世界最小のショー

 先に言っておくが、当時は漫画『ジョジョの奇妙な冒険』はまだ第四部が始まっていない。

 そして、以下の話は実話を元にしている。


 窓からほどけるオレンジがかった陽光。

 クラス全員、集中していた。興味は一つだ。

 教室前方の黒板には横に長い、一枚の大きな紙が貼られていた。

 その紙の上端の上に、クラスのほぼ全員の名字が白いチョークで書き連ねられていた。筆跡は様様。本人による記名だ。

 紙の下には一から順にクラス全員と同じ数の数字が列記されていた。

 これは明日からの席替えを決めるホームルームだった。

 上に名前。下に席の位置。中央の紙の下に隠されたあみだくじ。

 さっさとくじを始めろ。

 皆、新しい席に興味津津。あたかもゲートが開くのを今や遅しと待ち構えている競走馬。

 だが書いた名字の列にはまだあと二人の名前が足らない。

 隣り合う二つの空白。

 最後に書き込む二人の男子が教卓の傍に立っていた。

 クラスの生徒達はうずうずしている。

 どうせあと二人。どちらかが好きな側にさっさと書き込めばいいのだ。

 教卓傍に立つ、最後の二人の片方は俺。

 クラスでも特に目立たない地味な俺。

 俺はクラスの窓際に立っている担任教師をさりげなく見た。

 ……やれ! 無言で教師の眼が急かしている風に見えた。

 俺は突然大声で叫んだ。「じゃーんけぇーん……!」

 クラスの皆が予想外の出来事に静かに騒いだ。

 いきなりジャンケン。

 誰がジャンケンしろと言った。

 そんなのは無意味だ。

 どちらの方がよりいい席だなんて、この時点ではさっぱり解らない。二人だけの順番をジャンケンで取り合うなんて時間の無駄だ。

 しかも俺はジャンケンをする前から右手の『チョキ』を堂堂と形作っていた。そして、その手をそのまま後方に振りかぶる。

 『ジョジョ』の愛読者には解ってもらえただろう。

 決め手を最初から見せている。『ジョジョの奇妙な冒険』第四部『ジャンケン小僧がやってきた』の章で、漫画家・岸部露伴が行った奇策だ。

 しかし、もう一度言う。これはジョジョ第四部よりも前の実話だ。

 突然のジャンケン開幕に相手も慌ててそれに参加。

 俺はジャンケンを叫ぶスピードを少少間延びさせていた。

 何故か。

 ジャンケンをする手にはっきりと相手の注意を惹く為。

 相手は、俺がチョキを崩さなければグーを出して勝てる。そう確信しているだろう。

 そして、最初から手を見せているのは引っかけの可能性が高い、とも。

 相手はグーを出していた。

 そう。俺は振りかぶったチョキを途中で崩した。掌が閉じる。グーだ。グーに変わる。

 はっきりと手が見えるスピード。

 このままではグー対グーであいこだ。相手は急いで手をパーにする。

 だが、俺がグーにしようとしたのはほんの一瞬だけ。

 グーを作ろうとした右手はすぐに元のチョキに戻した。相手のパーを見るよりも早く。

「ぽんっ!」

 俺はチョキを振り切った。

 チョキ対パー。

 俺の勝ち。予想通り。

 教室は手品ショーを観た様にどよめいた。

 最初から手を見せていた負け確ジャンケンで、相手に勝ってしまう。思いがけないミラクルを観せられたのだ。

 教室に俺を讃える声が挙がった。

 快感だ。しかし俺はこの歓声にはあえて応えない。笑顔も見せない。

 ショーはまだ終わっていない。

 俺は選択権をこのジャンケンで手に入れた。

 チョークを手に黒板の前に立つ。

 右か。

 左か。

 答はシンプルに二つに一つ。

 俺は……。

「……ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な……」

 書き込むのではなく、たった二つの選択肢を前に『天神様の言う通り』を始めた。

 教室がまた意表を突かれた笑いの渦に包まれる

 確率二分の一。そんなものをわざわざ天神様に訊く。

 何の為にジャンケンをした?

 無意味だ。

 全くの無意味だ。

 意味不明感が爆笑になる。

 この時、教室の空気は不条理ギャグに完全に呑まれていた。

 今、教室の支配者は俺だ。

「……な・の・な・の・な!」

 天神様の、俺への託宣はすぐに終わった。

 右だ。

 俺の背中は「よし!」と大声で満足そうに叫んだ。

 そして……『左側』に名字を書き込んだ。

 大爆笑。

 天神様の意味がない!

 無意味に無意味を重ねる。無意味ギャグの連発。

 皆、もう席替えより、次にどう予想を裏切られるかに興味を魅かれている。

 一歩でも踏み違えたら猛烈な凍気に襲われるこの不条理ギャグの綱渡りで、完全に教室は温まっていた。

 残念だが、俺のショータイムへの仕込みはこれで終わりだ。

 最後の一人が名前を書き込み、俺達は席へ戻った。後はあみだくじに全てが託された。

 クラス委員が一枚の黒板の紙を剥ぎ取る。

 上の名前と下の席順の数字を結ぶ、巨大な、複雑なあみだくじが現れた。

 しばらく、上の名字が道を辿ってどの数字へ辿りつくかに皆の興味が移った。

 それぞれに満足と不満の小ドラマを作りつつ、席替えの発表時間はすぎていく。

 俺の番になった。

 俺の名字からクラス委員の指が下へと道を辿っていく。幾つもの分岐路を曲がり、どんどん下へと俺は攻めていく。

 そして辿りついたのは。

 最後列の窓際。

 最高の席だ。

 教室は今までで最も大きくどよめいた。

 出来すぎだ!

 これは不正があったのではないか!?

 今日の一連の事にはシナリオが準備されていたのでは!?

 でも仕込みがあればどの様に!?

 理解不能!。

 何人かはホームルームを見守っていた担任教師を疑ったが、彼は首を横に振るだけ。

 教室は不条理ギャグ劇の顛末に、再び大きく盛り上がった。

 俺は尋ねかけてくるクラスメイトに生返事を返しながら、初めてちょっとした笑顔を見せた。ああ、解っていたよ、という風に。

 勿論、俺は不正なんかしていない。

 運命に身を任せ、意味があるのかないのか解らない種を蒔きつつ、最後に当然だと笑っただけだ。

 結果論。

 偶然の結果が、まるで最初から伏線が張られていた様な完璧なドラマを成立させる。ハッタリ劇場の完成だ。

 この世に運命の女神がいるならば、そいつは最高に馬鹿で無茶な奴に惚れるだろう。俺はその秘訣を知っているだけ。

 ショーは終わった。

 皆をとことん笑わしてやりたいという俺の欲求は満たされた。

 明日からはちょっとだけ生きていきやすい、学校生活が始まる。

 もう一度言う。この話は実話を元にしている。

 この話は何処までが実話かって? それを訊くのは無意味……いや無粋ってもんだ。

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