とても痛い


 心臓の音をとても近くに感じた。

 ドクドクと拍動する熱は肉壁を越えて私の耳の奥をずっとノックする。その音は幸せという漢字から生命の一線を消したように、風の瞬きすら遠くに感じた。


「これが夢だったらいいのに」


 私の呟きは病室のベッド眠るあなたに届いたのか。いや、きっと届かない。儚く躍動する心臓は唸っている。それを痛みと呼ぶには、私はあなたのことを知らな過ぎた。


 明日の天気予報が電子の海に乗って誰とも知れない誰かの口から届いてくる。こんなどうでもいい人のどこか遠くからでも届くのに、こんなに近くにいるあなたには私の声も音も息も届かない。


 「あなたの心臓は動いているのに」


 今日も私はあなたの胸に耳を当てて音を確認する。あなたの憂いが消えるまで、私はあなたの胸に耳を預ける。


「まるで恋人みたいだね」


 ほんとうにあなたが恋人ならどれだけ幸せだっただろう。恋人だったらずっと深くあなたの音を感じられたのに。あなたの痛みに触れられたのに……


「ねぇ、目を覚まさないとキスするよ」


 眠り続けるあなたのその真っ赤な唇に私の唇を近づける。後数センチだというのに私は動けない。その真っ赤に見惚れて神経をなめられる感触に麻痺した脳で涙を流す。


「キス……できたら、あなたの傷を貰えたのに……。どうして、そんなに美しいの?」


 ああ、とても痛い。胸が痛い。指先が痛い。耳の奥が痛い。目の中が痛い。喉の絡まりが痛い。

 あなたの心臓の音を聞いていないと、痛くて痛くて仕方がない。私はそれでしかあなたの痛みを知れないのだから。

 指を絡め濡れた皮膚を絡め熱の限りに貪りあえたのなら、それをあなたも望んでくれたのなら――私は生命の一線を引けたのかもしれない。


「どうか、起きて。そして聞いて。私の胸に耳を当てて。……そしたら、笑えるから。そしたら伝えないから」


 雪と錯覚したのは桜の花びら。

 青空と思ったのは薄くなった群青。

 恋と思ったのは愛おしさ。



「だって、こんなにも痛いんだからっ!」



 私はあなたの胸に顔を埋めて泣く。


 この声が枯れるまで、言葉が出なくなるまで、すべてを錯覚としてあなたが目を覚まして笑うまで――とても痛い幸せをどうか。

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