いつかまた集合無意識で会いましょう
午前五時。
ベッド上の仰向けの姿勢からいきなり眼が開いた。
長針が一二をさした私室で私は夢のない睡眠から覚醒した。
眠気など何もなく、睡眠というものをあちら側に置き去ってきたきっぱりとした覚醒だ。
(何かある)
私はすぐさま確信した。
勘は鋭いとは思うが、予知預言とは無縁の気質だ。
しかし、この覚醒は普段の起床とは違う何か異質なものを感じさせていた。
待つ事なく、未明の暗い家に電話の音が鳴り響く。
起き上がったのは私ではない。
廊下の電話には両親の寝室が近い。電話をとったのはとび起きた父だった。
「皆、病院へ行くぞ」
電話を切った父は私達家族を起こし、車に乗るように促した。
車は暗い明け方を病院へ向かって走った。
その病院には老いた祖父が入院していた。祖父はつい先日に気管切開でチューブをつなぎ、人工呼吸装置で呼吸するようになった最初の夜だった。
私達は容態急変した祖父の死に目には会えなかった。
病院で祖父の病室に辿りついた自分達は、医師達が家族の前で形式的な死亡確認をするのを見届けてから祖父の死体と対面した。
立派な死に顔だった。
実際には死亡したのは今よりも少し前だったらしい。
(私があんなにきっぱり覚醒したのは、やはり死の瞬間に祖父が呼んだのだ)
確信していた。私の覚醒が死の瞬間だったのだ。生前の祖父が一番気にかけていたのは私だった。
名は失念したが、ある著名人が「死とは知人に向けて一斉にFAXを送信する事だ」と述べていた記事を読んだ事がある。
ピンと来ない人の方が多いかもしれないが、私はこの言葉がとても腑に落ちている。
私は祖父が死の間際に発信したFAXを受けとったのだ。
ロジャー・ペンローズという、人の意識を研究している数学・物理学者は「死の瞬間、意識は宇宙に発散される」と述べている。
発散。内部にあるものが外へと飛び散るのだ。
肉体の保持を失って発散する意識。発信。
エネルギー移動が量子の場を伝達する調和振動子で埋め尽くされた量子宇宙。それが人間から発散される情報の媒質だったとすれば、人の死の発信を受け取るとうのは異常だろうか。
私はそう思っていない。
だから私は眼を醒ましたのだ。
水面が揺らぎ、風の輪が広がる。
風が吹いて水面に波紋が現れるのではない。まず量子の場を揺るがせる意識の力があり、それが宇宙中に伝搬される風という現象を生む。そんな比喩が私の理解にある。
ブロック宇宙論によれば、宇宙の始まりから終わりまで全ての時空の可能性は既に出来上がって存在している。
死の発信はその既にある宇宙の全ての可能性、空間と時の流れを越えて立体的な同心球に広がっていく事。
私はそれを受け取ったのだ。
集合無意識。
私はこの宇宙の裏側で、全ての人間の精神という情報体の集合が大海の様に大きな場として存在すると信じている。
集合無意識こそが科学的に存在の可能性を考えられている虚数時間の宇宙ではないのか。
虚数宇宙。私達の実感している宇宙とは別ベクトルで存在する、ホログラフィック宇宙論でいう二次元的な情報実体。
恐らく生きている私達の意識はそこから来ているのだ、と考える。
そしていつか死と共にそこに帰っていく。
ほどなくして死んだ祖父の葬儀が行われた。
火葬場の煙突から煙が青空に上がっていく。
私達は全て量子宇宙の存在情報であり、現象だ。
私は神も仏も信じていない。
しかし集合無意識は信じられる。
さようなら。お爺さん。
いつかまた集合無意識で会いましょう。
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