昨夜に引き続き
昨日と同じ時間。
全てを終えているのにそこに座り続ける冬野はずっと春成に背を向けていた。
外を見ないようにしているのは明らかだ。
「冬……、何かあったか?」
春成が思わず声を掛けるほど、冬野は挙動不審だった。
父の命を奪った
冬に雷が落ちるのは大変珍しいことで今日もなんてあり得ず、そう思って昼間も春成は冬野をこの屋敷に一人残して仕事に行き、帰ってみれば普通にしていたので一安心、それでもうおしまいだと思って明日の準備でもしようとしていたのだが――ビクッ! と冬野の背中が大きく動いた。
何だ? 嘘だろ!? あれはきっとその時の事を思い出してしまった反動……。
「あ……」
つい今しがた外が強く光った。
「あの! 外が……光りませんでしたか?」
冬野は震える声で背中越しに言って来た。
やっぱり外を見ていない。
怯えている。
「あ、あやかしの仕業でしょうか?」
それだったら良いのだが、
「それはないな。俺がそれを許してはいないから」
「じゃあ、自然なものですか……」
納得した途端、雷の大きな音がして、冬野は再度落ちた強い白い光だけで心底びくついたのが分かったが、ガクガク震えていても昨日と同じ事はして来なかった。
期待していたわけではないが、もしかしたら……はあったかもしれないのに。
「我慢強いな、冬野は」
「春成さんは怖くないんでしょうけど! 私は怖いです!」
だったら……と春成はすぐにそれが出来る所に居た冬野の背後から近付き、そのまま冬野を自分の方へと抱き寄せた。
「ひえっ!」
雷は落ちなかったし、あやかしでもないのだからそんな変な声を出されては困る。
「冬野……」
「ごめんなさい……。私、今、あなたの冗談に付き合っていられるほど心に余裕がないのですが」
「そう冷静に言えるなら大丈夫じゃないのか?」
「いいえ、全然。何の意味があって、私の体に背後から抱き付いたのですか? 慰めですか?」
いや、全然普通に答えを言って来る辺り、冬野は普通に見える。
けれど、その身体は常に震えている。
心が弱っているから強くあらねば! としているだけかもしれない。
それはかなりの負担だろう。
「悪かった、驚かせるつもりはなかったし、こうしている方が安心するんだろ? 昨日言っていた」
「それはそうなのですが……こうすると私、もっと弱くなるので、しないでほしいのですが」
「できない」
完全なる拒否は自分にはないのに春成はそう言った。
困っている好きな女がいたら、どうにかしてやりたいと思ってしまう。
自分はそんな良い身分ではないし、何の不都合があろうか? という思いからだったが。
「あの、やっぱり……抱き続けられると、その……」
冬野は困ったように言う。
「呆れません?」
「いや、そんなに怖がるなら、我慢せずにすぐに抱き付けば良い。誰も見てやしないんだから」
「でも……」
とまだ拒む冬野にさらに春成は言う。
「我慢したって良い事なんてないんだぞ? おかしくなるだけだ。俺はお前に抱き付かれたって平気だ」
「結婚した家族でもないのに? 婚約者でも恋人でもありませんよ? 私」
そこで春成は冬野の今の己の価値を知った。
それはあまりにも衝撃的な事でもなく、真っ当な事だった。
だから、彼女は昨日とは打って変わって、しがみ付こうとはして来なかったのだ。
これがあの家で育った娘の意識。
世間一般だと彼女は言うだろう。
だが、自分が大変恐れているものが昨夜と同じように起こり、狂うこともせず、ただ昨日の失態を思い出し、近くに居る唯一頼れる人である春成にしがみ付くことは頑なにしなかった理由。
甘い言葉も通用しないはずだ。
「強情……」
それでも抱き付いているのは何故かと冬野は問うような目をして見上げて来る。
「お前が幸せになるのが一番なんだけどな」
そう言って春成は冬野に触れるようにそのまま頭を傾げた。
目に入る冬野にそれは答えにならないか……と春成は思えた。
そうだ……と春成は話す。
「正月はどうする?」
「え?」
まだ抱かれたままだった彼女は呆気に取られたように声を出した。
「俺は行かなきゃならない。実家に」
「実家……は遠いのですか?」
「汽車で半日もしないで着く」
「そうですか……」
「お前は?」
「私は、このお家に居ますよ。あの家には戻りません。その覚悟でここに来たのです」
「そうか……」
家族を思って帰るとかはないらしい。
「できるだけ早く帰って来ようか?」
「どうしてです? 一家団欒ではないですか?」
「それをしない女がここに居るのに、主の俺がそうするとでも?」
「嫌な事を言わないで下さい。私、ずっと考えてたんです。昨日も春さんと別れ、一人寝る時も昼間になっても雷が怖くて寝れなかったからなんですけど……」
冬野はもう震えていないようだった。
「多少でも血の繋がりある家族、関係がある従姉妹だからこそ、あれはできたんです。でも、その関係も血の繋がりもない春さんにそれをするのは失礼じゃないかって……だから、私はもうしないって決めたんです。昨日と言ってることが違うってお怒りになるかもしれませんけど」
そう言う冬野は春成の顔を見なかった。ただ目の前の方だけを見て言っていた。
「間違いだったと言いたいのか? しがみ付こうという気にはもうならないって」
「そうですね……」
それでも怖いのは募るばかり、でも雷はきっと克服できる。
気にしすぎるからいけないのだ。過去を思い出さなきゃ良いだけ……そう思い込もうとしたのに。
「バカだな、冬野は。そんな事したって忘れるわけがないさ、衝撃ってのはずっとあるもんだ」
どこに? と冬野は春成に問おうとした。
なのにそれは叶わなかった。
別に口を押えられたわけでもないのに、できなかったのは彼の気持ちが少し分かってしまったからかもしれない。
何かがあって、この人もきっと同じような感情を抱いている。
それが分かって、すっと楽になったような気がした。
「春さんは呆れていますか?」
「呆れる? 何故だ?」
「だって、過去っていうのに出会ってしまったら逃げれないでしょう?」
「逃げなきゃ良いんじゃないか? 受け止めろ! とも言わないけれど」
その答えはどこにあるのだろう。訊きたい。
「忘れることはできないよ、それが始まりでずっと続くものなんだから。時に思い出すくらいで良いんだ。日常に支障があるとかえって邪魔だ。そうだろ?」
こくん……とまたしても冬野は頷いていた。
「だから、俺は誰かにはっきり言うようにしてる。意志があれば解決するとも思えないが、多少は楽になる。誰かの為じゃない自分の為だから。やるんだよ」
「何を?」
「伝えるってことをさ、それでもどうしようもない時は他の事を考えて、それを考えないようにする」
「それで良いんですかね?」
「さあ? 俺はそれで良いと思うけれど、お前はそうじゃないかもしれない。けれど、楽な道に生きた方が良いだろう? 疲れ続けるのも良くないし、俺は笑ってる冬野が見たいから、辛い時は泣くより他ないが、嬉しさで満たされてほしいと思う」
実直な思い――に冬野には感じられた。例え話だろうけど。
「だから、俺はこうしているんだ。こうしていたいから」
そう言って、春成はその腕への力を少し強めた。
それはそれをされていたのを忘れていた冬野にとって少しドキッとすることだった。
「何してるんですか?」
「忘れさせたくないから、ちゃんと抱いとこうと思って」
「何故?」
「いつでもここに行き着いてほしいからかな……」
そんなぼんやりとした願望に冬野は思わず笑ってしまった。
「おかしな人……」
そんな少しの温かさは私にしか感じないのだろうけど。
その腕の居心地の良さは私しか知らないわけではないのだろうけど、そうであってほしいと願ってしまう。
誠に勝手ながら、安らぎを感じてしまう。
もう雷はしてないから、離れなくてはいけない時間だ。
でも少しだけ、もう少しこのままで――とその腕は言っている。
それに合わせていたら、私はまたあの時のようになってしまう。
寄りかかりたい気持ちを押し殺して冬野は言う。
「雷はもう過ぎたようですね」
「ああ、そうだな……」
「では、私は正月もここに居させてもらいますから」
そう言って冬野は春成の腕から離れた。
もう追って来ない。
力尽きたように感じられた。
「大変恐縮ですが、私、きっとまた同じような事されたら今度は泣くと思いますので、覚悟なさっていてくださいね?」
「え? それは感動でか?」
そんな変な答えを春成は言った。
笑いを取りたいようではないようで真面目だった。
「そうですね……そうだと良いですけど」
笑って誤魔化す、それが最善の策かと冬野には思えた。
だからする。
それ以外に方法はない。
きっと、そうだから。
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