第3話 第一章 やる気のない学生②

「なあ、フヨウさん」


「……」


「なあって。これからさ、戦いに行くのに股間に一撃入れるのひどくない」


 先をずんずんと歩くフヨウは、瞳に氷を宿し、まるで見向きもしない。


 まったく、と呟いた境は、スマホの画面を確認し、街路樹の陰に入った。


「……ん? ちょっと」


「ここで待ってろって、ゴーンのおっさんが」


 境が手招きをすると、コクリ、と頷いたフヨウが横に立ち並ぶ。


「……」


「……」


 会話はなく、しばし黙り込む二人の前髪を風が揺らす。


 眼前で、我先に車が通り過ぎていく。


 境は騒がしい車道を避けるように、歩道側に視線を向けたがそちらも帰宅途中の学生やら、サラリーマンやらが忙しなく歩き、騒々しさでは大差なかった。


 忙しそうだなー、とぼんやりそう思った境の横で、「殺し合った世界みたい」とフヨウが呟く。


 どういう意味だろう、と首を傾げかけた境は、ああ、と頷いた。夕日が降り注ぐ街は、鮮やかな赤に満たされ美しい。この赤の世界を見れば、暖かく、穏やかな気持ちになる者が大部分だろう。だが、フヨウには違って見えたのだ。


 無理もない、と境は内心思う。超越種との戦いは、どうしようもないほど血生臭い。今でも息を吸い込めば、手に取るようなリアルさで、緋色の幻臭が胸を気持ち悪くする。


 境は、そんな幻を払うように、首を緩やかに振って、努めて明るく笑った。


「フヨウ、君はマイナスに捉えすぎだ。この赤は美しいと思わなきゃ」


「……だって、戦ってばかりだもの。ものの見方が変になっても仕方ないじゃない」


「そうか? 戦いと日常は別のものだと切り替えれば良い。な?」


「な、じゃないわよ。……切り替え上手は良いな」


 フヨウは、すねたように唇を尖らせた。と、その時を狙いすましたように、車が二人の目の前に止まった。


 古いビンテージもののセダンだ。とても細やかに手入れされているのだろう。茶色いボディは、陽光を鋭く反射し血色が良い。


「……フ、待たせちまったようだな。お二人さん、どうぞ後部座席へ」


 渋い味のあるダンディ声が、高校生二人の耳に届く。運転席には、トレンチコートを着こなす太った男がスキットルを傾け、喉の渇きをいやしていた。


「おい、オッサン。コーラをスキットルに入れるのやめろよ。飲酒運転しているみたいだろ」


「坊ちゃん、これはね、仕方のないことなのさ。ハードボイルドのためには、時にリスクを承知で行動しないといけないこともあるんです」


「ゴーン、アホなこと言ってないで早く目的地へ向かってください。学校でも連続行方不明事件が問題視されていました。このまま騒ぎが広まらないようにしなければ」


「……ハー、そいつはいけねえな。人々には笑っていてほしい。そのためには、ワシたちが一肌脱がんといけんでしょう。なあ、坊ちゃん……あれ?」


 いつの間にやら後部座席に乗り込んでいた境は眠っていた。




 フヨウはこめかみをほぐしながら、助手席に乗り込む。


「ほっときましょう。頭の良い人ですから、彼には現地でちょっと説明すればわかるはずです」


「ハハ、さすが未来のお嫁さんは違うなぁ。……そんなに睨まないでも」


「いい年の大人が、子供の睨みごときでビビらないでください。それより指令の詳細を」


「ああ、これをつけてくれ」


 赤いふちの眼鏡が手渡される。フヨウがそれをかけると、棒グラフや文字など様々な情報がレンズに表示された。彼女の視線の動きに合わせて、必要な情報がピックアップされていく。


 ――あまり芳しくない情報だ。フヨウの顔は、徐々に苦虫を噛み潰したような顔へと変じてしまう。


「行方不明者は若い男性が多い。そのことから、敵は美形の女、もしくは男性を篭絡する能力を有する可能性が高い、と。しかし、女性の被害もやや増加傾向にあるため、あくまで参考に、か」


「その通り。そして、報告書にある通り、昨日我らが愛おしき情報部の皆が拠点らしき場所の一つを発見した。データ07を参照してくれ」


「データ07……。これですね」


 表示されたデータは、先ほどの暗い気分を吹き飛ばすほど喜ばしいものだ。知らず、フヨウの唇は笑みを形作った。


「なるほどなるほど。つまり、今回の任務はその拠点のせん滅および調査ですか。任務了解、早めに事件を解決しましょう」


 車は大通りから左に折れ、郊外へと向かっていく。都会的な街並みから、緑が多くなり、空には星が瞬き始めた。


「見えた。ここからは徒歩で接近しよう。ほら、坊ちゃん着きましたよ」


 ゴーンは、車を路肩に寄せて停車させる。


 目的の場所は、ここから三百メートルほど先にあるボウリング場だ。


「あそこって、十年くらい前に潰れた所よね」


「ウム。ここらはコンビニが点々とあるくらいで、ほとんど人通りもない。超越種の馬鹿どもが住み着くには良い場所だろう。坊ちゃん、まだ眠いんですか? コーヒーでも飲みます?」


「いらない。カフェインごときで元気になれるほど、僕の怠惰は安くない」


「そりゃ失礼」


 ケタケタとゴーンは笑う。


 ガコン、とトランクを開けたゴーンは、底に手のひらを付ける。その瞬間、小さく電子音が鳴り、何かが開錠する音が響く。


 床だと思われた所は蓋であった。中を開けると、刀や銃器などの武器が所狭しと仕舞われている。ほら、とゴーンが投げナイフをフヨウに手渡すと、彼女は頭を下げ、懐に隠す。


「室内戦になる。ワシとフヨウは坊ちゃんのバックアップだ。それで、良いですかな?」


「くああー眠い。……んん、任せる。僕はあんまりやる気ないし、適当にやるさ」


 ゴーンとフヨウは顔を見合わせ、クスリと笑う。


「んだよ、笑うな。……えっと、今回の任務内容は、あー、拠点ね。事件の性質上、人質がいる可能性が高いか」


「どうするの?」


「……シンプルに行こう。僕が正面玄関から入って派手に暴れる。ゴーンは裏口に陣取って出てきた奴を排除。フヨウは二階のゲーセンエリアに窓から入って人質の捜索と情報の収集。


 二人の装備だと、ファーストクラスの相手をするのは難しい。だから、ファーストクラスが出たら僕を呼んでくれ。……と、まあ、こんなところかな。質問がないようなら始めよう。僕ら調律者たちのお仕事をね」

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