第16話

 藍里は担任の元に行く。後ろではクラスメイトの女子が笑っている。神奈川にいた頃の冷ややかな笑いとは違った、少しからかい気味だけども嫌な感じはしなかった。


「おう、すまんなぁ。出してくれた書類のことでな。親さんに渡してくれ。記名してないところがあってな。来週までに記入してくださいと」

「すいません」

「どうだ、こっちの暮らしは慣れたか?」

 担任は既婚者で机の上に家族の写真を置く、私情を持ち込む教師である。

 年齢は分からないが藍里と同じ歳くらいの女の子と少し小学生くらいの男の子、そして自分の妻の4人が仲良く肩を寄り添った写真を見るともしかしたら綾人と年齢が変わらないのだろうかと。

 42歳にしてはかなり老けこんでいるな、という藍里の考えである。


「……なんとか、やってます」

「そうか。バイトもして勉強との両立も大変だろうし。お母様も仕事しながら家事をするのも大変だろう。互いに協力してくれな。なんかあったらいうんだぞ」

「ありがとうございます」

 担任は百田家に料理と家事をする居候の男がいるだなんて全く知らないであろう。

 にしても話が長い、用事だけ聞いてトイレに行きたかった藍里は早く終わらないかと思ってしまう。


「何かあったらいつでも相談してくれ。無理はするな」

「ありがとうございます……失礼します」

 藍里は心の内で相談してもどうにもならない、と経験上冷ややかに思いながら一旦書類の入った袋を机の中に入れて、ナプキンの入った巾着をさっとスカートのポッケに入れてトイレに向かった。





 藍里はトイレから出ると清太郎が待ってた。

「びっくりしたー」

「おう、待ってた」

「またあとをつけてたでしょ」

「悪いかよ」

「……こんなにもストーカー気質とは思わなかった」

「言い方……っ。ちょっとお前に言いたいことあってさ」

 首を横に傾げる藍里。すると急に清太郎は彼女の腕を引っ張り、人のいないところまで連れていく。


「な、なによ」

 藍里が腕を払うと、すまんという顔をした清太郎だがすぐに真剣な顔になる。


「担任のことあまり飲み込むなよ」

「わかってる。当てにならない、何かあったらいつでも相談してくれっていう言葉」

「それなら話は早いけど」

「……いつもその言葉に騙されてきた」

「一体お前の数年間どれだけ闇なんだよ。担任のやろう、噂だけどシングルマザーの保護者の弱み握って身体の関係持つらしいから」

 という衝撃な情報。新しい場所に来てそう知り合いもいないが、先ほど見た担任の机の上の仲の良い家族写真は、と思ってしまう。


「ちなみにやつはここの学校に融資している会社の息子だからな……もみ消されてるから。お前の母ちゃん気をつけろ」

「……う、うん。多分大丈夫」

 ふと頭の中に時雨が思い浮かぶ。さくらには時雨がいるから大丈夫、そんな安易な考えだが弱い彼女は時雨がいなかったら優しくされただけであのドラたぬき担任に寄り添ってしまうのでは、という不安もよぎる。


「生徒とかに手を出してたらアウトだけどね」

「それは完全にアウトやろ。そもそも20以上も下の女の子には手を出したらあかんやろ」


 どきっ!


 と藍里は時雨のことを再び思い出した。時雨と藍里は20も離れている。もしこれから恋に落ちるとして2人の関係が始まったとしたら。

 2人が恋に落ちたら同意の上だからセーフかもしれないが、周りからしたら白い目で見られるのだろうか。


 もちろん2人の間にそんなやましい関係はないが2人で一緒にいる時間はかなり多い。


「ん、どうした。てか教室戻ろか」

「うん。書類の不備確認したいから」

 と教室にもどる藍里と清太郎。やはり2人で戻るとクラスメイトたちがニヤニヤ見てる。藍里は少し平気になった。それは清太郎が幼馴染であったし、昔も小学生の時だったが平気でいつも一緒にいたからなのか。


 席に戻って書類を出す。清太郎は横の席でそれを見ている。


 さくらの職業欄が「サービス業」と殴り書きされているだけであった。そういえば、と藍里はさくらがどんな仕事をしているのを具体的に知らない。

 日中はほぼいないし、週に1日くらい休んだかと思ったらすぐ夜に出たり、朝帰りだったり、月初は時雨が来てからは夜遅くから出てほとんどいなかったり、生理の日は休んで……。


 サービス業とは。


「サービス業ってなにがあると思う?」

「藍里のファミレスで働いてるのもサービス業になるけど飲食店勤務になるよな。それにお前は裏方だからなー。俺の弁当屋のバイト……あれもサービス業にも含まれるな。定義は広い」

 そう言われると一体何なんだと。


「そいや、藍里は進路とか決めてんの」

「……まだ」

「来月には進路相談あるから決めとかないとな。まだ時間あるから、じゃないと担任に勝手に流されるように適当な進路に導かれるぞ」

「それはやだ」


 藍里は言えなかった。女優になりたい、でもどうなればいいかわからないが。

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