17:ポニーテールと赤面


「早川さんおはよ」

「おはよう、松木君」

 駅から学校に歩いて登校していると、後ろから声をかけられる。世界史の係を一緒にしている、クラスメイトの男子だ。


「英語の長文やってきた?」

「え、今日までやっけ?」

「いや明日」

「びっくりした……。まだやってない」

「俺も。やってたら見せてもらおうと思ってた」

「自分でしなきゃー」

「あ。早川さんやっぱそういう感じなんや」


 松木が歯を見せて笑う。「そういう感じ?」と首を傾げると「優等生」と茶化して言われ「そんなんやないよ」と笑って返す。


 最近、こういうことが増えてきた。男子が気軽に話しかけてくるのだ。


 これまで自意識でガチガチだった夏帆には、きっと話しかけ難かったのだろう。拓海やその友達と接すことで、男子とも自然に話せるようになってきている。男子と話せないほど自意識の高い自分を、若干コンプレックスに感じていた夏帆は、素直にこの変化が嬉しかった。


 なんとなく流れで一緒に登校していると、昇降口に拓海の背を見つけた。


「――あ、松木君ごめんっ。先に行くね」

「えっ? うん」


 松木に一言断り、夏帆は走った。靴を下駄箱にしまう拓海の背中に、どんと飛びつく。


「おっはよ」

「おー。はよ」


 一日一ぎゅっの義務をこなす夏帆に、拓海は振り返りもせず挨拶をした。そして自分の胸の前でクロスしている夏帆の腕を握ると、拓海はそのまま歩き出した。


「わっ、待っ、靴! 私、まだ履き替えてない!」


 ずるずると夏帆を引きずって歩こうとした拓海に、夏帆は慌てる。手をぶんぶんと振れば、楽しそうに笑いながら拓海は簡単に手を放した。


 こういう、他愛もない悪戯が増えてきた。拓海は楽しそうに、そして少し意地悪く笑っている。


(嫌いじゃない。いやむしろ、かなり好き)


 いい彼氏を捕まえたな。と、夏帆は靴を下駄箱にしまいながら頬を緩ませた。




***




「いいやん、貸してよ」

「重いからやだ」

「取りに行くし」

「面倒だからやだ」

「最近廣井なんなん? 前は普通に貸してくれよったやん」


 登校した拓海が教室に入ると、朝一番から嘉一の席の周りには女子がいた。いつもの福澤、小堀、樋口だ。


「もーいい。コタローに頼む。ねーコタロー。コタローん部屋に置いとってよ。コタローん家に取りに行くから」

 嘉一の横にいた琥太郎が「ん?」と笑みを向けた。

「何冊くらい? 俺が学校に持ってきてあげようか?」

「なんでもかんでも琥太巻き込むなつってんだろ。更に面倒になってんじゃねえか。もういいわ。何巻がいんの」


 どうやら、クラスメイトの女子が嘉一の漫画を借りようとしているらしい。

「はよ」と声をかけると、話し込んでいる二人以外が「おはよー」と返してくる。


「最初からそうやって素直に貸してくれればいいんだよ」

「何様だよ。ゴリラ様」

「誰がゴリラじゃ。答える前に呼んでんじゃねえよ」

「あ、すみません。それ人間の道具でシャーペンって言うんですけど……触ると壊れちゃうんで……」

「だから誰がゴリラじゃ」


 嘉一の座っている椅子の脚を蹴る小堀の髪が揺れる。


『私、もし言われたら普通にしたげるけどなー』


 揺れた髪を見て、以前夏帆が言った言葉を思い出す。付き合い始めた日に、ポニーテールにしてほしいと言った拓海に、彼女はそう言った。

 拓海は突発的に口を開く。


「なあ、ポニテって出来る?」


 女子らがこちらを振り返り、眉根を寄せる。


「は? なん? どういうこと? 長さ的に?」

「いや……俺がしてって言ったらしてくれる?」


 小堀は樋口と顔を見合わせた。琥太郎にへばりついていた福澤もあわせて、三人でモザイク処理される寸前まで顔を歪める。


「は? 何言ってんの? きしょ」

「彼女に頼めし」

「彼女出来て調子に乗ってんの?」


 散々な言われようだ。こう反応されることはわかりきっていたのに、何故か聞いてしまった自分を呪いたい。


「どうしたのタク」

「ん。あー、前に夏帆さんが言ってたことが気になって」


 驚いた顔をした琥太郎にそう言って、席に座った。




***




「お、夏帆ちゃんやん」

 拓海の視線を追った康久が言う。


 廊下を歩いていた拓海は、窓の向こうに夏帆を見つけた。近頃の拓海は、夏帆がどこにいてもすぐに見つけられるようになっていた。気付くと探していて、見つけると目が追っている。


 今日もそうだった。特段夏帆を探していたわけではないが、ふと顔を動かすと夏帆が視界に飛び込んできた。


 三組は体育だったようで、体操服を着ていた。成長を見越して大きめを買ったのか、友達と楽しそうに話す夏帆のジャージは随分とゆったりとしている。所謂萌え袖丈を確認すると、拓海は体操服を買っただろう夏帆の母に感謝した。


「愛されオーラ出てるね」


 ひょこりと拓海の後ろから窓を覗き込んだ琥太郎を、「なんそれ」と拓海が振り返る。


「女子って彼氏出来ると、愛されてる自信とか余裕が滲み出て可愛くなるんだって」


(なんじゃそりゃ)


 確かに夏帆は可愛い。知れば知るほど、夏帆を可愛いと思う瞬間は増えていった。見た目も可愛いが、しっかりしていそうな夏帆がちょっと抜けていたり、神経質そうなのにちょっと雑だったりするところが、面白くて可愛い。


「あー。わかるかも。学級委員長って感じで最初とっつきにくそうやったけど、今普通に可愛く見えるもんな」

「ヤス、眼科行けば?」


 どう見たって、滅茶苦茶に可愛い。白けた目を康久に向ける拓海を、嘉一が更に白けた目で見る。


「そろそろ急がんと間に合わんよ」

「おん」


 琥太郎の言葉で移動教室の最中だったことを思い出し、窓から離れてぞろぞろと歩き出す。


 その髪型は、ポニーテールだ。今朝下駄箱で会った時は髪を下ろしていたため、その後結んだのだろう。


『私、もし言われたら普通にしたげるけどなー』


 先ほども考えていた夏帆の言葉を思い出す。


(誰かに言われたから、したんかな)


 夏帆は男に興味があるくせに、男と話すことは苦手だ。だから、男と話しているなんてことはないと思うが――もし男に言われたら、嬉々として髪を結び始めるのだと知っている拓海の胸がギュッとなる。


(好きになった男には、もっと違う顔で笑うんかな)


 愛されオーラがあるなら、愛してるオーラもあるかもしれない。そんなオーラを向ける相手を想像し、拓海はぐっと拳を握った。


(俺にすればいいのに)


 漠然とした思いが胸に湧く。


(俺を好きになればいいのに)


 拓海は窓から無理矢理視線を剥がして、琥太郎らの後ろに続いた。



 ――そして、自分が何を考えたのか理解して、立ち止まる。



「タク?」

「どうした?」


 足を止めた拓海を心配して、康久と琥太郎が声をかける。


 二人に返事をすることすら考えられずに、真っ赤になった顔を拓海は手のひらで覆った。






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