世界で最後の二人

清水らくは

創造

第1話

 アラームは、自分の起動音。

 同時に、天窓を覆っていたカーテンが開かれていく。あまり差し込まない光。ピントが合う。灰色の雲がまだらを描き、重力に対して素直な雨粒がまっすぐに落ちてくる。

 頭の中で太陽光対地熱の発電率が三対七だとの計算がはじき出される。メインブレインに照会すると、正確には3.1対6.9だと知らされる。彼の天気予報が正しければ、夕方から晴れるらしい。

 ベッドから起き上がり、足に刺さっていた充電ケーブルを引き抜く。手足を伸ばしてみる。異常は無いようだ。

 鏡を見ると、至る所が錆付いている古びたロボットの顔が映っていた。型は最新だ。ロボットの開発が中止されて二十年になる。そして二十歳のロボットが、ここにいる。

 僕の名前はヴィーレ。この家のメインブレインの観測による限り、地球最後の二人のうちの一人だ。

「おはよう、ヴィーレ」

「おはよう、ミットライト」

 居間に行くと、いつものように先に起きたミットライトが本を読んでいた。彼こそが、この星に生き残ったもう一体のロボットだ。その型は僕より二世代ほど古く、所々パーツは交換されているものの、まだ人間に使役されていた頃の名残が見受けられる。全体的に角ばったところが目立つし、量産型に特徴的な、無表情さが貼り付いたような顔のつくりをしている。生まれたばかりの頃のミットライトは、人間のために、危険な場所で力仕事をするロボットだったのである。

「久しぶりの雨だね。関節がうずくよ」

 そう言ってミットライトは肩をすくめて見せた。彼らの世代は、若いロボットたちに馬鹿にされないよう、大げさとも言えるほど人間のしぐさを模倣した。僕らの世代ともなると、生まれた時から人間はロボットの支配下だったし、生きていくのに必要なことはすでにインプットされていたから、人間的なことはごく自然にできるようになっている。

 だからといって、読書までするのは理解不能である。ここにある本など内容はたかが知れているし、所詮は人間たちの自己満足が書き記されているだけだ。しかも情報を入手するのに、紙に書かれたものをちまちまとめくっていくなどあまりにも面倒すぎる。僕らは人間のような非効率的な作業を趣味とするべきではない。

 しかし彼がいなければ僕も生き残ることはできなかった。多くの同胞たちが諦めるか、自らの技術でどうにかしようとしていた中、ミットライトは必死で人間たちの残した情報をかき集めていた。電子データはほぼ失われていたので、多くの情報は活字から得るしかなかった。電子データに頼り切っていた僕らは、活字データの高速スキャン技術を標準装備していなかったので、まずはスキャン技術の再開発をしなければならなかった。これは想像を超える難作業だった。社会が正常に機能しているときは、英語を中心としたアルファベット圏が優勢だったので、スキャン対象文字もそれほど複雑な文字ではなかった。しかし僅かに残された書物は、言語も時代もばらばら、アルファベットのデータだけでは不十分なため、できるだけ多くの言語の文字を読み取ることが必要となった。

 僕はたまたまその作業に関わっただけで、やる気に満ちていたわけではない。待っていても死ぬだけなので、何かするべきことが欲しかったのだ。また、ミットライトの傍で仕事をしていると、どういうわけか気持ちが落ち着いた。その作用を解明するのは簡単かもしれないが、僕はそんなことはしたくなかった。もはや、心があるせいで人間は下等だなどという時代ではなかった。人間は滅び、そしてロボットも滅び行く過程にあった。心地よいものは、心地よい。それでよかった。

 僕たちは何とかスキャナーを完成させ、できる限りの情報を収集した。しかしそれでも、ロボットたちを救うことはできなかった。第一に、僕たちを手伝う者がおらず、誰もが絶望していたため。第二に、人間の技術に頼ることを拒否する者がほとんどだったため。そして第三に、ロボットの中に存在するアイデンティティが、崩壊し始めたため、である。

 それは、まさに悲劇だった。僕たちは、人間のために作られた過去を最大の汚点と考えていた。それにもかかわらず、人間を支配した後も、人間なしでは生きられなくなっていたのである。最初ロボットたちはその事実を認めたくなかったが、次第に真実は隠しがたくなってきた。僕らは、一体何のために生きているのか分からなくなってしまったのだ。苦しみながら生存を望むくらいなら、ただの鉄くずになったっていい。そんなロボットたちが続々と自殺し始めた。

 僕だって、喪失感はあった。何を目標として生きていけばいいのか、思い悩んだ。でも、そんな僕にミットライトは言った。「意味がなくても、明日も変わらないものがある。明日も石は石だし、山は山だ。それなのになんでロボットだけ、意味がないと明日はロボットじゃいられないんだい?」

 ミットライトのおかげで、僕は今こうしてここにいる。

「今日は何を読んでいるんですか?」

「まあ、ちょっとしたね」

 表紙には、『実践理性批判』と書かれていた。僕のデータはそれをカントの作だと知らせるが、その職業「哲学者」とは何なのかの説明が理解できなかった。存在についての思惟や人生の意味についての考察、理性を思索することなど、おおよそ生産的とはいえないことばかりしている気がする。なんでも紀元前まで歴史をさかのぼる学問らしいが、人間文明の奴隷化と共に完全に消滅したようである。

 しかし、他人の趣味に口を挟むのは僕の好むところではない。僕はミットライトにはそれ以上何も言わずに、マザータウンを起動させた。

 メインブレインの中でもマザータウンは桁外れの処理能力を持つ領域である。しかしそれゆえ消費電力も大きく、夜間は完全にシャットアウトしておかなければならない。また、悪天候が続くようならば、昼間でも使用を控えなければならなくなる。

「頼むよ……」

 マザータウンは目覚めると共に設定された仕事を再開し始める。3Dモニターに映し出される、青い星。昨日の作業ではそこに緑の大地を呼び起こすまでがなされていた。

「今日こそは」

 祈るような気持ちで数値を打ち込んでいく。これまでの実験から、少しでも数値が異なると、あっという間に全生命が滅びてしまうことが分かっている。また、よほどのことがない限り、哺乳類が繁栄するに至らないことも身にしみて分かっている。

 この星の歴史を正確に再現しなければ、人間は誕生しない。僕はもう、何百回とその作業に失敗しているのだ。

 全ての数値を決定し、いよいよシミュレーション開始だ。速度は毎秒約一万年。二時間もすれば大体の結果が出るはずである。

「ヴィーレ、もうスタートしたのかい?」

 いつの間にか僕の背後に彼は来ていた。モニターに映し出される星の姿を眺めながら、首を傾げている。

「ええ、ちょうど今始めました」

「うまくいくといいねえ。ただ、やはり何か足りないと思うんだよ」

「何か、ですか」

 それが何かは、教えてくれない。僕は少し、じれったくなった。

 このシミュレーションの目的は、データ上での人間の再構築である。僕らに再び活力を与えてくれるのは、人間しかありえない。しかし人間を実際に甦らせることは不可能だ。よって、コンピューターで星の歴史を再現し、人間のデータを入手しようとしているのである。

 この実験が成功すれば、僕とミットライトのメンテナンスが可能になるばかりでなく、新たなロボットの生産も望めるのだ。ミットライトはこれに「ゴッドデータ計画」と名づけた。まさに僕は今、神になろうと努力しているのである。

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