第4話 祈りの時間 - 黄昏 -

 双璧そうへき

 この言葉が意味する物はメア領国では二つある。

 一つはラーラ山脈とコンディーズ山脈。このメアという北の大地を東西から囲む断崖絶壁の山脈を合わせて、そう民は呼んだ。

 二つ目は「黒壁こくへき」と「白壁はくへき」。黒壁はラーラ山、白壁はコンディーズ山を指すと同時に二人の人物を示す。

その二人と山脈がメアを外敵から守るようにメア領国要人と民を守る。

 この二種の「双璧」を落とさぬ限り、メアは落とせぬ事から、古くから外敵の侵略を免れてきたのである。しかし、メア領国王・白銀しろがねはこの国が“平和”である理由がそれだけではないと知っている。白銀だけではない、メアの民たちは心得ている。

 誰がこのような土地を欲するか、と。

 国の半分を樹海、季節の半分以上を雪が覆い作物がままならぬこともある。

 さらに東に位置するラーラ山脈を囲むようにある太古の森“神隠れの森”は年々と拡大し、近隣の町や村を尽く飲み込み、生けるものだけでなく「異邦のモノ魔物」すらも迷わせる。

 都市領王国家・メアは神々に見放された土地でもあった。

否、『唯一「北海と詩の神」だけがこの土地を見捨てず今も見守っている』。

 そう、古神史は記すが何が真実かは今となっては定かではない。


◆◇◆


 昼と夜が交差する時間。

 東には月。西には太陽。それらが頂を微かに覗かせる双璧と周囲の山々を陰らせている。山々の下に広がる森とメアの都はすでに夜の帳が降り、街には点々と連鎖反応のように夜の灯りが点る。

 この瞬間が、白銀はとても好きだった。それを王城で一番高い塔の上で眺めるのが何よりの一日の楽しみだ。幼い頃は得られた「自由」を一時でもかみしめることがここではできる。自分以外は誰もいない場所。誰も自分を捜さない場所だ。

(花船は知っているだろうけど)

 白銀は 心の中でそっと付け足す。

 吹き荒れる風が彼の銀髪や真っ白なマントで遊び、夕日と闇夜色が移り銀髪を紫に染め上げた。年齢の割に見た目が若く端整な作りの顔立ちに鋭いが優しさの溢れた瞳をゆっくりと閉じる。白銀は見えない右目を隠している眼帯を外し、無造作に石床に落とした。

 碧玉の左の瞳と、光を失い灰色に濁った右の瞳の両眼をゆっくりと閉じ、いつもの日課を始める。

「今日も、ムーリットサニール太陽が交差しイヴ・イール黄昏が来訪しました。感謝いたします」

 まるで歌うように凛とした声を発し、その場に白銀は膝をつく。

「明日も民に平和に朝が訪れますよう、ラズ・イール夜明けへとお伝え下さい」

 歌うように唱えながら、頭を垂れ、石の床に額をつける。遙か彼方、双璧のさらに北にある北海・ルナに向かって彼は祈り続ける。

「天にまします至高の神よ」

 夜の帷が降りた空に風が切れる音と交じって、街の酒場などのにぎやかな声が聞こえる。海の、静かな漣の音も白銀の耳には届いた気がした。もしかしたら幻聴なのかも知れない。かまわず、白銀は小さく口元だけに笑みを浮かべた。

「北海の女神よ、感謝致します」

 ゆっくりと立ち上がり一礼をする。見上げれば空には満天の星が輝き、街の灯りに対抗しているようだった。白銀はそれを一瞥すると足下に落としていた眼帯を丁寧に元の…右眼にかけ直し、その場を後にした。




 「あーっ!花船かぶね、ずるい!ここでそれ出すなんて!」

 非番兵用の談話室から、賑わう声の中で一層大きな声が響く。その声に驚いた白銀はノックしようとした手を思わず止めてしまった。声変わりをする前の、少し高めのよく通る声。自分の無二とも言える友人の息子のせきの声だ。

 普段大人しく、大きな声を上げない隻にしては珍しい音量の声に白銀は恐る恐るドアノブに手をかけた。

「そうだ!そうだ!大人気おとなげないですよ!花船隊長」

 広い淡い光彩を放つ兵の非番用の談話室に入り、次に聞こえたのはぜんの声だった。

 白い肌に魔法強化用の青の刺青を左目周りに施し、黒い隊服を着た姿は小柄ながらに存在感があり、遠目でもよく目立つ。禅の前に隻が座り、丸テーブルを隔て、二人の前に座っているのはメア六部隊の第一部隊隊長であり、白銀の直属の護衛である花船だ。いつもは白銀に付きっ切りの彼だが、午後は非番を取っていたのを思い出す。

 禅は、花船とは同僚であり、第二部隊の隊長である。彼女も多忙な公務の合間を縫っての休息なのだろう。談話室の真ん中の円卓でテーブルゲームを興じているのは隻と花船の他、兵の四名で、観戦者に混じっている禅は隻にゲームの助言をしているようだった。

 隻はもともと白銀や両親の関係で王城には馴染みがあるが、運び屋の特使(運び屋の中でも特殊な荷物を預かることができる資格職)として、王城を出入りするようになって約一年の間に、王城で働く者たちの多くの者たちとよくうち解けたのが端からでもよくわかる。

 楽しそうに歓談するのを、白銀は彼らが自分に気が付かないのを良いことに扉の前で様子を眺めていた。暖炉とランプの灯りが扉の前までも暖かく満たす。

「ふふふ、禅、ゲームとは娯楽であって時には非情となるのだよ……。ほいっ。はっはっは!オレの勝ちだ!」

 得意気に色と図柄が綺麗にそろったカードを卓上に並べる花船。意気揚々と背を仰け反らんばかりに満面の笑みを浮かべている。

「え~、負けたぁ。やっぱり花船おじさんは強いなあ」

「くっ!隻!一番が駄目なら二番だっ!花船隊長なんてほっとけ!」

 負けたのに、一応、頬を膨らませ、眉を寄せはしているもののあまり悔しい顔をしていない隻に代わって、何故か禅が息を巻いている。

「そうだぞ、隻。隊長なんて一人で勝手に勝たせて置けばいいぞ」

「たかが、ゲームで花船隊長も大人気ないっすねぇ」

「隻、“ああ”いう大人になっちゃいかんぞ」

 観戦者や花船以外の対戦相手も口々に花船の容赦のない技にブーイングや揶揄が飛び交う。誰もが隻の味方のようだ。

「おい、お前ら……。禅や他の部隊の連中はともかく、何でオレの隊の奴らまで隻の味方なんだよ。普通は隊長であるオレを応援するのが道理ってもんだろ……」

 子供のように拗ねた口調で周りの…特に自分の部下達を見る花船にどっと笑いが起き、また冗談を皆言いあう。

(なつかしいな。私もよく花船やそうと酒場や自室のベッドの上でゲームをしたな。決まって一番に勝つのが花船で、漱と二人で文句を言って再戦を強請った)

 何十年か前の自分の姿に彼を重ねて少しの間眺めていると、ふいに隻がこちらを振り向いた。

「あ!白銀様っ!」

 本当に突然、何も前触れもなく振り向き、白銀を見つけた隻に白銀は思い出から引き戻された。隻のその声に振り向いた他の者たちも、階級関係なく兵士たちがくつろぐ談話室に王が入ってくるなど、考えてもいなかったのだろう。皆、慌てて敬礼をし、服装やだらけた姿勢を正しだした。それを透かさず白銀は軽く手を挙げ制した。国や民のために日夜働いてくれている彼らのわずかな休息を自分の為に壊させたくなかったからだ。

 楽にしていれば良い。

 そう言えば、彼らは“王”を気にしながらもくつろぎなおす。

 たった一言の言葉でさえも“命令”になってしまうことに白銀は少し寂しさを覚えつつも隻がいる所まで行った。流石に普段から側にいる花船や禅は萎縮する他の兵たちと違い平気な顔だったが、禅は不服そうな表情をしていた。白銀が従事の者を使わず自らの足で赴いたことが不満なのだろう。

(また、後でどやさられてしまうな。まあ、来てしまったものは仕方がないだろう?禅)

 整った眉を人知れず白銀はひそめる。禅が怒るのでとりあえず表情は弱った顔をしつつ、胸中では開き直っていたりするのは今に始まった行動ではないからである。

現に花船は全く動じもしなければ、怒る様子もない。そんな花船も眉間に皺を集める禅も横目で止めつつ、隻の元へと寄る。

「隻、それが終ったら少し私に付き合ってくれるかい?」

「はい。今ちょうど終わった所なので、すぐに行けます」

 それに二番ですし。と満面の笑みで言う隻に王は優しく微笑み返すと彼の頭を撫でる。

さらさらと柔らかな少し赤毛混じりの黒髪はとても手触りが良かった。

「そうか。なら、話は早い。花船、禅。二人も一緒に来てくれ」

『御意』

 主の命へのすぐさまの反応を認めると白銀は再び隻に目を向ける。その眼差しは何処までも暖かいものであった。

「楽しかったかい?」

「はい。白銀様も今度一緒にやりましょうね!」

 身分や職務というものを解りつつも屈託なく隻は微笑み、そう言う。そんな親友の息子を白銀はいつもよりずっと愛おしく思えた。

 それをすぐさま心の内にしまうと、白銀は静かに部屋を退出した。彼の心境など寸分も知るよしもなく、三人も後を追った。

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