離れ

 一刻を過ぎた頃、姉はやって来た。

「何、あんた、本当に母屋に行かず、ここに居るわけ?」

「ああ、そうだよ、姉さん」

 この姉からの嫌味には言われ慣れていた。

 気にせずとも良い事だ。

「この時間ならすでにみな、集まっているでしょうに」

「そうだけどもね、姉さん。離れに居るのは手っ取り早く会う為だ。何故って? 秋恒は最後の最後に登場だ。今日の主役だからね」

「それはそうだけど。あんた、別にその事については何も根に持ってないでしょ?」

「ああ」

 呆れたと夏羽は言う。

「会いたくないだけだわ、あんた、父さんに」

「いいや、母さんが一番だけどね、今の所は」

 そんな話が聞こえたのか、春成がこの日一番に待っていた人物が現れた。

 正装の着物で立派にされている。

「やあ、会いたかったよ、秋恒」

 不自然な笑みではない。冬野が見たらそれは普通に笑っているように見えただろう。

 でも弟の反応は違った。

「兄さん、姉さん――」

 か弱い驚きの声。

 春成の弟にしては貧弱で、夏羽と比べれば少しは逞しいようには見えた。

 それを姉も感じ取ったのだろう。

「少しは太くなったのね、秋恒。まあ、まだ全然細いけれど。普通の人より細いかも?」

「それはないだろ? 姉さん」

 そんな姉と兄の言葉を受けて、黙るということを秋恒は止めたようで。

「何の用? 今日はちゃんと来たんだね」

 強気に言って来る感じ、これはこれからの立場がそうさせるのか――。

「いや、来たは来たが、もう帰る。お前に『次期当主、おめでとうございます』なんて、皆の前で言えるわけがないだろ? 俺はなんだから」

 当たり前のことをさらっと言えるのも、この人の性格だろうと秋恒はあまり害に思わなかった。

 当たり前だ、生まれた時からこの調子。

 そんな二人の姉兄きょうだいに囲まれて育ったのだから、自分がどのような身分になるのかは自ずと分かる。

 そこまでの馬鹿じゃない。

 従順たる当家、藤川の次男なのだから、それはどんな努力をしても変わらない。

「それで、お前はやれそうか? 次期当主」

 自分でその座を降りておいて何を言うのか、この人は――という目をせずに秋恒は言った。

「ああ、それが僕の務めだから」

 淡々とこなす。

 それが藤川の血だ。

「ほーう、それは良かった。じゃあ、俺は挨拶を済ませたことにしておいてくれ。頼むな!」

 そう言って、兄は帰ろうとした。

 けれど、弟は言う。

 その後の議題となるからだ。

「姉さんは結婚したけれど、兄さんはいつ結婚するの? 次期当主でもあれば、もうしていても良いのだろうけど、兄さんは今、誰かと住んでるんでしょう?」

 齢十七にして底辺だった予備のお飾りが知っているとなれば、それは即ち周知の事実。

 いや、次期当主になるからか……。

「誰だって良いだろ? と言いたい所だが、それはできないな。でも、今は言わない。迷惑は掛けたくないからな……」

 にっこりと言う兄が薄気味悪く感じられた。

「お前の方こそ、婚約者を選ぶそうじゃないか。良かったな?」

「良くない! 兄さんはズルい! あの大宮おうみやとの縁談、知ってそうしたの?! って責められたら良かったのに……。僕にはね、兄さんや姉さんのような力は全くないから大宮との縁談は白紙になったんだよ」

「ほ~う」

 それが意味するのは自分とまだ大宮の事が続いていると示唆するべきことか……頭に入れておいた方が良い重大な案件だ。まあ、冬野がいるからお断わりするけど、丁重に――という心の言葉を隠して春成は弟を見る。

 皆、同じ両親から生まれているのに似てない。

 春成は夏羽と同じ臭いがするが、秋恒は何もない。

 強いて言えば、春成と同じような努力が出来ることくらいか。

 それの評価はどうも悪いが――。

「ご忠告どうも!」

 そう言って、春成はその場から消えた。

 忍びの一族とは決して言わない、それはこの藤川の家がもう忍びではない違う稼業で生計を立てているからだ。

 表向きは確か和菓子屋だったか? 笑えて来る。

 別に和菓子屋が悪いわけではないけれど、あの父が和菓子屋を営むなんて。

 落ちぶれたものだ、藤川も。

 今や、情報屋らしく諜報活動が主となっている。

 誰にも言えることじゃない。

 その事を知らずに嫁いで来る他家の娘なのだから、信用は嫁いでからとなる。

 それが習わし、それに耐えられなければ、――むごい事だ。

 いや、惨いのはその家に生まれた子供もか――。

 今や必要のないそれを会得して、それを後世に残すのも役割……それが上忍として忍びの中で密かに生きて来た人間の誇り――。

「俺はもう何でも屋なんで、関係ない! と、言い切れないのが切ないな……」

 誰が聞いているのか、そんな事を人様の屋根の上で春成はぼやいた。

「さて、用事も済んだし、行くか!」

 明るく元気に暮らしてるわけではない春成はそれ以上言わずに次の仕事へと急いだ。

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