第2話 ハチ公、ご主人様と再会する

「あ~、え~、あ~……」


「……何? 言いたいことがあるなら、はっきり言えば?」


「いや、その、えっと……」


 それから一時間と数十分後、狛哉は自分の運の悪さを心の底から呪っていた。

 視線を泳がせながら狼狽する彼の目の前には、バス内で痴漢の被害に遭っていた彼女の姿がある。


 神の祝福か、あるいは悪魔の呪いかはわからないが、狛哉は朝方実に気まずい別れ方をした彼女と同じクラスになり、しかも前後の席というかなり近しい接点を持つ羽目になってしまっていた。

 まさか彼女とこんなに早くに再会を果たすことになるとは……と、動揺を隠し切れずにいる彼へと、半身になって顔をこちらに向ける彼女が苛立ちを隠すつもりのない声で言う。


「あ~だのう~だの呻き続けないでよ、犬の遠吠えじゃああるまいし。あんた、体は大きいのにうじうじし過ぎじゃない?」


「ご、ごめんなさい……」


 一目で強気だとわかる顔付きと、歯に衣着せぬはっきりとした物言いをする彼女は、あらゆる面が狛哉とは真逆だ。

 ふんっ、と呆れた様子で鼻を鳴らした彼女は狛哉から視線を逸らしてそっぽを向くも、体はまだ半身の構えを取ったままである。


 一応、話を聞いてくれるつもりではあるんだな……と、キツいようで優しさもある彼女の対応に気が付いた狛哉は、頭の中で言いたいことを整理してから口を開き、彼女との会話に臨んだ。


「森本さん、だったよね? 僕は八神狛哉。その、朝のことだけど……」


「……あたし、あんたに励ましも慰めの言葉もいらないって言わなかった? もう忘れたの?」


 森本もりもとこだま、それが彼女の名前だ。

 小さな体とかわいらしい見た目からは想像もつかない険しい表情を浮かべる彼女は、下から見上げるようにして狛哉を睨みつけながらドスの効いた声で彼を責め立てている。

 かわいいが恐ろしい雰囲気を醸し出すこだまに気圧されながらも、ここで口を閉ざしては更に彼女を苛立たせるだけだと自分に言い聞かせて頭を下げた狛哉は、真摯な表情で謝罪の言葉を述べていった。


「……ごめん。色々と僕が下手な真似したせいで、森本さんを傷つけちゃったみたいで……」


「……何であんたが謝ってんのよ? 確かに余計なことはしたけど、悪いことはしてないでしょうに」


「でも、僕がもっと早く間に入っていれば、森本さんも嫌な思いをせずに済んだと思うし、あいだっ!?」


 もっと早く痴漢に気が付いていれば、もっと早く自分が決断できていれば、こだまの心の傷を少しでも軽くできたのではないだろうか?

 そう考え、自分の行動の遅さを謝罪した狛哉であったが、こだまはそんな彼の額を指で弾くと、これまでよりも一層機嫌を悪くした表情でこうまくしたてる。


「いい? よ~く聞きなさい。あんな痴漢なんてどうってことないわよ。入学式に遅刻したくなかったから見逃してやっただけで、そうじゃなかったら思いっきり蹴っ飛ばした後で警察に突き出してるんだから。あんたに助けてもらわなくたってあたしは自分一人でどうにかできてた。あたしはあの程度のことで傷ついたりなんかしない。だから、励ましとか慰めの言葉なんて必要ないの。理解できる?」


「ああ、えっと、はい……」


「結構。そういう理由であんたにああ言ったわけだけど、謝罪の言葉なんてもっといらないわ。悪いことをしてない奴から謝られても気分が悪くなるだけよ。だからこれ以降、あたしにこの件のことでごめんだとか僕のせいでだとか言うんじゃないわよ? 次にそんなこと言ったら、あんたをあの痴漢だと思って蹴っ飛ばしてやるから」


「は、はい! わかりました!」


「ふんっ! ……まったく、とんだ駄犬ね。この程度のこと、言われなくても理解しなさいよ」


 若干の暴言を織り交ぜつつ狛哉にそう言ったこだまが再びぷいっと彼から顔を逸らす。

 この強気な少女に対して苦手意識を持ちつつある狛哉がわかりやすく凹む中、とある男子生徒がこだまに声をかけてきた。

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