第66話 07月31日【4】

 「趣味と言えるか分かりませんが、休日はよく水族館や動物園を訪れています」


私の捻り出した質問を「まるで見合いのようだ」と笑いながらも、光希みつき嬢は真っ直ぐに答えてくれた。


「彼氏さんと行くんですか?」


私が尋ね返すと、光希みつき嬢は一瞬驚き、吹き出すように笑った。


「彼氏が居たら、お見合いなんてしませんよ」

「あ、そうか。確かに」

津上つがみさんこそ、お付き合いされてる方は居ないんですか?」

「居たらお見合いなんてしませんよ」

「確かに」


互いの言葉をわざとそっくり返して、私達は「ふふふ」と笑い合った。


 「というか私、今までお付き合いをしたこともないんです」

「本当ですか?!」


こんな美人で頭も品も良い女性に男性遍歴が無いとは……彼女の周りに居る男どもは一体何を見て生きているのか。


「仮にも見合い相手にこんなことを言うのは変かもしれませんが、私は恋愛というものが分からないんです」


両手に握った缶珈琲をじっと見つめ、光希みつき嬢は薄い笑みを浮かべた。


「私は人の好意を真っ直ぐに受け止められません。自分でも捻くれ者だと理解していますが、『愛している』とか『好きだ』とか言われても、無意識にその言葉の裏を探ってしまうんです…」


「言葉の裏?」と私は首傾げて尋ね返す。


「例えば津上つがみさん。貴方が今日ここへ来られたのも、自分の意思ではなくお父様の意向なのではありませんか? たぶん、女性医師と貴方を結婚させることで診療所の継続を図っておられるのかと…」

「……っ!」


『当たっている』――驚きのあまり、私はその言葉を喉に詰まらせた。光希みつき嬢は『やはり』と言わんばかりの微苦笑で応える。


 「告白を受けたことは何度かあります。けれどプロポーズの言葉の深意を勘繰かんぐってしまい、相手を受け入れることが出来ませんでした」


言いながら缶珈琲を握る彼女の手が、僅かに震えた。


「高価なプレゼントや食事で御自身をアピールされることで、より一層、私は疑念と嫌悪感を覚えるようになりました。女性を物で釣ろうとしている浅はかさが目に見えているようで――」

「いや、それは違うと思います」


溜め息と怒気を織り交ぜる彼女の言葉を遮るよう、私は言葉を挟んだ。すると先ほどまで笑顔だった光希みつき嬢の目尻が、キッと上を向く。


「まさか、津上つがみさんも『女性には高価な品を渡しておけば良い』などと考えているのですか?」

「いえ、そうじゃありません。ただ、神永かみながさんが魅力的なんだと思って」

「み、みりょ…っ?!」

「だって好きでもない相手には缶ジュース一本だってあげたくないですよ。なのに神永かみながさんのために高価な品を買うってことは、それだけ好意を持ってるってことじゃないですか」


瞬間、吊り上がっていた目尻は下がり、紅潮した頬で呆れた様相を示す。


「なら、この缶珈琲も私を好意的に思って下さったしるしですか?」

「いえ。それは別に」

「そ、そうですか…」

「はい。僕の場合は好意じゃなくて尊敬です。それに感謝の気持ち。神永かみながさんと、同じ時間を過ごせたことに対する」


私は感謝の意味を込めてニコリと笑顔を送った。けれど光希みつき嬢は、そんな私をジトリと冷たい眼で見やる。なんだか既視感を覚える視線だ。


津上つがみさんて、女性の方に呆れられたり溜息を吐かれませんか?」

「えっ!? すごい! よく分かりますね! そうなんですよ。実は以前にもクリニックの隣の薬剤師さんから――」

「あっ!」


光希みつき嬢は楽しそうに私を指差した。なんだろう、そんなにおかしなことを言っただろうか。私はただ仕事中に薬局長キングか……あっ、しまった。仕事の話をしてしまった!


「ふふっ。罰ゲームですね」

「あー! 誘導尋問に引っかかっちゃいました!」

「さあ? どうでしょう?」


フフンと鼻を鳴らして得意気に、彼女は澄ましてみせた。


「くそー、でも負けは負けですからね。罰ゲームはなんですか?」

「うーんと、そうですね…」


光希みつき嬢は顎に人差し指を宛て、上目遣いに夜空を見た。

 すると数秒も経たないうち、閃いたのか私の手を指した。


「そのハンカチを、洗って返して下さい」


ハキハキと明るい声で言われ、私は手に握るハンカチを見た。腫れた頬を冷やしてくれた薄紅色のハンカチ。


「そんなの罰ゲーム関係なくお返ししますよ。他のことにしませんか?」

「いえ。いいんです。ただ、ちゃんと洗って返してくださいね?」


何度も「洗って」と強調するのは、私の肌に触れたのが余程気に入らないためか。

 なんだか、ちょっとショックだ…。

 一人静かに肩落とす私を他所に、光希みつき嬢はバッグからメモ帳を取り出しペンを走らせた。


「私の連絡先です。お返し頂ける時には、こちらへ電話かメッセージを下さい」

「分かりました」


電話番号が書かれたメモ帳を受け取り、私は丁寧に財布の中へ仕舞った。


「あ、もうこんな時間ですね。そろそろ戻りましょうか」

「はい」


言われて私は紅茶を一気に流し込み、光希みつき嬢と二人、並んでレストランへと戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る