『俺』という地獄
俺の手には『独裁スイッチ』が握られている。
俺は善人ではない。
だからといって、クラスメイトからいじめられ続けるこの境遇を自業自得だとは思う事はなかった。
いじめられながらも今まで生きてきたのは、俺が自分自身の悪行によって裁かれるのが怖かったからだ。
もっと正確に言えば、自分の悪行が他人に知られるのが嫌だったからだ。
俺の知っている知識では、死んだ者はまず閻魔王という判官の前で『浄玻璃鏡』で生前の全ての善行悪行を映し出されるという。それが死後の運命を決めるのだと。
俺の今までの人生は何と卑怯で性悪で破廉恥だった事だろう。後悔のトラウマだらけだ。それを隠して生きてきた。その隠してきた人生が他人の眼前にあからさまにされるのだ。
それは俺には恐怖だった。
ある友達が、その信仰は不正確だと言った。お前の信じているものは実際の宗教のものとは違うのだ、と。
その友達も今や俺をいじめる側だ。
生前の俺の全てを他人に知られるのが怖くて自殺さえも出来ない。
死ぬのは怖かった。
そして、いじめられ続けた。
生き地獄だった。
そんな俺の前に、ある日、一人の眼鏡をかけた少年が現れた。何処か漫画やアニメの登場人物を思い起こさせる様な。
「これで嫌な奴を消して、もっと風通しのいい、住みやすい世の中にしようぜ」
少年はそんな悪魔の囁きをまるでささやかな悪戯を持ちかけるように俺に告げた。
その時は少年が何者かは俺には解らなかった。もしかしたら本当に悪魔だったのかもしれない。
「これは『独裁スイッチ』だ。未来の独裁者が自分の邪魔になる人間を消去する為に使ってたんだ」
いつの間にか彼が去った後の俺の手には、まさしくボタンを押すだけのシンプルなスイッチが残されていた。
少年は「このスイッチを消したい相手の名を呼びながら押せば、その相手がこの世界から消える」とも言っていた。
そんな馬鹿な事があるものか、と思いながらも、いつの間にか現れ消えた少年と、実際に手にあるスイッチの前には俺の信じる道は一つしかなかった。
俺は狂っているのかも知れない。
いじめられっ子だった自分に眼鏡の少年から渡された独裁スイッチ。
嫌いな人間を消す。
たとえ正気だとしても狂っているとしても、俺の自分の考える最良と思えた手段を即座にとった。
力一杯、ボタンを押した。
「……『俺』なんかこの世界から消えてしまえ!」
そして世界は静寂が支配した。
勿論、俺は世界から消えていない。
独裁スイッチを押しても世界は何も変わらなかった。
故障か、偽物か。
最初はそう思っていた。
しかし、しばらく調べてみるだけでそうではない事が解った。
世界から俺以外の人間、動物が全て消滅していた。
いや、俺以外が消滅したのではない。
俺だけが『これまでの世界』から消えたのだ。
今や、俺のいる世界は『これまでの世界』とは違う、別の世界だった。
皆がすごしていた『これまでの世界』は今や『あっちの世界』となっていた。
今いる世界は『俺』という世界だった。
俺という世界にいるのは俺一人だった。地球に、いや宇宙に俺一人だ。
それ以来、俺は孤独に世界をさまよっている。
孤独に死ねずさまよう。
つらかった。
それは俺の苦手な虫の群に襲われれるとか、そんな陳腐な物理的なものではなかった。
もっと精神的にじわじわ来る。
無意味に繰り返される昼と夜。
星が無意味すぎる夜空。
全ての車両は停止し、放置されている。
飲み物、食べ物はろくに見つからず、あっても腐敗している。
見つける時計は全て違う時刻を差し、今が何日の何時なのかも解らない。
街の看板、全ての本の文章、TVやPCの画面に映るものは、俺の忘れてしまいたい小さい頃からのトラウマを刺激する文言、映像でいっぱいだった。それは俺が人生で起こした些細な悪事もしつこく含まれていた。
川も森も丘もなく、ただ街並みのみが続く。
この世界には外界というものがない。
俺は年もとらず、何も食わず、疲れ果てながら何年もこの世界をさまよい続けている。
何年? 時間からさえも見放されている。
『俺』という地獄。
自分の脳の汚い部分を見せつけられているみたいな。
いや、本当の地獄はここよりもっとひどいのだろう、と考える俺は自殺も出来なかった。。
自殺する度胸もなく、成長しないまま、スイッチを手にこの世界を何年もさまよう。
そもそも俺は死ねるのだろうか。
狂って終わるものならば俺はとっくに終わっている。
雨を降らす雲さえもない。
街は切れない。
俺はあの少年を捜し、さすらっている。
いつか、青いネコ型ロボットと共にあの眼鏡の少年と再会し、この悪夢に、俺を反省させる事で終わる教訓めいたオチをつけてくれる事だけを祈って。
そして、俺はある時、道に転がる青いロボットのボロボロになった残骸と、割れた眼鏡をかけた少年の汚れた白骨を見つけてくずおれた。
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