新入生キャンプ編
第60話 ハチ公、ゴールデンウイーク明けにご主人様と会う
五月九日、月曜日。
長期休暇であるゴールデンウイークが終わり、学生や社会人が憂鬱な気持ちになりながら学校、会社に向かう中、八神狛哉はそういった青色の感情とは無縁の気分で高校に向かうバスに乗っていた。
連休によってリフレッシュした彼の表情は実に晴れやかで、久しぶりに学校に行くのが楽しみで仕方がないといった雰囲気であるが……それ以上に期待しているものが、彼にはある。
バスがゆっくりと速度を緩め、停留所へと止まり、開いたドアから乗り込んできた少女の姿を目にした狛哉は、今まで浮かべていた以上に明るい笑みを彼女へと見せながら、朝の挨拶をした。
「おはよう、森本さん。久しぶりだね」
「おはよ、ハチ。あんたは妙に元気ねえ……」
他の乗客たちと同じく、休み明けの憂鬱さを感じさせる気怠い表情を浮かべていたその少女……森本こだまは、狛哉からの挨拶に呆れたような笑みを浮かべてそう応える。
そのまま、彼の隣へと小柄な体に見合わぬ大きなお尻を下ろした彼女は、ニコニコと笑う狛哉へとからかい半分の言葉を投げかけた。
「随分と嬉しそうじゃない。ご主人様に会えるのがそんなに待ち遠しかった?」
「え? あ~……うん。久しぶりに森本さんと会うの、楽しみにしてたよ」
出会って早々に投げかけられた言葉を、深く考えずに肯定する狛哉。
この質問に対して彼が慌てふためくと思っていたこだまはあっさりと自分と会うことを楽しみにしていたと言ってのけた狛哉の反応に面食らうと共に、込み上げてきた気恥ずかしさに言葉を失ってしまう。
「……あんたねえ、どうしてそうこっぱずかしいことを堂々と言えるのよ? 馬鹿なんじゃないの?」
「えっ? 僕、なんか変なこと言った?」
「黙りなさい、バカハチ。これ以上余計なこと言ったら、おしおきするわよ」
「わふぅ……!?」
理不尽な、とは思いつつもこだまの機嫌を損ねたらひどい目に遭うということを理解している狛哉は、それ以上は何も言わずに口を噤んだ。
出会ってから僅か一か月程度で形成されたご主人様と犬という自分たちの関係性に一瞬だけ思いを馳せた後、狛哉は話題を切り替えるべくこんなことを彼女へと言う。
「楽しみといえば、もう少ししたら新入生キャンプだね。クラスのみんなともっと仲良くなれそうだし、わくわくするなぁ……!」
「はっ! 野外でカレー作ったりテントに泊まったりハイキングするだけの行事の何が楽しいんだか。でもまあ、入学してから初めての学校行事だし、あんたが浮足立つ気持ちはわかるけどね」
目前にまで迫った新入生キャンプに対する感想を述べる狛哉とこだまは、それなりに楽しく会話をしながら学校へと向かっていく。
やがて学校前の停留所で止まったバスから降りた後、周囲に人がいないことを確認したこだまは横を歩く狛哉へと小さな声で語り掛けた。
「……キャンプの班、男女二名ずつってのは知ってるわよね? メンバー、決まってるの?」
「え? まだだけど、それがどうかしたの?」
「……鈍いわね、バカハチ。そこはご主人様にお願いして、僕と組んでくださいって言うところでしょうが」
はあ~、と盛大にため息を吐きながら狛哉へとダメ出しするこだま。
なんとも横暴な、と言いたくなる場面ではあるが……彼女のことをよく知る狛哉は、こだまが何を言いたいのかがわかっていた。
今の発言は、強気で我がままで他人に対して弱味を見せようとしないこだまなりの遠回しなお誘いなのだ。
そもそもの話、こうして話を切り出すこと自体が彼女にとってはひどく珍しいことで、相応の信頼を置いている相手でなければ絶対にこんなことを言ったりはしない。
短い付き合いながらも、あれやこれやの出来事によって彼女の性格を熟知するようになった狛哉は、こだまの言葉の裏に隠れた真意を読み取ると、笑みを浮かべながら彼女へと言う。
「ありがとう、森本さん。誘う女子のあてがなくって困ってたんだ、助かるよ」
「ま、そうでしょうね。あんたがほいほい女の子を誘えるようなモテ男だとは思えないもの。飼い犬を思い遣ってあげるご主人様の寛大さをありがたく思うんだったら、せいぜいあたしに楽しい新入生キャンプだったって思わせられるように努力なさい」
この発言を通訳すると、一緒に初めての学校行事を楽しみましょう、となる。
素直じゃないご主人様の態度と、それでも自分を誘おうと努力してくれたこだまの頑張りに苦笑した狛哉は、犬としておなじみの返事で彼女へと応えた。
「わんっ!!」
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