第5話 第二章 潜入①

 ――報告、ゼウ・リベの新戦力に対する考察。


 我ら調律者と御三家は、調律の使い手である狭間 境を筆頭に、強固な団結力を持って超越種を排除しなければならない。


 だが、近年はゼウ率いるゼウ・リぺと一進一退の攻防を繰り広げており芳しくない。


 そんな状況をあちらも望ましく思ってはおらず、どうやら半神であるゼウの血を用いた人間の兵士の作成を考えているらしい。暫定呼称【汚染兵】


 超越種は、前世界の支配者であり、生き残りである。世界は破壊と再生を繰り返す。本来、世界の破壊が起きた時点で、全ては失われるが、一部超常の力を持つ者は生き残る。


 我ら現世界の住人からすれば、神話や怪談、お伽噺の形でのみ語られるべき存在であり、生存を許してしまえば、世界のバランスを崩しかねない。


 現に、ゼウ・リペは人間を自らの先兵としている。これを許せば、現世界は過去の世界の住人に排除されることを表している。


 ――これは戦争だ。生存をかけた戦いなのだ。


 汚染兵及びゼウ・リぺの動向に注意されたし。関係各所は、調査の強化と情報の共有を密に行うことを進言する。なお、今回の任務において判明した事実は、別紙にてデータとしてまとめてある。参考されたし。


 報告者 当主代行補佐 灯火 フヨウ。




「ふう」


 フヨウは、ノートパソコンの画面から視線を外す。


 六畳一間の自室は、ベッドとアンティークデスク、白の北欧チェスト、本棚、クローゼット以外は特に何もない。綺麗に整理された部屋には、昨日焚いたアロマキャンドルの甘い匂いが僅かに漂っている。


 本日、学校は休みだ。薄紅色のカーテンの隙間から、まるでそれを祝うかのように、澄み切った冬の朝日が差し込む。


「あー、疲れた。任務後に事後処理やってからの完徹報告書。……ダルイ―。あ!」


 フヨウは思わずキョロキョロと周囲を見渡す。


「……盗み聞きしている様子もなし」


誰もいないのを確認して、ほうっと胸を撫でおろす。だらけきった当主代行の口癖がうつったなど、不覚の極みといえた。


だが、仕方ない。そう仕方ないのだ。報告書の作成は、調律者の下につく御三家の一員として当然のこと。どこぞの当主代行とは違って真面目に取り組んだからこその、ダルイという一言なのだ。同じ言葉でも重みが違う。


 ――トントン。


 ビクッとフヨウは肩を震わせた。


 静寂を裏切るノック音。一体いかな不届き者だろう? フヨウは、椅子から立ち上がると大股でドアに歩み寄り、勢いよく開けた。


「おはよう」


「ヒギャ! おおお、おはようございますお父様」


 意図せず、彼女の背が伸びる。


 和服姿の中年男性は、爽やかな朝を否定するような険しい表情で、フヨウを睨んでいる。髪を丹念にオールバックに整え、苦労が垣間見える皺が顔の至るところに散見される。この男の名は、灯火 剛という。


「任務を頑張っているようだな」


「は、はい」


「結構。だが、当主代行に対し、まるで友人のような口調で話しておると聞いたのだが、本当かね」


「……はい」


 パチン、と鋭い音が廊下に響く。フヨウは、自らの頬を手で押さえ、怯えを滲ませた瞳で剛を見た。


「貴様は何様のつもりだ。狭間家に仕える御三家の一角、灯火家の一員としての自覚が足らん。すぐさま態度を改めよ。当主代行様はもちろんのこと、このままでは千波家とキラー家にも示しがつかん」


「……それは」


「口答えするか」


 剛は拳を握ると、細く可憐な鼻筋に向かって振り下ろした。フヨウは目を瞑る。――が、一向に痛みは訪れない。恐る恐る目を開けると、太くてごつい指が剛の拳を受け止めていた。


「何のつもりだね、ゴーン」


「いい大人がみっともない。フヨウはよくやっているよ。お前さんが思ってるよりずっとな」


 剛の顔が苦痛に歪む。


 ギリギリと音を立てながら、ゴーンの指が灯火家当主の手の甲に食い込み、ゆっくりとフヨウから遠ざけていく。


「フヨウやワシがフレンドリーに坊ちゃんと話しているのは、坊ちゃん自身の意思だ。それを無視して形式ばった言葉で話せと言うのは、つまり……当主代行の意思を踏みにじっていることになるわけだ。普段はあんなだが、坊ちゃんは怒ると怖いお人だ。あんたぁ、責任取れんのか?」


「……グ、ぬううう。ああ、そういうことならば仕方ない」


 剛はゴーンの手を振り払うと、娘には目もくれずに去っていった。


 フヨウは、安堵の吐息を漏らし、ゴーンへ頭を下げる。だが、ゴーンは、不快気に顔を歪め、首を振った。


「礼などいらんよ。お前のトンチキ親父が気に食わんかっただけだ」


「トンチキって……ま、頭が固い方ですから」


「フン、そういう問題じゃない。なあ、フヨウや、どうしてさっき甘んじて殴られようとした。正直に坊ちゃんが堅苦しいのを嫌うからと言えば良い」


「そ、それはそうですが」


 言い淀むフヨウ。ゴーンは、優しく彼女の頭に手を置いた。


「も、もう。子ども扱いしないでください」


「そうだな、スマン。だが、ワシがこうしたかったんだ」


「……ぬ? そ、そうですか。あの、ですね。彼に負担をかけたくなかったからです。もし、境が規律を嫌っているからと白状してしまえば、父が苦言を呈するのは目に見えています。


 境はご両親が亡くなってからは、当主代行として頑張っていますよね。そんなことおくびにも出さないけど、私は知っているんです。彼の頑張りを。だから、殴られるくらいなら我慢しようっておも、わわ!」


 ゴーンが、亜麻色の髪をぐしゃぐしゃにする。


 困った顔で上を見上げたフヨウは、ギョッとした。ゴーンの目に涙が溜まっていたから。


「坊ちゃんは良き理解者を得た。ワシもキラー家当主としてできる限り坊ちゃんを支えてきたが、年が離れているがゆえ、相談に乗れることにも限度があるだろう。


 だが、フヨウよ。お前がいれば安心だ。坊ちゃんはいつもお前にだけは心を開いている。どうかそのまま支えてやってくれ。ああ、良かった」


「もう、ゴーンってば、痛いです。手入れした髪が痛むでしょ」


 頬を含ませてそう怒鳴るフヨウは、けれどもゴーンの手を振り払おうとはしなかった。


「おお、スマン。……ウーン、これは若いの二人に任せるか」


 ゴーンは手を放し、脇に抱えたタブレット型端末を手渡した。


「ん? なんです」


「任務だ。ゼウ・リベと関係があるかは分からんが、妙な通報が警察にあったらしくてな」


「妙とは?」


 小首を傾げるフヨウは、タブレットの電源を付ける。ぼんやりとした光を放つ画面には、警察からの共有事項と二つの点が記された地図が表示された。


「どうやら、化け物に襲われた、という通報らしい。超越種か汚染兵のどれかかもしれんな。そこに二つの点があるだろう。それは化け物が目撃されたとされる場所だ。ワシは手の空いてる奴とB地点に調査に行くから、フヨウは坊ちゃんと一緒にA地点に調査へ行くと良い」


「なるほど、了解しました」


 ハア、とゴーンのため息が漏れる。


「な、なんです?」


「分かっとらんな。フヨウ、A地点は娯楽施設が多い場所だ」


「そうですね。私はあまり行きませんが、同級生が放課後に行く話は何度も聞きましたよ」


「ハア、だからなフヨウ。デートだよ、デート」


「デ!」


 フヨウの顔が赤く染まる。


 ゴーンは、そっと声を潜めながら、ニヤリと笑う。傍から見れば悪の道に引きずり込む犯罪者に見えなくもない。


「任務はちゃんとしなきゃ駄目だ。でも、どうやって任務に挑むかは自由だろう。なーに、結果が伴ってりゃ問題ない。ワシの弟なんてな、女をナンパしながらコッソリ超越種を倒して任務達成したこともあるんだ。それでお咎めなんかなーし。頭の固いお前のオヤジさんはともかくとして、案外緩―いところがあるのが我らだ」


「そ、そうでしょうか? 緩いところなんてあんまりないような……」


「だあ、もうじれったい。このまま進展もなしだと、坊ちゃんを誰かに盗られちまうぞ。坊ちゃんは学校で女子に人気だろう」


「ま、まあ……」


「実はな、ライバルは学校だけにあらず。なんと坊ちゃんは御三家の中でも人気がある」


 ば、馬鹿な、とフヨウは身体をよろめかせる。


「うちの姪も狙っとるし、お前の姉妹連中も気がある奴が数名いると見た。こりゃー、うかうかしてられんぞ」


「そんなまさか。頑張っている所は頑張っているけど、それ以外はあんなだらけた人間を好む人が、御三家にいるなんて」


 ハ、とフヨウの頭に稲妻が駆け抜ける。心当たりのある映像が、脳内で乱舞した。


「そ、そういえば。確かに姉が最近、やたらオシャレに力を入れてましたし、レンなんか「男を落とす必勝バイブル」なんて本を読んでました。……うー、そんなぁ」


「だからこそ」


 ポン、とゴーンの手がフヨウの肩を叩く。


「チャンスは逃すな。フヨウ、ワシからお前へ特別任務だ」


「と、特別任務」


「坊ちゃんのハートを撃ち抜け。ワンショットワンキル……。女としての魅力で、あの唐変木を落とすのだ」


「撃ち抜く、落とす……でも、私にできるでしょうか」


「自信を持つのだフヨウ。お前は、すぐに坊ちゃんを殴る点を除けば完璧な美少女だ」


「――なんか、言いました?」


「い、いえ。何でもないです」


 青ざめた顔をゴーンは、咳ではぐらかす。


「ともかく、頑張れ。応援しておるからな」


 ゴーンは渋い声でそう言うと、親指を立て去っていった。


 その背中を見届けたフヨウは、固く拳を握り締め、クローゼットへと向かった。


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