【No. 009】束の魔の邂逅

あるじ、お久しぶりです』

「トランシェン、か……?」

 見慣れた灰色の鷹が眼前に現れ、俺は信じられずに瞬きを繰り返す。


『はい。今、私は主の夢の中に入り語りかけています。よって、今の私は主が創り出した幻想ではなく、私自身です』

「夢、そうか……俺はいま、“地の結界”の端にいるからな。お前の力が届いたのか」

 納得して呟くと、鷹――トランシェン――は頷きを返す。


『おそらく、そうです』

「また、会えるとは思っていなかったな……」

『私もです』

 俺はトランシェンの頭を撫でようとしたが、手が空を切る。それで、ここが夢の世界なのだと思い知らされる。


  ・・・


 トランシェンは、俺の使い魔だった。魔力の強さと、魔獣の発見能力の高さから他の冒険者たちからは羨ましがられたものだ。俺は魔獣を討伐する戦闘系の冒険者ではなく、世界各国を見て回りたい旅人系の冒険者だから、魔獣をいち早く発見し別ルートをとれるトランシェンの能力は重宝する。


 しかし、世話になったある田舎の村落で、結界の儀式から娘を救って欲しいと懇願されたところから事情が変わった。何の変哲もない村落だったが、そこには突然変異的に強い魔力を持った人間が生まれる。そうした人間を地下深くに張られた結界に置くことで、危険な魔獣を除ける強力な退魔魔法が発動するしかけだった。地下に人を置き去りにするのだから、実質的には生贄である。


 次の生贄には、村長の娘がなると決まっていた。しかし、村長は娘を地下に追いやることを嫌がった。娘を持つ父親としては、当然の感情だろう。俺たちを自宅に泊めてくれた彼は、肩にとまっているトランシェンに目を留めた。


「貴方ほど強力な使い魔を従えている冒険者であれば、代わりとなる魔獣を結界に配置することもできるのではないですか?」

「いや、使い魔は一人につき1体しか扱えない。俺自身か、トランシェンを生贄にするなら話は別だが」

「そんな、旅の方にそこまでお願いすることは……」


 狼狽える村長の後ろに、くだんの娘はいた。12歳と聞いているがまだその表情は幼く、地下送りにするには余りにも不憫に思われた。


『主、私がにえとなりましょう』

 はっきりそう口にしたトランシェンに、村長はばっと顔を上げた。


「使い魔さま、よろしいのですか? しかしそうなれば冒険者様は使い魔を失ってしまうことに……」

「ああ。だがデメリットばかりではない。そうだろう、トランシェン」


 俺が横目で肩に載る使い魔を見やると、彼もこちらを向いてはっきりと頷いた。


『ええ。地下の結界は、贄となる者の魔力に応じて適用される範囲が変わります。私の魔力であれば、この村落のみならず周辺の街区全域をカバーすることが可能です。主も、移動がしやすくなるかと。主に報いるのが使い魔の使命ですから』

「そういうことだ。トランシェンは村に置いていく。そうすれば、村長たちが買い物に降りている市場なんかも、魔獣の被害に遭うことは無くなるだろう。世話になった礼だ」

「過分な施しでございます……!」


 村長は恐縮したようにそう言いながらも、土下座の姿勢で深く頭を下げた。


「本当に、本当にありがとうございます。このご恩は末代まで決して忘れません」

「俺が、この村落を気に入ったまでのことだ。気にする必要はない」


 俺はなるべく平坦な声で答えた。できるだけ、村長に本音を悟られないようにするために。

 ただの使い魔である以上に、相棒として気に入っていたトランシェンと別れることに未練があったのが実際の思いだ。しかし優秀な使い魔であればあるほど、彼ら自身が強い自我を持つ。トランシェンが通した我を、俺が潰してしまうのは相棒失格だと考えたのだ。


 村長にはそんな思いを知られてはならない。だから俺は表情を変えずに、結界がある洞窟の入り口までトランシェンと共に行き、彼を解き放った。これで24時間365日、トランシェンは結界から動けなくなる。


「無事でいろよ」

『はい。主の使い魔です。そう簡単にやられはしません』

「使い魔さまのお世話は、私たちが責任をもってさせていただきます」


 俺はトランシェンが俺の肩から飛び立つのを確認してから、深く頭を下げる村長に軽く手を上げて村落を後にした。絶対に後ろは振り向かないと心に決めながら。


 トランシェンと結界のおかげで、あれから村落近辺の移動は魔獣に遭遇ことなくスムーズにできている。改めて自分の使い魔の優秀さに誇らしい気持ちになりつつ、現状を維持するには彼と共に旅をすることができないのだという現実に打ちひしがれもした。

 結界が適用される範囲の端まで来て、トランシェンが傍にいない日々をより苦く感じ始めたときだ。彼が夢枕に立ったのは。


  ・・・


『主、言葉にしなくても、貴方が考えていることは常にわかります。今でも私のことを想ってくださり、嬉しいです』

「……本当は、お前と二人でずっと旅を続けたかった。二人で、新しい景色を見たかった」

『ええ。私もです』


 目の前の鷹はゆっくりと頷く。


『しかし、私は一方で思ったのです。貴方の傍にいるときは、いつも空を見上げて生きてきました。残りの時間は、地上やその地下深くに目をやって余生を過ごしてみたいと』

「それが、お前の本当の望みか」

『はい。主の傍にいるのと同じくらい、未知なる地下の世界は私にとって魅力的でした。それに、私の結界の及ぶ範囲内であれば、こうして夢を介して主と話すこともできるとわかりました。常に行動を共にすることはできませんが、貴方と完全に分たれたわけではありません。私と主は、今も繋がっています』

「当然だろう。俺の使い魔は、後にも先にもトランシェンだけだ」


 俺はそう応えながら、胸が熱くなるのを感じた。今でもトランシェンとつながっている。その感覚が、俺を安心させた。


『そう言っていただき光栄です。主、またお会いしましょう』

「ああ、またな」


 俺の目覚めが近いのだろう。段々とトランシェンの姿が薄くなり、俺は白い空間に一人取り残された。しかし、昨日までとは全く心持ちが違う。


 別れた相棒と言葉を交わすだけで、こんなにも心が穏やかになるのか。今日はいい日になりそうだ。

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