第五章 新たな始まり

 何とか人一人通れる穴を開けると、二人は坑道から出た。そこは山の斜面で、見れば見覚えのある山が見えていた。


 二人は斜面を下りると、目の前に国境沿いにある駅がそこにあった。辺りはまだ暗く、かがり火が周りを照らしていた。


「駅だ……」


 どうやら山を一つ越えたらしい。だいぶ歩いていたが、こうして坑道の向こう側に出るというのは、不思議な感覚だった。


「早く行きましょう。誰かに連絡を取らないと」

「ああ、そうだな」


 クラウスが前に歩き出そうとした。すると彼の体が一気に崩れ落ちた。


「うわあ!」


 彼は足場を踏み外し、斜面を転げ落ちた。ユリカが叫ぶが、何を言っているかわからない。クラウスは重力に従うまま、山を転げ落ちた。


 そうして彼が落ちた場所は、山に作られた街道だった。


「大丈夫?」


 続けてユリカも降りてきた。クラウスが痛む体を起こしながら手を振った。


「ああ、大丈夫だ」


 顔を上げると、そこは見覚えのある場所だった。


「ここって、最初に通った道よね?」


 そこは彼らが馬車に乗って通った道だった。周りを見ると、遠くに駅舎が見えた。国境付近にある駅に間違いなかった。


「やっとたどり着いたわね」

「そうだな」


 二人とも安堵の溜息を吐いた。あとは駅に行ってグラーセン軍と連絡を取るだけだ。


 二人が駅に向かおうと歩き出す。


「失礼。どうかされましたか?」 


 そんな彼らに誰かが声をかけた。彼らが振り向くと、そこに見覚えのある軍服があった。


 それはグラーセン陸軍の軍服だった。何人かの兵士が困惑した様子で二人を見ていた。


 しばらく呆ける二人。そんな彼らを前に兵士たちはますます戸惑った様子だった。


「お二人とも、何かありましたか? 泥だらけですが?」

「すまない。あなたたちは?」

「自分たちはグラーセン陸軍の者です。ビュルテンで災害が起きたと連絡を受けて、今から救援に向かうところなのですが……」


 彼らはフェリックス大尉から連絡を受けて派遣された救援部隊のようだった。


 クラウスはそんな彼らを不思議な感覚で見ていた。オルデンにある参謀本部で会った兵士は、まるで恐ろしい相手のように感じていた。目の前に立っている兵士を見ると、まるで救い主のように尊い存在に思えた。


 自分たちを救ってくれる存在。それだけで彼ら兵士たちが神々しく感じられたのだ。


 戸惑う彼らの前にユリカが立った。彼女は軍籍票を見せた。


「私はグラーセン参謀本部所属。ユリカ・フォン・ハルトブルク大尉です。私たちはビュルテンに派遣されていましたが、今回の災害を受けて、グラーセン陸軍に救援を要請するためにここに来ました」


 彼女の正体を知った兵士たちは一様に驚いた。泥だらけの少女が将校だったのだ。無理もない。彼らはすぐに敬礼をした。


「失礼しました! しかし、道は土砂で塞がっているはずですが、どうやってここに?」


「それも含めて説明したいので、指揮官のところへ連れて行ってくれませんか?」


「はっ! ただちに」


 ユリカに言われて兵士たちは二人を守るように囲みながら、駅の方へと誘導してくれた。

 


「なるほど。秘密の通路があったとは……」


 陸軍が間借りしている部屋の中で、救援隊の指揮官であるキルフェン少佐が唸っていた。少佐はユリカたちを見て驚くと、二人から秘密の坑道のことを知らされた。周りにいた士官たちも似たような顔をしていた。


「出入り口は土砂で埋まっていますが、少し広げれば通れるようになります。そこを通れば街へ行くことができます」

「ありがたい。道が土砂で埋まっていたのでどうしようかと考えていたところだ。ありがたく使わせてもらおう」


 そうと決まれば行動は速かった。少佐の言葉で意を汲んだ士官たちが動き出す。それぞれ打ち合わせをしながら、準備に取り掛かった。


「しかしこの雨の中をよく通り抜けられたな。どこかけがはしていないかね?」

「大丈夫ですわ。心配していただき、ありがとうございます」

「自分も大丈夫です」


 自分たちを心配してくれる少佐にお礼を言うクラウスたち。確かに泥だらけの姿では心配させるのも無理はなかった。


「失礼します! お飲み物を持ってきました! どうぞ!」


 そんな二人に兵士が温めたミルクを持ってきてくれた。二人は受け取ると、その温かさにほっとした。


「そういえばそちらはクラウスさんはシャルンスト家の方だとか」


 キルフェンの目がクラウスに向けられる。やはり軍人である以上、誉ある武門の名は無視できないのだろう。ユリカとは違った意味でクラウスに敬意を示した。


「お会いできて光栄だ」


「こちらこそ。あなたたちを見た時は、救い主かと思いましたよ」

「それはそれは。ならばその期待に応えねばなりませんな」


 笑い声が響く。実際に自分たちに会った兵士たちは救い主のように思えたのだ。


 疲労で気力も落ちていたのだろう。弱り切った精神では誰かにすがりたくもなる。きっとあそこで会っていたのが死神だったとしても、クラウスは同じ気持ちになっていたに違いない。


「……あ」


 その瞬間、クラウスの中に一つの思考が生まれた。パチンと沸き起こったそのアイデアに、クラウスは虜になった。自分でも意地の悪い考えだと思ったが、クラウスはそのアイデアにニヤリと笑っていた。


「少佐。一つお願いがあるのですが」


 クラウスの突然の言葉に少佐が戸惑った。クラウスのニタリ顔が不思議に思えた。


「お願いとは、何かね?」

「とても無礼なお願いだとは思いますが、これはグラーセンとビュルテンの新たな友情を始めるためのお願いです。祖国のためだと思ってください」


 一体何のことだろう。周りの士官たちも怪訝な顔を見せると、彼らにクラウスは思い切って伝えた。


「みなさんには役者になっていただきたいのです」


 その言葉にユリカも含めて、ますます理解できないといった表情になった。




 街に日の出の気配が近づいていた。山の向こうが白くなり、すぐそこに新しい朝が来ることを示していた。この頃には雨も止んでいた。


 街は今も瓦礫でいっぱいだった。動ける男たちは救援と復旧作業に走り回り、女たちは炊き出しで男たちに食事を出していた。


 その光景を見ながら、ラコルトが溜息を吐いた。 


「ラコルトさんも、だいぶお疲れのようですね」


 横からフェリックスが声をかけた。見ればフェリックスもだいぶ泥だらけだった。前会った時より擦り傷が増えた気がした。


「そっちも色男になったな。その顔で舞踏会に出れば、人気者だろうな」


「それは嬉しいですね。国に残した恋人に惚れ直してもらえますから」


 軽口から始まる一日。まだ軽口を言えるだけマシとも言えた。


 復旧作業は停滞していた。雨という悪条件も重なり、思うように進んでいなかった。人手も足りておらず、物資も不足気味だ。


 そうなると人々の間には徒労感が漂い始める。がんばっても結果が出ないというのは、存外馬鹿にできない。人々から働く意欲を失うのだ。


 その影響が出始めていることにラコルトは気付いていた。昨日からの作業で疲れた男たちも、その動きが鈍くなっているのがわかる。単純な疲労ではなく、目の前への現実に諦めかけているのだ。


 こういう時に何かできればいいのだが、どうすればいいかわからないラコルトも、疲労感を覚えていた。


「あの二人は無事に山を越えられただろうか?」


 唐突にラコルトが呟いた。昨晩送り出したユリカたちが無事に山を越えたか、彼なりに心配していた。


 そして同時に、彼はユリカたちが山を越えて、グラーセンから来る救援隊を連れて帰ってくることを密かに期待していた。


 彼は自分自身を嘲った。あれほどグラーセンと繋がることを恐れていたのに、今はグラーセンからの救いを求めているのだ。おかしな話だと内心で笑った。


「大丈夫ですよ。きっと」


 フェリックスはそう答える。正直彼自身も彼らに戻ってきてほしいと思っていた。彼らが戻って来なければ、街の復興はままならないのだ。


 何より復興できなければ、これまでこの街で行ってきた活動が水の泡になってしまう。自分や部下たちの働きが無に帰すのは、本意ではなかった。


 街に人々の姿が出始めた。また一日が始まる。男たちが瓦礫の山に立ち向かおうとした。


 その時だ。遠くから『足音』が聞こえてきた。


 その足音に誰もが怪訝な顔をした。一体何の足音なのだろう。ラコルトも不思議そうに音のする方を見た。


 その時、山から朝日が姿を現した。眩しい光が街を照らす。誰もが眩しさに目を細めた。


 その朝日の光と共に、山から多くの男たちが姿を現した。


 それはグラーセン陸軍の救援隊の姿だった。


 誰もが目を見張った。朝日を背に降りてくる彼らを、街の人々は仰ぎ見た。まるで救世主が下りてくるように。


 ラコルトが思わず立ち上がる。グラーセン陸軍の救援隊が列を成してやって来る。彼らは背に大きな荷物を背負っており、その姿は泥で汚れていた。


 そして、その彼らの前にクラウスとユリカがいた。彼らは救援隊を先導し、街までやって来るのが見えた。


 ラコルトもフェリックスも、その場にいた街の人々が誰もが救援隊に釘付けになった。


 救援隊がその場で整列する。指揮官であるキルフェンが一歩前に出た。


「我々はグラーセンより派遣された救援隊である! 誰か責任者はいないか!」


 キルフェンの声が響き渡る。街の人たちが戸惑う中、ラコルトが一人、キルフェンに近寄った。


「失礼、私がこの場での責任者だ」


 ラコルトが言葉をかけると、キルフェンが感極まった顔で彼の手を握った。


「よくぞ、ご無事で」


 大袈裟なほど喜ぶ少佐。その様子にラコルトは戸惑いつつも、不思議な感覚に襲われた。それは今までになかった安堵感だった。


 すると少佐は将兵たちに向かって叫んだ。


「これより救援作業に取り掛かる! 手の空いているものはとにかく復旧作業にかかること! 衛生班はけが人の治療に専念すること!」


 あれこれ指示を飛ばすキルフェン。そして最後に彼は言った。


「我々はこれより『戦友』を助ける! グラーセン軍人は友を見捨てないということを、その身をもって示せ! いいな!」


 その場にいる誰もが聞こえるように叫んだ。ビュルテンを『戦友』であると。


 その瞬間、街の人々の間で歓声が上がった。それは喜びの声。歓喜の雄叫び。


 ラコルトは市民を見た。男も女も関係なく、その顔は救援隊を歓迎していた。よく来てくれたと、心の底から安心していた。


 人々が歓呼の声でグラーセン軍を迎える。その光景をクラウスとユリカがニタニタと笑いながら見ていた。




 グラーセン軍の加入で復旧作業は一気に加速した。その日一日で瓦礫の撤去作業は大幅に進み、街はある程度復旧された。衛生班が加わったことで本格的な治療も始まり、治療を待っていた人々にも医療品が支給されるようになった。


 夕刻、街は久方ぶりに笑い声が聞こえるようになった。活動を終えたグラーセン軍を歓迎するように市民が彼らを食事に誘ったのだ。軍人も市民も関係なく、笑い声が街を包んでいた。女たちは軍服姿の若い兵士を囲み、兵士も浮かれたように笑みを零していた。中には救援隊が持ってきたビールを持って、競うように飲み交わし始めた。


 その光景をラコルトは、じっと見つめていた。


「お疲れ様です。ラコルトさん」


 そんな彼にクラウスが声をかけた。その手には二人分のコップが握られていた。


「無事だったか。よく戻ってきてくれた」

「ええ、おかげさまで。坑道のおかげで彼らを連れてくることができましたよ」


 クラウスを見ると、前見た時より汚れていた。余程急いでいたのか、顔も泥で汚れていた。


「なんとか作業も進みそうですね」

「……そうだな。お前さんたちが持ってきてくれた物資でみんなお腹いっぱいになっているようだ。助かるよ」


 グラーセン軍は大量の食糧も持ってきていた。彼らはそれを惜しみなく街の人々に振舞い、みんなで食べていた。久しぶりに食べるであろうグラーセンの味に酔っていた。


「しかし、何故戻ってきたんだ? 二人ともあっちで休んでも良かったんじゃないか?」


 それはふとした疑問だった。確かに彼らを連れて帰る必要はあったが、別にクラウスたちは戻って来る必要はなかった。あちらで休んでも誰も文句は言わないはずだ。


 そんな疑問だったが、クラウスはその疑問に微笑みながら答えた。


「だって約束したじゃないですか」


 彼はそう言いながら、その手に握られていたコップをラコルトに差し出した。


「二人でグラーセンのビールを飲み交わそうって」


 コップに注がれていたのは、グラーセンから運ばれてきたビールだった。クラウスはラコルトとの会談で、いつかビールを飲み交わそうと約束していた。彼はその約束を果たすために戻ってきたのだ。


「グラーセンではビールは一人で飲むものではなく、友人と飲むものなんですよ」


 その言葉に目をパチクリとさせるラコルト。しばらく呆けていると、彼はその手でコップを受け取った。そのコップにクラウスはチン、と自分のコップをぶつけた。


 無言の乾杯。ラコルトはそれを見届けてから、ゆっくりとビールを飲んだ。


「いかがですか? グラーセンのビールは?」


 クラウスが問いかける。ラコルトは噛み締めるようにビールを味わった。


「……やはり、うまいな。グラーセンのビールは」


 もう一度ビールを飲んだ。それを見て、クラウスもビールを飲んだ。


「ありがとう。感謝する」


 ラコルトが呟いた。それを聞いていたクラウスはコップを掲げて微笑んだ。


 街では今も笑い声が響いていた。グラーセンの若者も、ビュルテンの若者もビールを飲み合いながら、お互いに笑みを零していた。その光景を目を細めながらラコルトが見つめていた。


 その様子を遠目でユリカが見ていた。彼女は静かに微笑んでいた。



 翌日の目覚めは特別なものになった。遠くで鳴り響くラッパの音がクラウスを起こしてくれた。


 それは街に駐屯するグラーセン軍の起床ラッパの音色だった。どこにいても軍人はラッパで起きるのだなと、クラウスはぼんやりと考えていた。 


 それから身支度を終えると、彼は部屋から出た。そこにはフェリックスとユリカがいた。


「おはようございます。目覚めはいかがですか?」


「おはようございます。ラッパで目覚めるのも悪くないですね」


 軽口で始まる朝の挨拶。久しぶりの感覚だった。


「ッパで目覚めるのは久しぶりだわ」


 ユリカの言葉にフェリックスが苦笑いを浮かべる。当時の辛い訓練を思い出しているのか、曖昧な笑みを見せていた。するとフェリックスの視線がクラウスに向けられた。


「今、お嬢様からお話を聞かせてもらいましたよ」


「何のことです?」


 クラウスはとぼけるのだが、そんなことお構いなしにフェリックスが話し続ける。


「この街にやって来た部隊の皆さんにお願いしたそうですね。『わざとらしく、急いできた風に演技してほしい』と」


 昨日街に到着した救援隊の姿を思い起こす。誰もが泥で汚れており、息を切らせており、背中には大きな荷物を背負っていた。余程急いでいたのか、息を切らせていた。


「最初は不思議に思いましたよ。何せ『銃も持たず』に物資だけ背負ってやって来たんですから。けれど、お嬢様からお話を聞いて納得しました。銃を持たせないのも、わざとらしく急いでやって来たのも、全ては救援隊にお願いした演技だったのだと」


 横で聞いていたユリカが笑みを零す。クラウスは肩をすくめながらフェリックスに答えた。


「あれくらい急いでやってきた風に見せれば、グラーセンに対する印象も良くなると思いましたから。実際救世主に見えたでしょう?」


 クラウスがしてやったりという感じに笑った。


 キルフェン少佐にお願いしたのは、銃を持たずに急いで走ってきた風を装ってほしいというものだった。クラウスの狙いは、救援隊の印象をより良くするための演技だった。


 人間弱り切った時に手を差し伸べれば、たとえそれが悪魔でも救い主に見えるものだ。だとすれば、ただでさえ困り果てている市民は、到着した救援隊を歓呼の声で迎えると考えたのだ。


 さらにクラウスは救援隊の働きで、市民全体の支持を勝ち取ることを考えた。


 市民全体を味方に付けることで、グラーセンとの距離を縮めようと考えたのだ。


 クラウスは少佐に言った。役者になってほしいと。まさに少佐をはじめとした救援隊は、見事に役者になり切って、市民の支持を獲得することに成功した。


 横で聞いていたユリカが面白そうに笑っていた。


「あの時の少佐の顔、忘れられないわ。あなたの話を聞いてキョトンとしていたもの。あなた、役者だけじゃなくて、劇作家の才能もあるのね」


「さてね。私より役者の出来がよかったんだろう。おかげで街の紳士淑女が彼らに首ったけになっているからね」


 クラウスの言うとおり、街の人々は救援隊の姿を仰ぎ見るようにしていた。女たちは頬を染めながら若い兵士を見つめるし、男たちはそんな彼らを酒に誘っていた。子供たちに至っては英雄を見るような顔になって、彼らに可愛く敬礼している。


 今日も救援隊は現場に向かって行進していく。彼らの両脇には、英雄たちを見守る市民たちの姿があった。


 目論見は成功した。クラウスは満足そうに笑うのだった。


「これでラコルトさんからもいい返事がもらえればいいのだけれど」


 ユリカが呟く。確かにそこだけが関門ではあったが、しかしクラウスは笑みを返した。


「ああ、それは大丈夫だろう」


 何気ない答えにユリカもフェリックスも首を傾げる。


「彼とはビールを一緒に飲んだからね。だから大丈夫さ」

「…………」


 クラウスの答えにユリカたちはよくわからないと無言で睨んだ。するとクラウスは笑みを返した。


「ビールは人の心を結びつける。だから、きっと大丈夫さ」  


 人はビールに恋をする。グラーセンでの格言だ。クラウスはラコルトと二人でビールを飲み交わしたのだ。だから、ラコルトはきっと許してくれる。クラウスはそう信じていた。


 そんな彼の言葉を受けて、ユリカたちが声を上げて笑った。


「ふふ、そうね。ビールがあるなら大丈夫よね」

「ええ、きっと大丈夫ですよ」


 クラウスも一緒に笑う。朝日の中、三人の笑い声がこだました。

「さて、それなら私たちも仕事に戻りますか。復興が進めば今度こそ鉄道計画を進めないといけませんからね」


 街の復興を助けるためにも、グラーセンとの鉄道計画は必要となるはずだ。より急がなくてはならない。


「まずは予算やルートなどを改めて考え直さないといけません。頭が痛いですよ」


 フェリックスが困ったように笑う。


「あ、そうだ大尉」


 その時、クラウスが思い出したように声を上げた。


「実は鉄道の計画について、一つ提案したいことがあるのですが……」


 


 数日後。街は平穏を取り戻した。あれから土砂で埋まっていた道を復旧させ、別動隊も街に到着した。またビュルテン軍の救援隊も街に到着し、両軍の共同作業で街の復旧が行われていた。


 人の数が増えたことで、街の人々もいつもの生活に戻ることができ、街に日常が戻ってきた。


 この日。シュライヤーの屋敷にクラウスたち。そしてラコルトが招かれていた。


「ひとまずはお疲れ様です。色々と大変でしたが、なんとかなりそうです」


 シュライヤーも連日働き通しだったのだろう。こうして腰を落ち着けるのも久しぶりのはずだ。彼はお互いを労った。


「ユリカ様には特にお礼を。グラーセンから救援隊を連れて来てくれたことで早く復旧が進みました。街の人たちからもお礼の声が上がっていますよ」


「あら? その言葉はあとで彼らにお伝えくださいませ。私は冒険を楽しんだだけですから」


 二人の笑い声が響き渡る。クラウスも一緒になって笑っていた。


「私からもお礼を言わせてもらおう」


 ラコルトも口を開いた。


「グラーセン軍の働きは見事なものだった。これほど心強いと思ったのは初めてだ。彼らの存在は実にありがたかった」


 そう言って、彼はクラウスに視線を向けた。睨むような視線だったが、そこに敵意はなかった。


「もう認めざるを得ないだろう。今回のことを考えれば、グラーセンとの鉄道の敷設は必要不可欠だ。市民にもよくしてもらっていると聞いている。市民の間にはグラーセンとの繋がりを求める声が高まっているようだ」


 侵略者として警戒していたグラーセン軍が、今や彼の中では救世主となっていた。何より市民の支持を前にして、ラコルトに反対する理由がなくなっていた。


「ラコルトさん。それでは……」


「グラーセンとの鉄道を繋げる計画を支持しよう。他の議員にも声をかけてみようと思う」


 クラウスとユリカが笑みを交わした。騙したような気分ではあるが、クラウスの計画は成功したのだ。グラーセン軍は見事彼らの心を射止めたのだ。


「さて、そうなるとどうやって線路を繋げるかだが……」


「あ、ラコルトさん。一つよろしいですか?」


 クラウスが手を挙げる。何事かとラコルトが目を向ける。


「実はラコルトさんに一つお願いがあるのです?」


「ふむ……まあそうだろうな。鉄道を繋げるには色々必要なものがあるだろう。何が必要だ? やはり鉄か? 金か? それとも働き手か?」


 鉄道にはどうしても金も物資も必要になってくる。一体何要求してくるか、シュライヤーも耳を傾けた。


「実は、あの時使わせてもらった坑道なのですが、あそこに線路を置かせていただきたいのです。どうでしょう?」

「……何?」


 クラウスからの意外な言葉にラコルトもシュライヤーも驚いていた。


「お前たちが通った坑道をか? なんでまた?」

「実は以前から考えていた計画では、予算も物資も厳しいものになっていました。それであの坑道を使うことを考えると、計画が容易に進みそうなんです」


 クラウスたちが通った坑道。そこに鉄道を通す。そのことをフェリックスに提案したところ、フェリックスは驚くと同時にすぐに調査に向かった。


 坑道はしっかりしたもので、工事も少しで済みそうだった。何より出口が国境線近くの駅にあったので、鉄道を繋ぐには好条件だった。


「あなたたちが残してくれた坑道はとても良い物でした。ぜひ使わせてほしいのです。いかがですか?」


 かつて帝国とビュルテンを繋げるために作られた道。それを今、グラーセンとの間を繋げるために復活させるのだ。当時、こんな使われ方をされるとは想像もしなかっただろう。


 話を聞いていたラコルトは少し思案した後、クラウスに顔を向けた。


「別にかまわんよ。使えるものは何でも使うといい」


 ラコルトが微笑みを浮かべた。その言葉にクラウスもユリカも一緒に笑った。


「しかし、こうして考えると、私のような人間はこの時代には不要なのだろうな」


 突然そんなことを言い出すラコルト。彼は横にいたシュライヤーに顔を向けた。


「シュライヤー卿。私は議員を引退しようと思う」

「え? 引退ですか?」


 驚くシュライヤーに頷きを返すラコルト。


「今回のことで、これからは新しい時代が来ることになる。これからは若い人間の時代だ。それなら私のような古い人間は邪魔になるだろう。少し予定は早いが、議員は辞めることにする」


 見事な引き際だった。ここまであっさりと引退を決意するとは、シュライヤーも想像していなかったのだろう。


 ラコルトは新しい時代の到来を感じていた。そこに自分の居場所はないことも。


 引退後のことを考えているのだろう。笑いすら込み上げているラコルト。


「ラコルトさん。一ついいですか?」


 そんな彼にクラウスが声をかけた。


「それならば、もう一つお願いがあるのですが、いいでしょうか?」


 ラコルトが怪訝な顔を見せる。これ以上何を求めるというのか?


「何だ? これ以上何が必要なんだ?」

「実はビュルテンに鉄道を繋げるにあたり、こちらの方で会社を作ってほしいんです」


 会社という言葉にラコルトたちはますます怪訝さを増した。そんな二人にクラウスはさらに続けた。


「ビュルテンで鉄道会社を作っていただき、ビュルテン国内の敷設や運営をそちらにお任せしたいと思っているんです。ラコルトさん。あなたにはその会社の経営者になってほしいんです」

「私が経営者?」


 戸惑うラコルト。何故、という疑問が彼の頭を支配した。


「しかし我々には鉄道の知識は全くない。できるとは思えないが」


「そこはグラーセンから技術者を招いて、鉄道について指導してもらうよう考えています。その代わりに、ビュルテンからは坑道、つまりトンネル工事の技術を我々に教えてほしいんです」


 クラウスたちが見た坑道は、今でも十分通用する代物だった。その技術はグラーセンから見ても実に魅力的な技術だった。今も続いているグラーセンでの鉄道工事で、必ず役に立つ技術だ。


 グラーセンからは鉄道の技術を。ビュルテンからはトンネル工事の技術を。お互いに与え合うことで成り立つ取引だった。


「こちらからビュルテンへ鉄道技術を与え、鉄道会社を作る。そうすることで新たな産業、新たな雇用が生まれ、経済的にビュルテンには恩恵がもたらされるはずです。逆に我々はビュルテンの技術を手に入れられれば、いずれ帝国全土の工事に役立てることができる。お互いにとって損はないと思いますが?」


「グラーセン政府もこの案には好意的です。株式を発行していただければ、我がハルトブルク家からも融資をする用意があります。きっと誰もがお金を出してくれるはずですわ」


 この時代の鉄道は金のなる木だ。ハルトブルクだけでなく、多くの資産家が投資してくれるに違いない。


 そんな会社の経営者になってほしいと、ラコルトに頼み込んだ。


「ラコルト様。引退する前に、もう一仕事していただけませんか? これからあなたが残すのは、ビュルテンとグラーセン。そしていつか統一された帝国を繋げる、新たな友情の証です。それをこれからの世代に残していただきたいのです?」


 最後に残された仕事。それは新たに始まる歴史への遺産を引き継ぐこと。


 さきほどまで引退を口にしていたラコルト。そんな彼に大それた話を持ち出すクラウスたちを、ラコルトはまじまじと見つめた。


「こんな私にそんな話を持ち掛けるとは、長生きすると変なことが起きるのだな」

「私のおじい様は言ってますわ。長生きの秘訣は、そんな変なことを楽しむことだと」


 ラコルトは目を閉じて少し考えこんだ。それから彼はクラウスにもう一度顔を向けた。


「一つ条件がある」


 ラコルトの言葉にクラウスが身構える。何を要求されるか待ち構えていると、彼は静かに語った。


「議員になってからは妻や家族との時間が少なくてな」


 いきなりそんなことを言うものだからクラウスも面食らう。ラコルトは照れ臭そうに言った。


「グラーセンと鉄道が繋がったら、最初の便に乗せてもらえないか? 家族で久しぶりに旅行に行きたいのだが」


 自分が作った鉄道で家族旅行。実に微笑ましい話ではないか。


 思わずユリカとシュライヤーが忍び笑いをしていた。クラウスは微笑みながら応えた。


「その時は一等客車を用意しますわ」


 その答えにラコルトは笑みを浮かべながら、その手を差し出した。クラウスはその手を握り返す。


 堅く交わされる二人の握手。ここから、また新しい歴史が始まる。小さな始まりだが、しかし大きな歴史の流れ。


 遠くでは人々の笑い声が上がっていた。グラーセン軍とシュガルトの人々との笑い声。もう一度、ここから歴史が始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る