【No. 159】結依が夢に出てきた
◆◆ ◆◆ ◆◆
――
――ほら、イルミネーションが綺麗だよ。君にこの景色を見せてあげたかった。
――君の歌声が僕は好きだよ。世界中の皆が君を忘れても。僕がずっと、君を支えてあげる。
――結依君。僕の結依。ゆい……。
――あれ。僕は。僕は誰だったっけ。
――結依は僕の大事な患者だ。あの笑顔を救い出すために僕は生きている。
――ならば僕は医師だったか。それともまだ研修医だったか、医学生だったか。
――彼女は目が見えないのだったか、耳が聴こえないのだったか。僕は何から彼女を救い出すんだっけ。
――だめだ、世界が崩れていく。頼む、誰かあの子を。
結依を、救ってくれ――
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――たのしい。なんだかほんとに、先生とデートしてるみたい。
――見て、先生。イルミネーションがきれいよ。こんな景色をあと何度、わたしは見られるのかな。
――ねえ、先生。わたしが歌えなくなっても、ずっと。ずっとそばにいてくれる?
――こんなこと言ったら困らせちゃうかな。でも、伝えたいの。いつか言えなくなっちゃうから。
――わたし、先生のことが……。
――あれ。せんせい……って。
――あのひとは、何の先生だったっけ。
――わたしを連れ出してくれるのは、だれだったっけ。
――ここはくらくて、さみしいせかいだよ。せんせい、はやく。
結依のこと、たすけて――
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結依はかつて俺が書いていた小説のヒロインだ。アイドル歌手を目指していたが病気で叶わず、今は病室で主人公に慰められながら寂しく死を待っている。いや、最後はちゃんと助かる予定だったのだ。そこまで行き着く前に俺が筆を折ってしまった。ハッピーエンドまでのプロットはちゃんと出来ていたのにな。
このタイミングで久々に彼女を夢に見たのは、俺の心がまだ死んでいないからか。結依の物語を死なせてから二年。アンチから隠れ、かつての仲間とも連絡を取り合うことなく、俺は名義を変えて別のサイトでこっそり執筆を再開している。もちろん書籍化を目指してだ。だが結依の物語の続きを大っぴらに書くわけにはいかない。そんなことをすればかつての読者の誰かは気付き、それはすぐに厄介なアンチ達にも伝わる。だから俺が今書いているのは、ジャンルも文体も以前とは似ても似つかない全く別の作品だ。流石にこれをかつての俺と結び付けられる者はいないだろう。
書いている、などと現在進行系で述べたが、最近は本業も忙しく、もう二ヶ月は新しい文章を書いていない。最新のコンテストも既に始まっているが、決して得意なジャンルの募集でもなく、挑戦するかはまだ迷っていたところだ。本当に書きたいものと異なるジャンルで書籍化したところでその先どうなるものか、という思いと、いや一冊でも書籍化して実績を作ってしまえば後はどうとでもなる、という思いが俺の中でせめぎ合っている。きっとどちらも
最近は正直諦めるほうに気持ちが傾いていた。いや、諦めるという言い方は正確ではないが、必ずしも一年や二年を急ぐ必要はないのではないかと。俺の人生はまだ長い。作家を目指すことはいつでもできる。四十代や五十代でデビューした人も沢山いる。無理に目の前のコンテストに挑戦しなくても、また得意なジャンルで勝負できる機会を待てばいいのではないかと。
だが、結依。このタイミングで夢に出てくるのか。早く救い出してくれと俺に言うのか。結依。俺の結依。刑事ドラマが好きでコーヒーが苦手な結依。小柄な体に白い肌、あどけなさを残した可憐な顔立ち。アイドルを目指して伸ばしていた艶やかな黒髪。まだ誰にも許していない赤い唇。失われかけた澄んだ歌声。在りし日の文化祭のステージで軽やかに
いつか。いつの日か。新しい名義で一冊や二冊と言わず本を出し、アンチにぐうの音も出させない実績を積み上げられたら、その時こそ俺はかつての名義を明かしてもう一度結依の物語を書く。今度こそ最後まで書き切り彼女を幸せにしてやるのだ。誰にも文句など言わせはしない。アンチも編集者も実績でねじ伏せ、俺は結依のハッピーエンドを本にしてみせる。その未来を信じて今は書くのだ。不得手なジャンルでも、険しいコンテストでも。幾度もの遠回りを重ね、今以上の苦渋を舐めても。いつか結依を笑顔にするために。紙の本になった彼女と書店で再会するために。
愛しい結依。俺だけの結依。今すぐには無理だけど、いつか。いつか必ず救い出してやるからな。俺が君を幸せにしてやる。だから待っていてくれ、結依。
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