第16話 歓待 2
「違うわ!」
思わず立ち上がり、わたしは叫んだ。
「わたしが好きなのは、カエルなの。ジュリアンではないわ!」
「コルデリア! こら! 国のことを考えよ!」
父が大声を出した。
「モランシー公爵家令嬢としての責務を果たすのだ。モランシーは、ロタリンギアと、外戚にならねばならぬ!」
「外戚? 親戚の反対かしら? ということは、他人よね。お父様は、ロタリンギア王とアカの他人になりたいのね?」
わたしが指摘すると、父は激昂した。
「違うわっ! 全くお前は、ものを知らぬ娘じゃ。外戚は親戚の反対などではないっ!」
「あら、そうでしたの?」
「儂はな、」
父は、大きく息を吸った。
「儂は、未来のロタリンギア王のお祖父ちゃんになりたいんじゃあーーっ!」
怨念籠った凄まじい迫力だった。
「それでしたら、」
負けずにわたしも言い返す。
「ロタリンギアにはもう、
「馬鹿者! 王の年齢を考えろ! デズデモーナに子など産めるものか!」
はっと、父は、カエルを見た。
「………………」
わたしが立ち上がった拍子に、ジュリアンは、わたしの膝から振り落とされ、赤いじゅうたんの上に這いつくばっていた。
「殿下。なんたる失礼を……」
「あ、ごめんなさい……」
父と私は同時に叫んだ。ジュリアンは、絨毯に張り付いたままだ。掬い上げようとてのひらを差し出したが、いつものように乗ってはこなかった。
「コルデリア。君は僕が、嫌いかい?」
傷ついた声が尋ねた。わたしは慌てた。
「いいえ、そんなことはないわ」
「好きって、言ってくれないんだね」
「あなたのことは、大好きよ」
「君が好きなのは、カエルのジュリアンだ」
四つん這いに起き上がり、ジュリアンが言った。心の傷を押し隠すような、強い調子だった。
その通りなんだけど、さすがにわたしは、申し訳なさでいっぱいになった。
「カエルは好きだけど。でも、それは、最近のことよ? 昔は、カエルなんて、大っ嫌いだったわ」
つまりわたしは、ジュリアンがカエルになったから、カエルが好きになったのだ、と言いたかったわけで……。
「もうっ! お父様が変なことを言い出すから、話がややこしくなったじゃない」
「ややこしくしているのは誰だ! だいたいお前が、『ei』をだな、」
「何度その話を蒸し返すの!」
「せっかくのお話ですが、モランシー公爵。このお話はお受けすることができません」
にらみ合うわたしと父の足元から、静かな声が聞こえた。
「僕はやっぱり、レメニー河へ帰ります。そこで、カエルとしての人生を送ります」
「しっ、しかし、殿下! あなたももう、17歳。ご結婚は?」
父が、変なことを尋ねた。さすがのモランシー公爵も、動転しているのだ。
全てを決めてしまった者の穏やかな声で、ジュリアンが答えた。
「ご心配なく。カエルの妻を娶ります」
「カエルの妻ですと? カエルを王妃に!?」
悲鳴のような声で、父が叫んだ
「ああ、なんということだ。ロタリンギアの第一王子が、御乱心召された……」
よろよろと、父は部屋を出ていった。
「ジュリアン……」
カエルのメスの上に乗っかったジュリアンの姿を、わたしは思い浮かべた。それほど、わたしには衝撃だった。思わず、叫んだ。
「ダメよ! 絶対、ダメ!」
「コルデリア?」
「ジュリアン。あなたは、わたしの側にいるの。ずっと、ずっとよ!」
「コルデリア。僕も考えたんだよ……」
「何を?」
カエルなのに、何を考えたというのかしら?
「あの様子だと、この先、モランシー公爵は、次々と君に縁談を持ってくるだろう。そうしたら、絶対僕は、君の邪魔になる」
「ロタリンギアと比べたらモランシーは小国だけど、そんな心配は無用だわ。だってあなたは、水槽暮らしですもの」
水槽から出ても、大抵は、わたしの膝の上にいるわけだし。
彼は、ほんの少ししか、場所を必要としない。たとえどのような事態になろうとも、ジュリアンが邪魔になんか、なるはずがない。
「いいや、コルデリア。僕は、君の夫に嫉妬する。今だって、君の未来の夫が、憎くてたまらない!」
「未来の? 夫? あはは。何言ってんのよ」
やだ、ジュリアンたら……。思わず笑ってしまった。
「大丈夫よ。そんなの、存在してないから。だって、わたしを妻に娶るようなもの好きはいないもん。あなただって、婚約を破棄したわけだしぃ?」
「コルデリア……」
泣きそうなで、ジュリアンは私の名を口にした。
わたしは慌てた。
大変! カエルを泣かせたら、わたしは、悪い女になってしまいますわ!
「ごめんなさい。婚約破棄の話はもう、しない。だって、今のあなたは、こんなにかわいいカエルなんですもの!」
「………………」
何? この沈黙は?
「ジュリアン?」
「僕は、君の騎士になると誓った。僕は君を護る。生涯!」
長い沈黙の末、ジュリアンは言った。
「ずっと、カエルのままでいい。君が夫を迎えても。そばにおいてくれさえするなら」
「そうそう。あなたには、わたしに近づく蚊を退治しするという、重大な任務があるのよ!」
それは、ジュリアン自らが申し出たことだ。
「側においてくれるんだね? この舌の長さほどの距離に……君の肌に近づいた蚊を、舌で巻き取れるほど近くに在ることを。コルデリア、君はそれを許してくれるんだね?」
「許すわ」
だってそうしなければ、蚊を捕まえられないじゃない。
「永遠に? 君が夫を迎えても?」
「わたしは結婚しないから大丈夫」
「しない」ではなく、「できない」のだけれど。たぶん。
ジュリアンの黒いつぶらな瞳に、もりもりと涙が盛り上がっていった。
再び、私は慌てた。
「許すわ。だから、よそのカエルの所に行ったらダメ」
ずっと言いたかったことを、口にしてしまった。
ずっと前から、言いたかった。
本当は、“カエル”じゃなくて……“エリザベーヌ”と。
べ、別に、人間のジュリアンなんか、少しも好きじゃなかったけど! 今だって、カエルのジュリアンの方が、どれだけ好きか!
ジュリアンは首を振り、涙を振り飛ばした。
「今、ここに誓う。騎士ジュリアンは、生涯、コルデリアを護る」
「約束よ」
わたしは彼を掬い上げ、その冷たい体に、頬ずりをした。
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