EP2・海の亡霊 2
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〈ロメロの食器店〉を出た後も、パセリは街のあちこちへと私を引きずり回した。イーストシティから始まりノースイーストシティ、ノースシティを通り抜けて最後はセントラルシティ。今日1日でモアランド州の4分の1を制覇したと言っても過言ではあるまい。
「エルちゃん、今日はパセリに付き合ってくれてありがとう」
「付き合ってません強制連行されていたんです」
感謝を述べるパセリにしっかりと訂正を入れる。そうだ。けして彼女に付き合ってやったわけではない。別に〈ロメロの食器店〉で店主の話を聞いた彼女がやけに落ち込んでいたことなど全く関係ないし、心配になったとかでは一切ない。ティートゥリー・アベニューで彼女に目をつけられた瞬間から、私は彼女の被害者だ。
私は肩を揉んで凝り固まった筋肉をほぐす。建物の隙間から西日が差していた。もう夕方だ。
「満足したのならさっさと帰りますよ。サーシャさんも待っている」
まあ店に帰ればパセリは十中八九叱られるだろうが。ちょっとお使いに出したウェイトレスが、遊び歩いて6時間以上帰ってこなかったのだから。当然だ。
私はパセリと連れ立って歩きながらウェストシティを目指した。隣にいる彼女はショッピング中とは違って静かだった。普段から騒々しい姿ばかり目にしているせいだろうか、こうも大人しくされると気味が悪い。
嫌に重い空気をどうにか緩和したくて、私は適当な言葉をかけた。
「いいものが買えてよかったですね」
「うん」
会話は終わった。うんってなんだ、うんって。せっかく話題を提供してやったというのに。いつもみたくバカ騒ぎをしろっての。
しばらくお互い無言で道を進む。──ダメだ、このどんよりとした間に耐えられない。私は抵抗があったが、できれば実行したくなかったのだが、仕方なく、本当に仕方なく、もう1度彼女に言葉を投げた。
「……休日も、案外悪くないもんですね。買い物は金の無駄遣いだと思っていたんですが、いろんな店を回って良品を探し出すのは意外と楽しかったです」
「うん」
「…………今日アンタが買っていた香水、程よく甘くて良い匂いでした。私は香水なんてチャラついたモノまっっっっったく興味がなかったのですが……ちょっと付けてみたくなりましたよ」
「うん」
「しばくぞオイ」
「エルちゃん優しいね」
「優しくないですアンタに声をかけた私がバカだった」
もう2度と自分から声はかけない。私は心に固く誓った。
「ありがとう。もうここで良いよ」
イーストシティに入ってすぐパセリはそう言った。そして「これ、すごく綺麗だから使ってあげて」とリュックから取り出したモノ私の手に握らせた。〈ロメロの食器店〉で買っていたマグカップだ。厚みは5ミリほど、全体が淡いピンク色に染められていて、側面にはネーレーイスの花が彫ってあった。モアランドで最も分布している花だ。年中見ることができ、今私たちが立っている道端にもチラホラと点在している。放射線に汚染されているため触れることは叶わないが。
「また急ですね。……まさかこの乙女趣味全開のマグカップは、今日のお礼ってやつですか」
私は西日にマグカップをかざして優美な模様を鑑賞する。パセリは「違うよ」と苦笑した。
「棚の食器の中で1番光ってて『エルちゃんにあげたいな』って思ったんだ。だからこれはお礼じゃないよ」
──ふうん? そんじょそこらに生えている花を?
「押し付けがましい。私が喜ぶとでも?」
私は彼女を鋭く睨みつけ、右手でマグカップをひらひらと振った。けれど彼女は怯むどころか──むしろスッキリした表情で豪快に笑った。
「あははっ! 思わない! きっと嫌がるってわかってた! エルちゃんはパセリのこと許してないもんね!」
ようやくいつもの調子を取り戻したようだ。パセリは「またね!」と軽快に手を振ってサーシャ・アベニューへと消えた。彼女の後ろ姿が見えなくなってから、私はマグカップを見てため息を吐く。
パセリと私は同じ孤児院〈マリア・バド〉で育った。孤児院、名前の通り孤児を収容する施設だ。空気も凍る2月7日の明け方、早番で出勤してきた清掃員が、薄手の長袖と長ズボンだけを着用して孤児院の前に座り込んでいるパセリを発見した。その日の気温はマイナス1度、彼女は低体温症になりかけていて、すぐに救急病院に搬送された。
しかしまあ彼女の両親は惨忍で根が腐った性格だったようだ。なぜなら、2月7日はパセリの4歳の誕生日だったのだから。
身元登録もされておらず引き取り手もいない彼女は〈マリア・バド〉の院長ギルベルト・バドに引き取られ、私たちに暖かく迎えられた。彼女は一般教養すらまともに教えてもらえていなかったようで読み書きどころか発語も危うかったが、ギルベルトに優しく抱きしめられると、拙い発音で『ありがとう』を繰り返した。
前述の通り、パセリには教養がない。ギルベルト含め職員たちは彼女に必死に勉学を教えた。しかし、
「パセリは鳥になるの!」
彼女はバカだった。鳥になろうとして窓から飛び降りるのは日常茶飯事、目についたモノはなんでも口に含むし、服は前衛的な着方をする。児童院から脱走しては外に広がるあらゆるモノに触発されて帰ってくる。『暖炉になる』『ヨツデモグラになる』『風邪薬になる』『酸素になる』。彼女のなりたいモノシリーズはとどまることを知らず。
「なんで暖炉になりたいんですか」
私は一度だけ、彼女に尋ねたことがあった。彼女は両手を広げ満面の笑みで答えた。
「暖炉になればみんなを暖めることができるわ!」
パセリは生粋のバカだった。バカの前に『無垢で無邪気でお人好し』がつくタイプの。
「……ふん。こんなモノで私の恨みが晴れると思うなよ」
私は両手でマグカップを強く握りしめ、サウスウェストシティへと足を向ける。軽い木材で作られているはずのマグカップが、まるで鉛のように重く感じられた。
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