第58話 ご主人様、洒落にならない運動音痴っぷりを見せる

「後ろにしときなさい、後ろ。そっちの方があたしとしては助かるわ」


「……ちなみに、そう判断した理由は?」


「顔を見ると気まずくなるでしょう? だったら、お互いに相手がどんな反応してるかわからない状態にした方がいいじゃない」


 説得力がある意見を口にするこだまであったが、実は自分が反復横跳びでへろへろになっている表情を見せたくないというのが本心であり、今しがた述べた理由は後付けである。

 まあ、全くのでまかせというわけでもないわけで、狛哉もその意見に納得したお陰でツッコまれることもその本心に気付かれることもなかったようだ。


「言っておくけど、あたしのお尻ばっかり見て、ちゃんとカウントできてませんでしたなんてことになったら……わかってるわよね?」


「そんなことしないよ! いや、あんまり説得力ないかもだけど、信じて!!」


 一応、そうやって狛哉に釘を刺しつつ(意識させたともいう)、彼に背中を向けて中央のラインを跨ぐようにポジションを取り、足を開いたこだまが息を吐く。

 彼女が準備を整えたことを見て取った狛哉は、手にしたストップウォッチのボタンに指を当てつつ、こだまへと開始の合図を出した。


「よ~い、スタート!」


「ふぬっ! にゅっ! んんっ!!」


 そうして始まったこだまによる二十秒間の反復横跳びであるが……何というか、彼女は実に不格好な横っ飛びを見せている。

 腕と脚の動きが不揃いというか、軽快とは程遠い跳躍というか、リズム感が皆無というか、一目でこいつは運動音痴なんだな~、ということがわかってしまう動きで左右に動き回るこだまのことを、一瞬だけ憐憫の眼差しで見つめる狛哉。


 だがしかし、ここで彼女の妙な動きに唖然としていたせいでカウントを忘れたとあっては、色んな意味でこだまに怒られかねない。

 本当にお尻を見つめていてカウントを忘れたんじゃないかと疑われるのも嫌なので、きちんとやるべきことはやろう……と考えた狛哉は、しっかりとこだまの足がラインを超えているかどうかを見定めるように彼女の足元へと視線を向けた。


(きちんとラインは踏んではいるんだけど、動きがびっくりするくらいゆっくりだなぁ……本当に運動が苦手なんだろうな……)


 体格に見合った短い脚を一生懸命に動かしてラインを踏み越えるこだまであったが、やはりその動きは実に緩慢だ。

 しかも、十秒を超えた辺りでスタミナが尽きてしまったのか、更に動きがスローになってきている。


「はぁっ、はぁっ、ぜ~っ、ぜ~っ……!」


「森本さん、頑張って! あと十秒くらいだから!」


 冷静に考えれば、なんでたった二十秒の反復横跳びだけでここまで疲弊するのかがわからないが、目の前で疲れ果てているこだまの姿を見た狛哉はついつい彼女のことを応援してしまっていた。

 彼からの声援に応える余裕もなさそうなこだまはそのまま残る十秒に全力を尽くし……終了の合図と共に、その場にばたりと倒れ込んだ。


「はぁ、はぁ……っ! つ、疲れた……!!」


「お疲れ様、森本さん。少し休んだら、二回目の計測にいこうか」


「は、ハチ、あんたねえ……! 今のあたしに、同じことができると思ってんの? あんた、あたしを殺すつもり?」


「この程度の運動で殺すとか死ぬとか大袈裟だよ。一種目につき二回の計測を行うのがスポーツテストのルールなんだから、文句を言ってないで早く――」


 ぜぇはぁと息を荒げて自分へと文句を言うこだまに対してそう返そうとした狛哉であったが、彼女が割と本気で洒落にならない疲れっぷりを見せていることに気が付いて口を閉ざした。

 まさか、ここまで壊滅的な運動音痴である上に体力もないだなんて……と、自分の予想を遥かに下回る身体能力を見せたこだまの様子に大きくため息を吐いた彼は、仕方がないかといった様子で彼女へと言う。


「わかったよ。二回計測したってことにしておくから、これでテストは終わりにしよう。お疲れ様、森本さん」


「ええ、そうしましょう。あたしたちは全部のテストを恙なく終えた、そういうことにしておきましょう。ハチ、あんたの行いはご主人様を救ったわ。もっと誇っていいわよ」


 全身から力が抜けているへろへろの姿を見せながら、生まれたての小鹿よろしく足をガクガクと震わせながら、ようやく立ち上がったこだまが実に感情を込めた声で言う。

 大袈裟な……と一瞬思った狛哉であったが、彼女からすると今の発言には何も誇張されていないんだろうなと思い直した彼は、老婆のような足取りで体育館の入り口へと向かうこだまを追いかけ、その身を案じて言葉をかけた。


「大丈夫? 少し休んでから教室に戻った方がいいんじゃないの?」


「平気よ、平気……ただ、水を飲ませて。こうなると思って、スポドリを買っておいたから……」


 入り口付近に先んじて置いておいたペットボトルを手に取り、そのキャップを捻りながら応えるこだま。

 壁に背を預け、ぷるぷると震える手でボトルを掴んだ彼女は、スポーツドリンクを一気に煽るべく大きく手にしているそれを傾けたのだが――


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