第100話 から揚げ

「艦長ぉぉぉ……」


 護衛艦フワデラの士官用食堂で、リーコス村で大人気と噂されている「ドナルドチキンの塩から揚げ定食」を目の前に、いよいよ箸を付けようとしたところに、田中未希航海長(32歳独身)が駆け込んできた。


 今の私は、帝国海軍規則でも公式に定められているオフタイムを正式正当きっちりかっちりと取得してランチタイムを過ごしているのだ。誰にも邪魔されてなるものか。


「田中……私はいま久々にゆっくりと食事ができる貴重な時間を過ごしているんだ。一人にしておいてくれないか」


 ずっと楽しみにしていたから揚げの香りが私の鼻腔を抜けると同時に、私の幼女なお腹がきゅーっと可愛い音を立てる。


「そんなこと言わないで話を聞いてくださいよぉぉぉ」


 田中未希航海長(32歳独身)が泣き言を繰り出しつつ、私の腕にしがみついた。平野に連れて行ってもらおうかと考えたが、その平野は今リーコス村にいる。


 私は諦めた。


「話してみろ」


「使節団の人たちがスプリングスさんをずっと独占して、彼を放してくれないんですよぉぉぉ」


「そっすか」


 私はとりあえず箸を握り直して、噂のから揚げをつまみ上げた。


「そうなんです! ヒョイッ、パクッ!」


「うぉおい!」


 箸でつまんだ私のから揚げを、田中がすばやく手に取って自分の口に放り込んだ。


「王女殿下まで一緒になって、スプリングスさんを一日中あちこちに連れ回すので、二人になったときも疲れてボーっとしちゃって……」


 田中がから揚げの上でさっとレモンを絞る。


「ちょ、うぉおい!」


  勝手にレモンを掛けるな! とプチ切れる私を無視して、田中はレモンが掛かったから揚げ(2個目)を口に入れてもぐもぐし始める。


「ほごままへは、ふぷりんぐすはんははおへへひはいあす! もぐもぐ」


「このままではスプリングス氏が倒れてしまうほどの事態なのか、それはさすがに看過することはできんな」


「もぐもぐ、はひ」


 返事をしつつ3個目のから揚げをつまもうとする田中の手を、箸の先で突く。貫け! 私の箸ドリル!


「ひたぃっ! 艦長! 乙女の柔肌に傷がついたらどうしてくれるんですか!?」


「お前は、私のから揚げをどうしてくれてるんだ! っていうかお前は乙女なのか?」


「えっ……」


 特に含むところなく投げられた言葉をそのまま返しただけだったのだが、再びから揚げに手を伸ばそうとしていた田中の手が止まる。


「ん? どうした田中……とりあえず私はから揚げを食っていいか?」


 田中の視線があちこちに向けられ、その顔がぽっと真っ赤に染まった。


「かかかか、艦長……せせ、セクハラ! それセクハラです! もぐっ!」

 

「うぉおい! 私のから揚げ! そいっ!」

 

 私は今度こそから揚げを食すべく、神速でから揚げを突き、そのまま口に放り入れた。


 カリッとした皮を歯が嚙み切ると、鶏のうま味が濃厚な肉汁がじゅわっと口の中に広がる。


 これは美味い! リーコス村で大人気な理由も十分に納得だ。


 もぐもぐ……もぐもぐ……肉汁がまだ出てくる。


 美味い……うまい?


「えぇぇぇぇ! 田中! お前乙女を卒業しちゃったの!? ふぐぅ!」


 田中の手が非常に強い勢いで私の口を塞ぐ。


「ちょっと艦長! 大きな声で何てこと言うんですか! そういう話じゃないんです! スプリングスさんの過労死しかねないくらい大変って話です」


 私は目でもう大声は出さないと訴えると、田中はゆっくりとその手を放した。


「つまりスプリングス氏が王女と使節団に連れ回されて疲れ切っていると」


「そうです」


「その疲れているスプリングス氏をさらに田中が疲れさせるようなことをしていると」


「そうで……何言ってるんですか!? それセクハラ!」


 バンッ! と田中に背中を叩かれた勢いで、箸で掴んでいた最後のから揚げを取り落としてしまった。


 サッ!


「もぐもぐ……このから揚げすごく美味しいですね!」


 最後のから揚げが田中の口へと消えていった。


「はぁ……」


 色々とツッコミたいところや、根掘り葉掘り問い質したいことはあったが、から揚げの喪失感で全てがどうでも良くなってしまった。


「わかった。王女と使節には私からスプリングス氏に負担を掛けないよう言っておく」


「ありがとうございます艦長!」


 そう言って田中は去って行った。


 ……と思ったら、しばらく後に戻ってきて、別のテーブルでから揚げ定食を食べ始めた。


 うぉぉい田中ぁ! 私のから揚げ返せよ! とか言い出そうとしたところへ、 


「ちょっと艦長さん! 聞いてください!」


 カトルーシャ王女が士官食堂に入ってきて、私の隣に腰かけた。


 千切りのキャベツをマヨネーズに付けて食べようとしていた私の肘を、王女がぐいぐいと引っ張って食事の邪魔をする。


「何かお困りのことでも?」


「『殲滅の吸血姫』のDLCが入手できなくて困ってますの!」


「きゅうけつきのでぃーえるしー?」


 私が理解できずに困惑していると、隣のテーブルから田中航海長が教えてくれた。から揚げは返してくれなかったが。


「王女殿下が今プレイしているゲームの続編みたいなものです。DLCはダウンロードコンテンツの略で、要はネット経由で入手するものです」


「ゲームか……それはビックマートでの購入は難しそうだな」


「Amazonoが使えるタヌァカ氏がいないと手に入らないんですよ」


 私は王女にタヌァカ氏が戻るまで待つように伝えたが、何とかしてビックマートで購入できないかとか、フワーデに作ってもらえないのかとか、無茶な提案を次々と出してくる。

 

 以前、マーカスやステファンが彼女の「どうしてもフワデラを見たい!」という要求に折れてしまった理由を、私は実体験するハメになった。


 何とか王女に納得してもらえた頃には、ご飯もみそ汁も冷たくなっており、休憩時間はとうに過ぎていた。


「艦長! 午後の会議が始まります! 急ぎお戻りください」


 士官室に戻るまでの間、私を呼び出す音声が繰り返し放送された。



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