第9章

 朝の木漏れ日が豊かな髪に差して虹色に輝く。髪を垂らしたその後ろ姿を、アレンは一歩引いて眺めた。彼女が振り返り、横目でアレンを促す。その頬は微かに朱く染まっている。愛らしくてたまらないと一度目をつぶった。吐息を零して彼女に近寄ると、指を絡ませた。

 

 彼らの姿を一目して、国王は目を細めた。そして空を見つめてやや黙したのち、口を開いた。

 「怪我がなくて良かった」

 「ご心配をおかけして申し訳ありません」

 「いや、それには及ばぬ」

 そう言って息子を一瞥した。

 「あの者の死は残念であったが、自らが招いた。仕方のないことだ。それよりも、最後の身内を失ったのだ。そなたの悲しみに寄り添いたい」

 「ありがとうございます」

 慈悲深いその心に触れて、リディアは目を潤ませた。傍らに寄り添うアレンがその背中に手をあてた。仲睦まじい姿に、国王は一人の男の名を呟いた。

 「…、よ」

 俄かに感じ取ったリディアがぱっと顔を上げた。

 「そなたの瞳はあの者と瓜二つだな」

 懐古の情をにじませ、娘の顔をじっと見入った。国王は彼女を通して違う者を見ていた。それが誰に向けられたものなのか、リディアにはわかっていた。彼女はずっと言いそびれていた言葉を口にした。

 「父の葬儀の折には、手配くださりありがとうございました」

 降りしきる雨の音とともにあの日の情景が蘇ってくる。亡骸の傍に座りこんだままのリディア。そのもとに突然姿を現した数人の男女。

 ずぶ濡れの外套を脱いだ女性がひとり近づいた。その顔は慈愛に満ちて。リディアを優しく包んだ。人のぬくもりに触れて、感情があふれ出す。彼女は堰を切ったように泣き出した。

 そしてその人々の手によって、簡素だが心のこもった式を挙げることができた。そぼ降る雨に肩を濡らしながら、リディアは何時間も父の墓前に佇んだ。その間ずっと彼らは傍らに立ち、彼女に付き添ってくれた。

 彼らが立ち去る間際、リディアはその正体を悟った。父親の仕事場を訪ねた時を振り返った。すると父を囲んでいた面々がまさに目の前に立っていた。彼らは親子の行方を追いかけ、その様子を見守り続けていた。その内容は国王へも伝えられた。

 「我らは心を分かち合う友だった。そなたの父とは、よく酒を酌み交わしては夜更けまで話した」

 リディアは、嬉しそうに語る父の横顔を思い起こした。父が幼い頃、出仕した城で出会った子どもがおり、毎日のように顔を合わせては遊んでいたという。その子にある日突然、「お前は私の従者になれ」と言われて初めてその正体を知ったのだとか。二人は王と臣下という枠を超え、気心の知れた仲となった。

 「政略など関せずに、いつしか互いの子が結ばれることを望むようになった。そうすれば共通の楽しみが増える。表舞台から退いたのちは、また二人で語らうその時を心待ちにしていたのだ」

 そこで言葉を切った。その横顔が影に沈んだ。それぞれの思いが滲み出し、その場を包んでいった。

 「だが終ぞ、それが叶うことはなかったがな」

国王は独り言ちた。

 アレンは、在りし日の姿を思い返した。跪く彼女の父の前に立ち、何も語らずただその肩に手を置いた父王。あの日、二人がともに味わったであろう苦しみが、今はっきりと手に取るように伝わってくる。

 自身が最愛の人を失った同じ日、父も生涯の友との絆を失ったのだった。

 それでもいつの日か、再会できる日を夢見ていた父を思うと、その報せを聞いた悲しみは計り知れない。

 だが息子は、「知っていたのなら教えてほしかった。孤独に見舞われたリディアを側で支えたかった」アレンはそう訴えたくなって父を見た。するとすでに自分を見ていたその目と視線が合った。彼の言わんとしていることが分かっているようだった。ふと目元が笑った。

 「リディアのためだ。彼女はあの時、一人の力だけで立ち上がる必要があった。孤独を乗り越え、生きる道を見出さなければ、再び災禍が襲った際、その時こそ命を失う」

 できることなら、助けてやりたかった。あの日向かわせた臣下たちからも進言があった。しかし、彼女の将来を思うからこそ、彼女を一人にした。孤独と向き合わせ、生き伸びる力を身につけさせる必要があった。

 だがそれは賭けでもあった。何不自由なく暮らしてきた娘を深淵に突き落とす行為は、自身にとって、親しい者の命を一度に二つも失う危険もあった。それでも国王は彼女を信じる道を選んだ。それは彼女に対する親心でもあり、なにより、あの者の娘なのだからと。それは見事に苦境を生き延びた。強かでうつくしくい娘へと成長した姿を目にし、国王は心から安堵した。

 そして自分の息子に目を向けた。

 「お前もお前で、一人になる時間が必要だったのではないか?」

 その言葉に、アレンははっとして顔を上げた。その脳裏には、幼い日に父王と交わした言葉が浮かぶ。

 「あの時の答えが見つかったのであろう?」

 国王はひとり片笑んだ。

 「リディア、そなたの隣に立つ男を見よ」

 その言葉に、彼女はおもむろに首を動かし彼の方を向いた。

 「この男もまた一人で立ち上がる強さを持った。信念を崩さずただ一人を思い続け、愛する者を守ることの本当の意味を知ったのだ。

そなたらは不運にも一度離れる道を辿った が、それは互いの絆を深めるものとなった。十年もの長い間、心が離れずに結び合えたことは、そなたらが自身の力で手繰り寄せた運命に他ならない。私は、そなたたちを心から祝福する」

さすがは我らの子と、傍らで笑う声を聞いた。午後の柔らかな光の中に一枚の真白な羽がふわりと舞い踊って、その肩に落ちた。在りし日の友が傍らでほほ笑む。その姿を感じながら、睦まじい二人の姿を眺めた。

 王太子は確かに力こそ得たが、一つだけ欠けているものがあった。それは彼女という光だ。彼女はその力の源であり、対象であった。 アレンは今それを得、本来あるべき姿を取り戻した。

 

 「ちょっと!あなたここで何してるの」

 マルデレンは荷物を整理する彼女の姿を見て目を瞠った。どうやら彼らの帰国に付き従うつもりらしい。

 いくらアレンと結ばれたとはいえ、彼は王太子である。自分にはもう見合うだけの身分はないのだ。彼女は彼との思い出を胸に身を引くつもりでいた。ところがだった。

 「帰国したってあなたに与える職はないわよ。もう新しい人材を手配済みなんだから。そ・れ・に、あなたにはもう大切な務めがあるでしょう?」

 マルデレンはにやりと笑った。

 「どっ、どうゆうことでしょうか⁉」

 いつの間にか自分は退職したことになっている。リディアには見当もつかない。それにほかの務めとは。いくつもの疑問が湧いて混乱に陥った彼女は血相を変えてマルデレンに詰め寄る。その背後で、ある者が呼びに立った。

 「オーレン侯爵令嬢様はいらっしゃいますか?」

 「ほうら、来たわよ」

 マルデレンがにやりと笑った。

 「なぜ…私の名に爵位が付けられているのでしょう」

 混乱に混乱が生じて、リディアの首がぎぎぎと曲がる。その首を戸口に向けて、マルデレンは彼女の背中を押した。

 「それは私じゃなくあの子に聞きなさい。ほら、行った行った!」

 リディアはつんのめって戸口に立つと、「早く連れてって!」とマルデレンが急かした。 にっこりとほほ笑んだ侍従が彼女を引き取っていった。どこへ?とリディアは尋ねた。

 「王太子殿下がお待ちです」

 

 晩秋の最後の実りが、紅葉した千草の間からぽつぽつと顔を出している。それらが皆息を潜めて二人を見守っている。

 東屋に立つその広い背中を見つめて、彼女の頬が俄かに色づく。銀色の髪が風になびいて、さながら光るススキのように揺れている。彼女は吐息を一つ零して近づいた。

 「アレン、あの、私…」

 なぜ廃絶されたはずの父の爵位で自分が呼ばれるのか。先ずはそのことが不可解でならない。彼女は彼の言葉を待った。

 「リディア・オーレン侯爵令嬢」

 そう言ってアレンは振り返えると、鬱屈な表情の彼女と向かい合った。それとは対照的に、実に晴れ晴れとした顔をして、彼は言葉を続けた。

 「君の父上が返還した領地は、処理保留のまま俺が預かって管理していた。だが今、侯爵家の継承権を持つ者が国に戻った。だから、君に、これを」

 リディアは手渡された書簡を受け取った。

 「領地の…権利書」

 「君は侯爵家の当主となる」

 つまり、平民ではなく爵位のある身分だということだ。次第に彼女の瞬きが多くなる。言葉は聞き分けられるものの、飲み込むまでには至っていない。彼女は混乱の極みに達した。未消化の情報が彼女の周りをぐるぐると飛ぶ。めまいを起こして今にも倒れる寸前だった。

 ぐらつく足元を、何とか踏ん張って支えた。それなのに今度は、いつのまにか跪いたアレンの姿が目に入る。リディアは卒倒しそうだった。そんな彼女を、誇らしげな顔をした彼が見上げた。吐息をついて、その姿をまじまじと見ると、幼い頃のアレンと重なった。

 「リディア」

 アレンは彼女の前に手を差し出した。

 「君を愛してる」

 彼女の瞳に光がさす。それはみるみるうちに目いっぱいに広がり、今にも零れ落ちそうだ。ほほ笑む彼が言った。

 「結婚しよう」

 光の粒があふれ出し、きらきらと零れ落ちる。彼女は十年前と同じように再びその手を取った。

 「はい。喜んで」

 重ねた手を引いてアレンはリディアを抱き寄せた。彼女はその背中に手をまわして、抱擁に応えた。それはじんわりと温かくて、まるで春の木漏れ日のよう。

 二人が求めた最上のぬくもりが、今互いの胸に宿った。

 風がそよそよと吹き抜ける。息を潜めていた果実が一斉に顔を出す。ざわざわと風に踊って歌い始めた。

 ふと気がつくと、アレンは一筋の髪を掴んでいた。日に照らされてそれは、虹色に輝く。彼はぎゅっと握りしめた。あの日、掴むのをやめて後悔した。今度はしっかりと掴んで離さない。

 アレンは誓いを込めた。

 何度も。

 君に誓う、その愛を。

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