第95話 でも、わたくしはサキュバス ◆――リリアン(キンセンカ)

「一体、どういうつもりなのよ!」


 王宮の廊下。

 目の前では、ショコラがキャンキャン吠え――もとい、ニャンニャン鳴いていた。


「何よ。聖女には何も手出ししていないでしょう? 約束通りだと思うけど?」


 そう返せば、黒猫がキッとわたくしをにらむ。


「そういうことじゃないわ! だっておちびのパパがおかしいの、どう考えてもあんたの仕業でしょう! そんなことして何になるのよ。早くやめなさいよ!」


 ……これだからショコラは駄目なのよ。親が子に及ぼす影響を、全然理解していない。


「しょうがないじゃない。文句は国王に言って。あなただって知っているでしょう? わたくしは男を魅了するの。国王だって、時間差で魅了されてしまっただけよ」


 ショコラは幻惑については何も知らない。それをいいことに、わたくしは嘘をついた。


「話がそれだけならもう行くわ。それと、忘れていないでしょうね? 各所のおやつを持ち出してあんたにあげているのは、誰だったのか。それがなくなってもいいの?」

「お、おやつを持ち出して脅すなんて卑怯よ!」

「そんなことで脅されるのはあなたぐらいのものよ。それじゃ、わたくしは忙しいからもう行くわね」

「あっ、ちょっと!」


 まだ文句を言いたそうなショコラを残して、わたくしはさっさと踵を返した。


 今、わたくしは無事国王を掌握し、後はマクシミリアンと王宮の崩壊を待つだけ。

 だというのに、わたくしは無性にイライラしていた。今も急にひとりになりたくなって、あてもなく王宮をさ迷い歩いていたのよ。

 どこへ向かうかもわからないまま角を曲がろうとして、急にぐいっと腕を引かれる。

 かと思うと、わたくしは廊下の壁にドンッと押し付けられた。


「っ誰!?」


 驚きと怒りでカッと目を見開くと、至近距離にあったのはハロルドの顔だ。


「……っ何の用?」


 こちらをまっすぐ射貫いてくる、鋭い赤茶の瞳。

 なんとなく目を合わせられなくて、わたくしはパッと顔を逸らした。


「何の用、じゃねえ。お前もわかってるんだろう。自分が何をやっているのか」

「ふん。国王陛下をたぶらかしたこと? だってしょうがないじゃない。相手は国王なのよ? わたくしじゃなくても、彼に見初められたいと思っている令嬢なんて腐るほどいるわ。手段が悪くたって、わたくしはわたくしの希望をかなえただけ――」

「じゃあなんで、お前はそんなに苦しそうな顔をしてるんだ?」

「っ……!」


 指摘されて、わたくしは唇を噛んだ。


「厨房に来てつまみ食いをしているお前は、少なくともこんな苦しそうな顔はしていなかったぞ。俺には辛辣で、でも食べ物には目を輝かせて。俺が知っているリリアンという人間は、そんなやつだったが?」

「……なら、あなたの見る目がないのよ。残念ながらこっちがわたくしの本性」


 はん、と鼻で笑うと、ハロルドが目を細めた。


「そうは思わないな。……さてはお前、何か隠しているだろ? 実は実家からゆすられていて、金が必要とか? あるいはユーリをたぶらかせと、誰かに脅されているとか?」


 わたくしは驚いて目を見開いた。


 この男……! 核心とは言えなくても、絶妙に近いラインを当ててくるわね……!


「言え。言わないなら俺は自分で調べに行くぞ。こう見えて意外と人脈はあるんだ。何せ、王宮中の胃袋を握っているからな」


 わたくしはギリッと唇を噛んだ。

 この男は、わたくしの正体を知る聖女アイとだって仲がいいのだ。聞かれたらあの幼くて正直な聖女のことだ。わたくしの正体を、喋ってしまうかもしれない。


 ……かくなる上は。


「なら、教えてあげるわ」

「本当か?」

「本当よ。だから私の目をしっかり見て。それが話を聞く人の態度でしょう?」

「わかった」


 短い返事とともに、ぎろりとつり上がった三白眼の、赤茶の瞳がじっとわたくしを見つめてくる。人相の悪いこの男は、きっと女性にはモテないでしょうね。


 でも……わたくしは嫌いじゃなかったのよ。


「ごめんね、ハロルド。悪く思わないでちょうだい」


 言いながら、わたくしの胸がつきりと痛む。


 ああ……本当は、この男は、この男だけは……手を出したくなかったの……。


 でも、わたくしは、サキュバス。


 次の瞬間、わたくしはカッと目を見開いた。

 国王ユーリの時同様、ハロルドにも一気に大量の魔力を流し込んでいく。

 ただし今は幻惑ではなく、魅了の方だ。


「っ!? リリアン、お前……!!!」


 ハロルドの言葉はそれ以上続かなかった。


 すぐに彼の瞳から光が消え失せ、ずるずるとその場にしゃがみこむ。

 そんな彼を、わたくしはトンッと押した。ハロルドは人形のようにいともあっけなく倒れ、王宮の廊下に仰向けになる。その上に、わたくしはまたがった。

 顔を近づけると、わたくしの長いピンクブロンドがハロルドの顔の周りに垂れ下がる。


 彼の瞳は、虚ろだった。


 強い魅了魔法をかけた場合、人によっては本能のままに生きる獣となり果て、その場でわたくしに襲い掛かってくるような輩もいる。


 なのに、ハロルドはぴくりともその場を動かなかったの。


「あなたって、そんな見た目をしているくせに、意外と紳士だったのね……」


 わたくしは自嘲するように、くっと唇を歪めて笑った。

 わたくしの言葉が、もう彼には届かないことを知りながら。







***

\おやつで釣られちゃうショコラ/

次回更新は通常通り火曜日です!

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