こはく
黒猫屋
第1話
毎年決まってくるこの時期が、私は嫌いだ。
だって肌が焦げそうになる炎天下の中に長時間放り出されるのよ?
あー。思い出すだけでも頭がクラクラする。
周りは黒い服に身を包んだ叔父さんや叔母さんばかり。ああ、それに従兄弟のチビ達も。
正直、あんな田舎にわざわざ行ってお墓参りなんかまっぴら御免なわけ。
どうせなら仲良しの恵美や美紀なんかと街をブラブラして、無意味な時間を楽しく浪費していた方がよっぽどましなんだけど……。
退屈。
もう何時間真っ直ぐに走っているのやら。
高速道路ってなんでこんなにも同じ風景の連続なわけ? 殺風景を通り越して、延々と続く無限の迷宮よ、これじゃ。
眠りを誘う同じ情報の連続。これで居眠り禁止だなんて酷だと思う。ま、助手席に座っている私にはなんの関係もないけれど……。
「
パーキングエリアの看板をチラリと伺った父が話し掛けてきた。
「うん。だけど喉乾いちゃった。お父さん、次のパーキング寄れる?」
この何とも言い難い気分を転換出来るのならば、なんでもよかった。
「ああ、わかった」
お盆の里帰りもそうだけど、私は父さんも嫌いだ。正確には最近になってだんだんと嫌いになってきた。
理由は分からない。
大した小言があるわけじゃないし、喧嘩もしないけど、なんか嫌いになった。昔はパパっ子だったんだけどな……。
高速道路を降りて一時間。
見覚えのある景色は去年とちっとも変わらない。あ、でも看板とかガードレールとかは年々錆びが目立ってきたり、苔が増えたりしてるかな。
山村なんてこんなものか。
やたら煩い蝉の声は都会の雑踏の何倍もの大きさに聞こえる。
そっか。蝉以外に音を出すものがいないから……かな?
そんな事を考えながら、方肘をつき頭をのせてぼんやりと山道を眺めていると、父さんが急に車の窓を全開にした。
「どうだ、もう外の方が涼しいだろ? エアコン切るぞ」
私は遠くの流れる風景を見るフリをして、それを無視した。
だって、髪型がぐちゃぐちゃになっちゃうし、蝉は煩いし。勝手な父さんに少しだけ苛ついた。
□
父の実家に着くなり私は車を無言で降りると、勢い良くドアを閉めた。バタンッと大きな音が響く。
その勢いのまま小さな坂を下った。
背中越しに、父の私を呼ぶ声が聞こえたが、構わずそれを振り切った。
石垣沿いの小川には、小魚が数匹の群れを作ってあちらこちらと素早く泳ぎ回っている。
そんなに忙しなく泳がなくたって捕まえたりなんかしないのに。
「オクビョウモノ……」
小さなせせらぎに私はそんな言葉を吐き出した。
少し歩いた先に古いコーラの看板の架かる商店が見えてきた。
関口商店。駄菓子屋さんであり、生活雑貨屋さんであったり。
「あら千夏ちゃんじゃない、いらっしゃい」
薄暗い店の奥からおばさんが顔をヒョイと出し話しかけてきた。
「こんにちはおばちゃん。久しぶりだね」
「そうね、それにしても千夏ちゃん帰って来る度に美人になってくねえ。千穂(ちほ)にそっくりだよ」
千穂……。
私を産んですぐに亡くなった母の名前……。
関口のおばちゃんは、何かを懐かしむかのように私の顔を見続けた。
「あ、おばちゃん。これちょうだい!」
別に欲しくもない瓶のコーラを手に取り、小銭を渡すと私は翻って店をそそくさと後にした。
背中越しにおばちゃんの声が聞こえてくる。
「何時までこっちに居るんだい? またきなよ!」
「しばらくいると思う。また来るね」
振り向かぬまま、私はそう答え走り去った。
□
父さんと母さん、それから関口のおばちゃんは幼馴染みの同級生。
この村で生まれ、育ち、そして父さんと母さんは結ばれ村を出た。
父さんの口からは母さんの話は一切出てきた事はない。
私が小さい頃、何度も母の事を聞いたが何も話してはくれなかった。
唯一教えてもらえたのは名前だけ。
千穂……。
私の名前、千夏と同じ『千』の文字。
いつしか母の話題は父との間ではタブーとなり、テレビドラマの家族団欒の風景すら微妙な空気を部屋中に作り出してしまう始末だ。
関口のおばちゃんの口から母の名前が出てきた時、私は無意識のうちにそれから遠ざかりたくなった。
母の事を知ってはいけないと思っていたから? それとも拒絶していたからなのかな。
とにかく『千穂』というキーワードは、私に負の感情をもたらすものと刷り込まれていた。
蝉の声が煩わしい鎮守の森の脇道を、コーラの瓶をブラつかせながら歩く。
虫取網を持つ子供が、元気良く田んぼの畦道を駆けて行くのが見える。
ああ、すっごい田舎だ。
なんにもする事がない。
蝉が煩い、暑い、暇。
最低だ。
はやく帰って友達に会いたい。
どこまでも無駄でくだらない、そんな有意義な時間を過ごしたい。
□
昔良く遊んだ記憶のある、神社の境内の寂れた公園。
滑り台とブランコ、それから鉄棒しかない。当時真っ白だったそれらの遊具も今は赤錆びてる。
どことなく寂しげだ。
御神木の大きな杉の木……。
変わらないなぁ。
同い年の近所の子達と良く遊んだっけ。
名前は……あれ? 思い出せないや。
ともかく私は赴くまま、まるで断片的な記憶を繋ぐように見慣れた景色を散策した。
それらの行動にあまり意味のあるような事ではなかったけれど、ちゃんとした理由はあった。
父さんをはじめとする親戚達に会いたくない。ただそれだけのことだった。
□
小一時間ブラついた後、私はとうとう行き場を失い、父の実家に戻ることにした。
帰路の途中、良く焼けたアスファルトに蝉が一匹ひっくり返っていた。
道路の真ん中、私はしゃがんで蝉をつついてみた。力なく脚を動かす蝉はもう飛ぶことは出来ない様子だ。
「君はもう飛べないんだね……。君の夏はどうだった?」
囁きにも似た呟きは、熱いアスファルトにそのまま溶けてゆく。
「おーい千夏、ばあちゃんがお前の顔みたいってよー。早くこっちに来なさーい」
少し離れた石垣の上から父さんが私を呼んだ。
「はぁーい」と気だるい返事をしたあと、私は蝉の羽を摘まみ上げ、真横の石垣の隙間に蝉を移した。
「蟻に見つかったら駄目よ。食べられちゃうんだから」
□
「……なつ……」
「ちなつ……」
ひんやりとした土間の上で、蘇った遠い記憶の面影を追いかけていた私を父さんが呼び戻す。
「何をぼんやりしてるんだ。おばあちゃんに挨拶しなさい」
「あ、うん」
私は靴を脱ぐと丁寧にそれを揃え、居間に上がった。どうもここへ来ると行儀がよくなるらしい。
辺りを見回して祖母の姿を探すが見当たらなかった。
「父さん、おばあちゃんは?」
父も同じように祖母を探しているようだった。
「あれ? おかしいなあ、さっきまでそこに座ってテレビ見ていたんだけど……」
私はふぅと軽い溜め息を感情のままに吐き出し、居間の古い振り子時計に目をやった。
太陽が天辺に昇る時間が近かった。
祖母は縁側にいた。
去年より小さく見えたその背中に妙な感覚を覚えた。
「おばあちゃん。ただいま」
私は縁側にちょこんと座り、庭を眺めていた祖母に声を掛けた。
「ああ、千夏ちゃんかい。おかえりなさい。もうじき他の子等も帰ってくることだろうから、それまではゆっくりしてなさいな」
私の顔は急に曇った。
あのうるさい叔母達に会うことになるから。
風鈴の優しい音色と、心地好く肌を撫で上げる風で私は目を醒ました。
退屈だった私は縁側で本を読んでいた。どうやらそのまま寝てしまったらしい。
お腹にはタオルケットがかかっていた。祖母がかけてくれたのだろうか。
やや寝ぼけまなこな私の意識は、居間から聞こえる複数の笑い声で一気に醒めた。
気分を重たくさせる声の主は、父さんと談笑中らしい。私は挨拶に行こうか迷ったが、もうしばらくこのままここにいようと決めた。
もちろん、気が進まなかったからだ。
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