第7話 失ったもの
なぜ彼女は自分の最後を予見できたのか、疑問は残る。
あの数十分の間に何が起こったのか。
それまでは『最後』だと思っていなかったのに急に思い立ったということなのか。
コン、……コン
控えめなノックが響く。
「ウイング、私何かした?入らない方がいいの?」
扉越しに声か聞こえる。
ゆっくりと穏やかに話す声で、昨日のように冷たい声色ではなかった。
「セレン……、昨日の事だけど」
「昨日?昨日はウイング体調が悪くて一日中家にいたでしょう?それがどうしたの?」
『一日中家にいた』
「ウイング?体調が悪いの?もしそうならお母様に電話したほうがいいかも知れないけど」
「あ、いや。違うんだ。大丈夫だから」
「そう?本当に?……私は出かけるけど、駄目そうなら電話してよ?」
「……ぁ、あぁ」
あぁ。と応えようと思ったのだけれど
出た声は思いの外頼りなく、しっかりとした言葉は紡げなかった。
トットッ……トッ……
足音が遠のく。
俺はベッドから降りてカーテンに近づいた。
光の溢れる隙間に手を伸ばす。
そして、少しだけカーテンを開いてみた。
この俺の部屋から見えるのは目の前にある公園と
それに至る玄関からの道。
つまりはここで見ていればセレンが家を出たかどうかが分かるのだ。
そう思って暫く下を見ていると、艶やかな黒髪を高い位置でまとめた少女の後ろ姿が見えた。
そして一瞬こちらを振り返る。
「っ……!」
そして彼女はそのまま公園の手前を曲がり、西の方角へと消えていった。
目があったような気がした。
いや、それが悪いことではないのだが
今の俺にはセレンの瞳を正面から受け止めることは到底出来ない。
「一日中家にいた?」
自分の口から出た言葉にまた驚く。
俺は昨日、セレンと出かけたはずだ。
そしてクレナさんを失った。
それで間違いなかったはずなのだ。
なのに俺の記憶とは違う現象が起きている。
頭の中で考えを巡らせていたが、まとまらない。
頭の中に靄がかかって思考が上手く働かないのだ。
もしセレンの話した内容が本当であるならば
もしも俺の記憶している昨日が間違いであるならば
そこで思った。
『クレナさんはどうなっているのだろう』と
セレンの瞳を見て話す事は難しいが、電話であれば可能かもしれない。
俺はそう思い、携帯を手に取った。
そしてセレンに電話をかけた。
プルル……プルルッ
「ウイング?やっぱり具合悪いの?」
少し焦ったような声、本当に体調を心配してくれているようだった。
「いや、大丈夫なんだけど……、あのセレン。クレナさんなんだけど」
「ん?それは誰の事?」
真っ直ぐに、淀みなく紡がれる言葉。
人を騙そうとしているような声色でもなく、純粋に『知らない』とこちらに伝えてくる。
「セレンの、お姉さんだろ……?」
携帯を握る手に力がこもる。
きっと電波が悪くて、上手く聞こえなかったんだ。
クレナさんの事を忘れてしまうはずなんてないんだ。
ー思い出して欲しかったー
「私、1人っ子だよ……?ウイング、大丈夫?」
昔から、3人で遊んでいたんだ。
身体の弱い俺を2人が面倒見てくれていたじゃないか。
部屋のカーテンだって2人で選んでくれて、家のマグカップも3人で揃えようって買ってくれて、
俺が外に出られるようになった時に、一緒に服も選んでくれたじゃないか。
「ねぇ、ウイング?本当に大丈夫?しんどいなら」
「ごめん。大丈夫。寝ぼけて、たのかな」
これ以上会話は出来ない。伝えたい言葉が喉で詰まり出なくなった。
頭にかかった靄は晴れるどころか、濃さを増した。
電話口でセレンが何か言っていたような気もするが
俺はそのまま電話を切った。
そして、靄が掛かりながらも微かに働いていた思考は
携帯の画面を見て、止まった。
その昔、病気で外に出られなかった俺が
手術に耐え、初めて外へ出ることを許されたまだ少しだけ肌寒かった春の日。
桜が丁度見頃で、花吹雪が舞い始める頃だった。
車椅子に乗った俺を、桜が舞い散る中で手招く2人。
その瞬間を収めた画像を、携帯の待受にしていたはずだった。
何度見直しても、そこにはセレンしかいない。
丁度画面を中央で二分して、左右に2人を捉えていたはずだったのに
左側に写る手を振るセレンと
右側には、不自然にしたから上へと舞う桜吹雪
ーそこにはクレナさんがいたはずだったのにー
「いないなんて、そんな事はない。そんなはずはないんだ」
強く携帯を握りしめる。
発した言葉は静寂の部屋に響くだけで頼りない。
直面した問題を解決する糸口にはなり得ない。
止まった思考では、もう解決のしようがなかった。
これ以上考えても無駄なのだ。
ずっと繰り返してきた世界は無駄だったのだ。
『セレンを救いたい』
『セレンを救って、伝えきれなかった思いを伝える』
そう誓って今日まで紡いできた。
けれど、セレンを救う手立ては見つからず
イレギュラーな出会いだったクレナさんすらも
俺は失った。
少しだけ見えたはずだった希望の光は
実在しないものだったのだろう。
きっと俺がそう錯覚しただけのものだったのだろう。
「俺は、あと、何回大切な人を失えば、抜け出せれるのかな」
頬を一筋、涙が伝う。
止めようとも思わない。
その気力さえ、もう湧いてこないのだ。
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