コトダマだ! 終末を笑え!
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
ニュースはやがてACジャパンだらけのCMタイムへと切り替わる。
俺は政府から支給されていた多幸剤をコップの水と共に飲み干すと、すぐにそれが効いてきた。
うん。これで終末までの貴重な一日を明るくすごす元気が出る。
尤もこれで活動する元気が出たせいで自殺を実行する気力が湧く奴も多く出る。
教訓。この多幸剤で自殺は止められない。目前に迫った終末を大事とは思わない、気の大きさは湧いて出るんだが。
まあ、鬱になるよりはいい。本当の鬱はとてもつらい。ネガティブに死ぬ気満満のまま、自殺を実行する気力が出ない生き地獄を味わう。
ともかく、オリーブオイルを塗ったトーストを齧りながら、マンションのベランダから外を見上げれば、昼間でも見える様になった隕石がとても大きく見える。
隕石。メテオだ。
ゆっくり近づいてくる巨大な岩塊はあと七日で地球を直撃するコースにばっちり乗っている。質量は地球の三分の一。地球創世初期のジャイアントインパクトよりも凄い。命中すれば地球は終わりだ。
そして勿論、人類も終了。
現在、自殺の流行は成層圏付近からのパラシュート無しスカイダイビングだそうだ。
それは予約でいっぱいで、仕方なくスカイツリー等の高層建築物へのフリークライミングに挑戦へ切り替える者達も多い。死ぬ前に自分の限界への挑戦だ。建設的なんだか違うんだか。
ともかくあと七日。
俺は多幸剤のおかげで今日も前向きな一日をすごせそうだ。
暴動略奪は世界規模で起こっているが、不思議と日本では国民は穏やかにすごしている。
殺人、強盗、強姦などはわずかしか起こっていない。これが日本人の国民性なのか。もしかしたら暴動などは起こさないように昔から政府にマインドコントロールされていたのかもしれない。不満は述べても直接反逆はしない。そういう風に日本人は政府に飼いならされていたのかもしれない。
ちょっとトンデモな陰謀論に行きそうな考えだが、今日、スマホのメールフォルダをチェックしていて見つけたスパムメールはもっとトンデモだった。
『田中ざくれろ』とかいうふざけた名前の発信主から送られてきた『地球の救い方』というタイトルのメールの内容は「呪術的距離に働きかけて、隕石を追い払おう!」というものだった。
説明によれば量子力学的に隕石を撃退しようと語りかけている。
量子力学?
†量子力学†だ。本物と区別する為に短剣符を付けよう。
数式も書けないオカルト好きが『量子力学』だと言い張る、理系から見れば噴飯物のエセ量子力学(笑)。
そのざくれろとかいう奴の説明によれば、量子力学的には、宇宙とは時空にあまねく存在する量子場にエネルギーが加えられる事によって励起する量子の瞬間瞬間の存在分布確率情報だと言えるのだそうだ。
量子場は全て、確率的な並行宇宙の一瞬、その連続だという。
宇宙は過去から未来へと向かう、一瞬一瞬の薄紙の様な独立した時空の層が連続して重なった『時空連続体』を作っていると考える。
宇宙地図は微妙に位置が違う量子の分布を見せながら過去方向から未来方向へと現在を重ねている。隙間なく連続する一本の柱の様に連なっているのが過去から未来へと続く一三七億年超の時空連続体のイメージだ。
俺達は全て、量子宇宙の存在情報だ。
宇宙にある全ては、相対的にどれだけ座標が離れているかの位置情報の記述で存在を示せる。
俺達の一瞬後の状態、その存在の動きはそれらの距離をどれだけ離れた相対座標に存在する可能性が大きいかで表せるという。宇宙という連続体の中で、俺達の意識は自動的にそれら並行宇宙の『距離』を跳躍する。デジタルな時空構造の中で人間の意識は連続する並行宇宙をアナログに意識する。
いわば意識は『映画の観客』みたいな、宇宙の外にまではみだして過去と未来にまたがったタイムマシンだという。
それら並行宇宙を意識が渡っていくのが『時間の流れ』の体感なのだ。
この宇宙は一瞬一瞬に独立した閉鎖系の連続ではない。宇宙は起源たる過去から悠久の未来まで時間的には貫通した、開放系なのだ。
それらの座標は相対距離であり、到達する宇宙は三種類の座標間距離で表せる。
まずは『時間的距離』。
今いる宇宙から時間的にどれだけ離れた距離に行けるかというものだ。一瞬後の俺達の意識は、一瞬後に存在する可能性が最も高い並行宇宙に移動する。その宇宙は、一分後なら一分後の距離座標、一年後なら一年後の距離座標だ。未来も過去も並行宇宙の一瞬の状態にすぎない。その時間的距離を意識が跳躍する事によって時間の流れを感じる。全く同じに見える宇宙でもエントロピーの状態によって時間の順序をつけられる。エントロピーは時間経過と共に乱雑さを増す傾向にある。つまり、エントロピーの少ない方が過去であり、増えているのは未来だ。
そして『空間的距離』。
俺達の今いる宇宙からどれだけ空間的に離れた距離にいるかというものだ。一歩歩けば、その一歩分の距離を、一光年動けば一光年分の時間的距離を動いた宇宙へと俺達は移行する。俺達のありとあらゆる動きに対応した宇宙へと自分達は量子場的に移動するのだ。量子力学上、次の一瞬には宇宙のありとあらゆる場所に移動可能なのだが、現在から最も移動出来る可能性が高い場所へと移動しやすい。
最後の三番目が宇宙が人間の意識に依存する、人間原理ならではの最も重要な距離、『呪術的距離』だという。
情報から情報へ。物語から物語へ。その時の観測者の意識に最も意味が近い並行宇宙、仏教的に言えば、最も『縁』が近い宇宙へと移動するベクトルだ。連続する時間に意味を見出すのは観察者たる人間の仕業だ。意味を作り上げようとするのは人間の本能だ。脳が情報を処理し解釈する以上、宇宙という情報体に棲む俺達の意識は連想という文字、言葉、アイコン、シンボルの意味性からは完全に逃れる事は出来ない。脳は直感的に他の存在、並行宇宙をアイコンとして理解していると言っていい。そのアイコンの操作だ。言わばシンクロニシティ。魔術の様な儀式。呪術の様な言葉。フェティッシュを介した遠隔操作。祈念に応える奇跡。コンピュータのインタフェース。超能力。韻を踏む言葉。言霊。記憶。体験。イマジネーション。ミーム。因から果へ。
時間的距離、空間的距離とは違う、人の想いが生み出すベクトルだと言い、意思を通じてアイコンとして意味が似たものへと作用を操作出来るという。
物凄い説明だ。わけが解らない。
つまりだ。結論をかいつまんで言えば、ざくれろという奴は†量子力学†から編み出した呪術を使って、今迫りくる隕石を退散させようというのだ。
呪術。
それはそいつの理論によれば、シンボルを操ったり、アイテムを使ったり、魔法的に意味ある言葉を唱えたりして、その効果が現れる未来へと宇宙が変化していく、その手段だと考えているらしい。
チチンプイプイの魔法が時間的、距離的な制約を越えて発揮されるというのだ、
しかもざくれろとかいう奴のその呪術の発動の仕方というのがまた馬鹿馬鹿しい。
メールの文面は日本語なので、この呼びかけは主に日本人を対象にしたものだろう。
というか、こいつの『呪術』というのは日本語でしか意味がない。
まるで落語だ。
一人一人では微力な小さな呪術を、このメールを読んだ者が一斉に意識的に行う事によって、巨大な隕石を退散させる意味を共有する大呪術にしようという事だが、メールを読み直すと小難しい理屈をくっつけた下らないギャグにしか思えない。
もしかしたら終末の人類をおちょくる悪質な悪戯の可能性の方が高いかもしれない。
だが、俺はそれをやる気になっていた。多幸剤が生む高揚のせいもしれない。
俺は「試してみるだけの価値はありますぜ!」という気分になっていた。
メールに呪文とすべき言葉と、今日の午前十時丁度という条件が指定されていた。
午前十時か。もうすぐだ。
一体、このメールが何人の人間に信用されたかは解らない。
午前九時五九分。俺はスマホの時刻表示を見ながら、ベランダに出た。
頭上に巨大な隕石。
スマホの画面に表示されたアナログ時計の秒針の動きを見つめる。
三秒前。
二秒。
一秒。
俺は人差し指を突きつけながら、精一杯の大声で、巨大隕石に向かって叫んだ。
「「「「 メ テ オ な ん か も う や め て お !!!! 」」」」
この町の一瞬に、壮大な大勢の唱和が響き渡った。
呪術を試してみようと思った人間がこの町中にいたという事だ。いや、日本全土かもしれない。
とにかく大勢の人間が街に出て、或いはベランダに顔を出し、車の窓から指差し、一斉にこの駄洒落を叫んだのだ。
実物に言霊を突きつけたという事だろうか。
隕石は、メテオはどうなっただろうか。
それがこの一瞬でまるでバットで場外ホームランを打たれた様にいきなり明後日の方向へ飛んでいったのだ。ズコー! そんな擬音こそがふさわしい素っ頓狂な勢いで。
人類最大の脅威は突然、去ってしまった。
地球中の観測装置がその光景を確かなデータとして捉えていました、とTVの臨時ニュースも伝えた。物凄い勢いで地球への軌道から飛び去っていく巨大隕石を。
なんという非科学的な解決。
非科学的? 非科学的なのか?
スパムメールで送られてきた間抜けな†量子力学†がその実効性を証明してしまった。
言葉が物理的に実効的な意味を発する。こんなオカルトを科学として受け入れろというのか。
いや、あるオカルトが科学的に証明されても科学が負けた事にならない。ただ科学という山の裾野が広がるだけだ。
科学とは日日、新仮説と理論が生み出され検証され続ける動的な分野なのだ。
これからはこの現象の科学的検証が世界中の科学者の課題となり論文が書きまくられるだろう。
そして、いつかはこの†量子力学†を受け入れ、全ての理論をこれを前提に組み立て直すのだ。
馬鹿らしい、あまりにも馬鹿らしい、こんな駄洒落の呪術を。
町中の人間が快哉を叫びながら、喜びの表情を見せ合っている。
ともかく地球は救われた。明日から日常は多幸剤を必要とせず、自殺した死体の山を片づけながら、下らない呪術を前提とした生活を送る事になる。
†量子力学†という呪術。
俺だって今回の結果は嬉しい。しかし、このトンデモな文明発達を受け入れたくないという気持ちがある。。
だが受け入れるしかないだろう。
停止していた戦争がまた世界の何処かで再開されるだろう。今度はモンティパイソンの如く、下らないギャグをも武器として。
俺は多幸剤の効きめの中で現実を笑いとばした。
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