第21話 西暦2015年:9ー4
姿見の中、黒猫が見つめている。
右手を挙げる。黒猫が右前足を挙げる。
左手を挙げる。黒猫が左前脚を挙げる。
飛び上がる。姿見から黒猫はいなくなる。
天井を爪で引っ掻いて、桃は喉を鳴らした。
落ち着きなくベッドの周囲を歩き回り、ベッドの下に潜り込み、結局ベッドの上に帰還する。
シーツに身体を包まらせていると、ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
人間の声。生物学的にあり得ないが、魔法は何でもあり。
「桃さん、まだ起きてますか…………え?」
入ってくるなり、くじらは固まった。
桃はにゃー、と鳴いた。
くじらはゆっくりとドアを閉めると、足早に桃に近づき、両手で掴んで持ち上げる。
「…………桃さんですの?」
「そうだよ」
「何で猫に……?」
桃はくじらに事の顛末を話した。青葉理の仕業と知り、くじらは納得したようだった。
「これなら逃げられそうですわね」
桃は頷く。
「戦いなんて馬鹿らしいよ。くじらちゃん、一緒に逃げよ」
「残念ですが、私は残りますわ」
「どうして?」
逃げられるのは君だけ。
青葉理の言葉が脳裏に浮かび、桃は慌ててそれを振り払う。
「私はこの一週間、青っちのチームで戦略を練ってきました。少しでも犠牲者が減るための策を」
偉いなぁと思う。
けど、それだけ貢献したのなら後はバトルガチ勢に任せて逃げちゃえばいいのに、とも思う。桃ならそうする。
魔獣のような格下ならともかく、同格以上の相手とガチバトルなんて冗談じゃない。
「桃さん、私には責任があるんです。作戦を立てた以上、明日起こる悲劇の全てに、私の責任が発生します。私だけ逃げるわけにはいきませんわ」
「…………意味わかんない」
桃の偽りざる本音だった。
「作戦とか責任とか、そんなの大人の仕事じゃん。私たちまだ中学生でしょ? 危ないことから逃げるのって、そんなにおかしいのかな」
魂が猫。
青葉理はそんなことを言っていた。あれはもしかして、とてつもない悪口だったんじゃないかと桃は思い始めた。
獣の心。
人でなしの魔法少女。
(詐欺師に言われたくないっての……)
「桃さんはまっとうですわ」
くじらは猫の瞳を覗き込みながら断言する。
「おかしいのは私たちでこの場所です。客観的に見れば、きっと私たちは集団パニック、ヒステリーになっていますわ。信じていた妖精に裏切られて、大人から分断されて、こんな場所に閉じこもる。家出少女の梁山泊です」
りょうざんぱく? が何か分からなかったが、桃はにゃー、と鳴いた。
「……くじらちゃんは仲間を見捨てられないんだね?」
「……桃さんも、仲間だと思ってます……」
違う、と桃は思う。
くじらと桃は違う。
鯨と一緒に泳ぎたいくじらと、猫になりたい桃では、根本的な断絶がある。
桃は今、ようやくそれに気が付いた。
「……ちょっと試してみますね」
そう言って、くじらは猫になった桃の額に掌を当てた。
「……やっぱり、魔力をまったく感じませんわ。桃さんは今、完全に猫になっています。これなら、他の魔法少女に見つからずに逃げられるかもしれません」
さすが青っちですわね、とくじらはどこか諦めたような口調で言った。
「私たちまた会えるよね?」
「……ええ、勿論ですわ。さ、もう行ったほうがいいです」
くじらに促され、桃は名残惜しそうに彼女の懐から抜け出す。そして、一息に窓際に飛び移ると、ちらりと振り返り
「またねくじらちゃん」
と、言った。
「ええ、また会いましょう、桃さん」
桃は頷き、窓辺を蹴った。
そして、一息に樹海まで走って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます