#3

「――以上が、今回の手術の内容になります。目に見える病巣は切除しましたが、リンパ節や他の臓器への転移も見られます。傷が回復次第、化学療法を始めることになります」


 父親の病名は、悪性腫瘍――つまりがんだった。

 わかりやすい自覚症状である腹部の痛みを訴え、検査を受けたところ腫瘍が見つかり、手術を受けることになった。

 そして、開腹の結果がそれだった。

 母親は息を呑んで、医師の話を聞いていた。昴も黙って唇を引き結んでいた。

 こういう時にあるだろう余命の話などもされたと思うが、よく覚えていない。この父親のことで心を動かされたりなどしないと、冷静でいるつもりだったが、動揺せずにいられなかった。

 散々父を疎み、昴が幼い頃から父親の愚痴ばかり言っていたはずの母が泣くのを、昴は冷めた目で見ていた。


 昴はこの状況に、どんな感情を抱いたらいいのかわからなかった。普通なら心を痛めて快復を祈るのが正解なのだろうが、心が凍りついてしまったようだった。

 父のことは嫌いだった。でも、だからと言っていなくなってほしいとまで思っていたわけではない。これ以上、自分の人生に関わらないでほしかった。それなのに、自分には関係ない、そっちで全部やってくれとは言えなかった。

 嫌っていたつもりでも親子の情はあるとか、そんな話ではおそらくない。血縁という、切っても切れない縁があることが、ただただ疎ましかった。

 麻酔から覚めた父親をわずかに見舞って、昴と母親は病院を後にした。

 父が自分の病状をどう受け止めているのかは、わからなかった。

 



「ねえ、昴。週末とか、もっと帰ってきてくれない? わたし一人じゃ、入院中の世話をするのも大変だし」


 再びバスに乗り、実家の近くまで来た。

 バスを降り、家までの道を歩きながら、母が言った。既に日は沈んで、夕食時だった。家に帰るのであろう、スーツ姿のサラリーマンや、制服を着た学生と多くすれ違う。

 住宅街をとぼとぼと歩いていると、あちこちから料理の匂いが漂ってくる。窓から漏れる明かりが、暗闇の中に温かい。

 この明かりの下一つ一つに、共に食事を囲む、温かい家族の姿があるのだろうか。どうして、自分にはそれがなかったのだろう。

 あの家に、この家族の元になど帰りたくない。それでも、母をあの父の元に一人置き去りにしてしまったという罪悪感はある。だが、父のために自分の時間を使うなどまっぴらごめんだと思う自分もいるのだった。


「そんなにしょっちゅうは無理だよ……。バイトだってあるし、大学の課題とかも……」


 昴は断る理由を練り上げる。

 そう、と母は溜め息を吐いて、それ以上は言わなかった。


「……これから、どうなるのかしらね」


 母がぽつりとこぼす。

 その言葉が含む多くの意味がわからないほど、昴も子どもではなかった。

 これからも、昴たちの日常は続いていく。しかし、生きていくのには先立つものが必要だった。入院や治療にだって、少なくはない金がかかる。もしものことがあったら、大学にも卒業まで通うことができるだろうか。

 そう思って、こんなことになっても自分の心配しかできないことに、昴は嫌悪を覚えた。


「……やっぱり帰る。ごめん」


 踵を返し、来た道を小走りに駆け戻る。肩にかけたボストンバッグが重くて邪魔だが、逃げるように足を動かし続けた。


「今から? ちょっと、昴!」


 呼ぶ声がしたが、追ってくる気配はしない。昴は振り返らなかった。

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