた。


「申し訳ないが、そうしていただきたい。」


すると女は、つまらなそうな顔をして、


「ちっ。やけに素直なやつだな。抵抗したらボコボコにしてペットにしてやろうと思っていたというのに。」


と、愚痴をこぼしつつ玄関を開けて俺を招き入れた。

またしても危機一髪だった。この世界に来てから、こんな綱渡りしかしていない気がする。


俺は彼女に続いて、おそろしくきしむ古びたドアを抜けた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



家の中は、外見ほど汚くはなく、普通に生活している感じだった。調度品は、箪笥からティーカップに至るまで高級そうなものばかりで、見たこともないような道具の数々が並べられていた。


「...素晴らしい家具だ。道具も皆、人の業とは思えないほどに精巧...。このようなものを買い揃えるとは、貴方は何者なんだ...?」


思わず口に出すと、女はプッと吹き出して笑った。


「く、くくく...。お前、本当にそのマリユス国とやらから来たらしいな。いやはや滑稽。確かに人の技ではないよ...。」


女はそう言って笑いながら、側にあった椅子に俺を座らせ、自身も高級そうな柔らかい椅子に腰を落ち着けると、笑みを浮かべながら言った。


「自己紹介がまだだったな。アタシは『霜葉の魔女』の鳥辺野多嘉子だ。」


それを聞き、俺はホッとした。


危険なのは「悪魔女」と呼ばれる個体で、「魔女」は、政府の魔法関係の公的機関に勤める研究職員の総称だ。性格は特異なやつが多いが、概して真面目な人間が多いと聞く。


「なんだ、魔女か...。」


安堵のあまり思わず声が出る。

しかし、女は再び笑い出す。


「くくく、あっははは。なんだ魔女か、だってさ!いいぞ、これはけっさくだ!」


俺は、何がなんだかわからないながら、彼女が笑い終わるのを待った。


彼女ーートリベノ・タカコーーは、ひとしきり笑うと、俺をじっと見据えて言った。


「お前、名前何てんだ?」


「...ミランガ・カーズだ。」


「じゃあミランガ。アタシと取引しないかい?アタシはお前にエサをやって、住む場所もやるし、この世界のことも教えてやる。対して、アタシがお前に望むのはひとつだけ。」


「...?」


「お前のいた世界の話、聞かせてもらおうか。どうだい?お前にとっちゃ、悪くない話のはずだが。」


「...何か隠していないか?それでは条件が良すぎるような気がするが。」


すると彼女は、俺をうっすらとした笑い顔で見つめて言った。


「簡単な話さ。アタシはお前のいた世界に興味があるんだ。それに、話し相手もいなくて退屈してたんだよ。だから、お前で暇つぶししようと思ってね。どうだい?」


ここまで言われては引けない。というか、あれほど強い魔女の提案を断るだけの度胸も実力も、俺には無い。


俺は、この話もあっさり受け入れた。


それを見てトリベノは、「こいつは使えるぞ」といった笑みを浮かべ、何やら悪巧みを始めたようだった。





こうして俺の、魔女との二人暮らしは始まったのである。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




朝起きると、まずはこの世界での食事の仕方を教わる。

俺の前には、食事と、二本の細い棒が並べられた。


「...この棒は、何に使うんだ?」


「それは『箸』。それで挟んで飯を食うのさ。持ち方はこうだ。」


彼女の持ち方を真似て「箸」とやらを持ってみるが、なかなか持てない。なんとか持ったが、それで飯を挟めるかと言われると、それは到底無理な話だ。

結局、朝飯を食うだけで小一時間かかってしまった。


だが、彼女の料理は言いようのないほど旨かった。ハーマスの学食もなかなかいい味だったが、これには敵うまい。

蒸してふやかした穀類を主食に、何の魚だかは分からないが塩の効いた焼き魚、程よい塩味の茶色いスープ。どれも全く見慣れない料理だったが、これは学ばねば損というものだ。


彼女に教えを請うたが、それはこの世界に慣れてから、とのこと。



続いて、この国の社会の仕組みについて。


これは聞くより見たほうが早い、と一通り注意事項を言い聞かされ、街へ連れ出された。

一通り街を見て回ると、正午あたりになって、この世界の飲食店に連れ込まれた。


目が回るような忙しさだったが、「れすとらん」で出された食事が異様に味が濃く、それでいて絶品だったということだけ追記しておこう。


説明尽くしの一日は、あっという間に終わり、二人で夕食をとっていたとき、俺は、彼女に意を決して聞いた。


「...霜葉の魔女。一つ聞きたいことがあるのだが。」


「ん?なんだい?」


「この世界には、人の技とは思えないほどに精巧な品や、奇妙な馬車や街灯の類がそこかしこにあるが、これらは一体何なのだ?」


「おお、そうだった。説明していなかったね。いいだろう、教えてやる。」


彼女は、淡々と説明を始めた。

...が、自然なその口調とは裏腹に、その内容は恐るべきものであった。





この世界では、魔法はとうの昔に衰退し、「科学」なる学問が発展を始めたらしい。


「科学」とは、本来魔法によって行うような超人的な働きを、おそろしく精巧で細かな部品を組み立てた道具を用いて再現する作業のことらしい。

実際、俺が乗ってきたあの「新幹線」とかいうものも、その「科学」によって生み出された叡智の結晶ともいうべき乗り物の一つで、なんと、雷の力を人工的に作り、制御し、動力としているらしい。

さらに、引くもののいないあの馬車は、「自動車」というらしく、こちらはよく燃える油を燃やし、動力にしているらしい。油を燃やすだけで車輪が動くとは何とも不可解な機構だが、そこにも「科学」で作られたものが関わっているのだとすれば納得だ。


つまりは、個々の魔法適性に頼った魔法に比べ、科学は、学べば誰でも実践できるという長所がある。確かに、それならば一般市民はそちらを選ぶだろう。


だが、そうなれば解せないことが出てくる。目の前にいる、この女だ。


「科学が魔法を追いやったのなら、なぜお前たち魔女は存続しているのだ?魔女と言うからには、なんらかの政府公認の魔法機関に所属しているのだろう。」


そう聞くと、彼女は一瞬キョトンとした顔になった後、心配になるほど大笑いし始めた。


「あっははは、はは、はっはっは、...君、魔女を何だと思ってるんだい。」


「役人と同じようなものだろう?」


そう言うと、彼女はさらに甲高い笑い声を張り上げた。


「や、やめてくれ腹が痛い...!ふふ、あっははは!!いやぁ、こいつは失礼。そんな風に言われたのは初めてなもんでね。」


「?」


彼女は、ようやく落ち着きを取り戻すと、空になった食器を洗いながら言った。


「この世界で魔女ってのはね、君が思ってるようなオフィシャルな存在じゃないんだよ。」


「ならば何なのだ。」


「うーん、自分たちは何なのかと問われて即答できる人間は少ないと思うが。...だが、強いて言うなれば、生き残った異教徒、という感じかな。」


「なるほどな。」


「ほう。なかなか理解力はあるみたいだね。」


「つまりお前たち魔女は、魔法が衰退したこの国で、細々と魔術を継承しながら暮らしている、というわけか。」


「ああ、そういうことになる。もっとも、継承するかどうかは魔女次第だがね。強い魔女の弟子が魔女になるパターンもあれば、スカウトで魔女になる場合もある。」


「スカウトだと?」


「ああ。誰がやっているかは不明だが、ある日突然魔女だと分かっちまうのさ。アタシもそのクチだね。」


「ほう...」


どうやらこの世界の魔女は、俺の知っているものとはだいぶ違う。魔女というよりは、スキル持ちに近いシステムだな。


...しかし、ハーマスでもそこそこの上位成績者である俺をあれ程圧倒するとは、この女、並大抵の実力者ではあるまい。

何の疑いもなくそう思って、


「お前は、魔女の中ではどれくらいの序列に位置するんだ?」


と、何気なく尋ねた。


...だが、彼女はそれを聞いて、少々恥ずかしげに言ったのだ。


「強さ?...はは、それはだな...。誰にも言ってくれるなよ?実はアタシは、魔女の中では一番弱いんだ。」









....何、だって....!?

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