二章 一、生き様
二章
スマホに繋がれたプラグ。十七秒の曲がヘッドホンから永遠に流れる薄暗い部屋で、私はベッドの上で微睡んでいた。
初めて死にたいと思ったのは六歳の時。
正確には死にたいと言うよりかは生きてて良いのか分からなくなった。
三日に一回くらいだろうか。もう覚えていないが、お母さんに叩かれたり殴られたりしていた。真冬に外に出されて鍵を開けてもらえなかった事もあった。お母さんの機嫌が悪かったら、ちょっとした事で怒り出して長かった髪を掴まれ、家中引きずり回される。そんなような幼少期を送っていた。
六歳の時お母さんに言われて気がついた事があった。
『ほんと、"遥"って空気読めないよね。』
ごめんなさい。ごめんなさい。お母さんごめんなさい。出来の悪い子供でごめんなさい。
これからはもっと努力するから許してください。
ひたすら口でも「ごめんなさい」心の中でも謝った。
それでもあの蔑むような目は私の記憶から離れてはくれなかった。
小学生になった。私はお母さんが病気だということを知った。
少しずつお母さんは私を叩いたりすることは無くなっていた。
私はどんな病気なのか知りたくて母に何度か尋ねた。でもいつまで経っても教えてくれなかった。
八歳、暫くしてからの事だった。
お母さんの姉、つまり伯母とお母さんが喧嘩する声で目が覚めた。喧嘩なんてよくある事だったが今回は違った。
お母さんが入院した。
私は喧嘩の詳細を教えて貰えず、『お母さんが悪い』と祖母と伯母に教えこまれた。
けれど私は母を信じていた。叩かれても、引きずり回されても、外に出されてもたった一人の肉親。それに、実は悪い記憶だけではない。お母さんが笑っていた記憶だってあるし、優しい時のお母さんは本当に大好きだった。
だから信じ続けた。それに、理由を聞かないと誰が悪いかなんて分からない。そう思ったから。
そんな事が起きたと同時に、従兄弟達とは一緒に住んでいた為、私は差を特に感じるようになった。
どういう所で差を感じるかというと、まずこの家には『六つに分かれたランク』があるということ。
そのランクは祖母の家に住んでるという事で、祖母が全てを決める。
祖母は長男長女が好きだ。理由は今でも不明。理不尽で私は祖母から嫌われていた。
一番は伯母と従兄、二番は従弟、三番は伯父、四番は猫、五番が私、そして六番がお母さんだった。
そう、自分は五番目。猫より下だった。何故なら私は六番目のお母さんの娘だから。猫は伯母が飼い始めたから。従弟は次男でも伯母の息子だから。
従兄弟達は勉強も出来て歌も上手くて運動神経が良くて絵も、私より上手かった。家族から期待されていた。
比較の内容は言葉ではなくて、行動だった。全く違った。私は祖母から見たらただお金がかかる邪魔者だった。
でも私と従兄弟達は性別が違うから。いつからかそう自分に言い聞かせるようになっていた。
しかし、そんなの小さな脳みそでは通用する訳がなくて出来損ないの私には、嫉妬する事しか出来なくて、家族や友達、周囲に比べられるのも、本当は嫌だったけど我慢し続けた。耐えるしかなかった。周りから比べられて当たり前。そう思うことにした。
そんな暮らしをする事数ヶ月。お母さんが退院した頃には伯母、従兄弟達は私達と別々に暮らし始め、私は人前でヘラヘラ笑う癖がついていた。他人に嫌われるのが怖かった。だって、家族にも嫌われてて友達にも嫌われてしまったら、私の居場所は本当に無くなってしまうのだろうと思ったから。
九歳、自分の部屋が欲しくなった。今はお母さんと二人部屋。毎日お母さんと気まずい空気に耐えられなくなった。普段から何を考えているのか正直よく分からないお母さん。お母さんは気まずいと思ってはいなかったかもしれないが、私は正直毎日気まずかった。なんて言うのか分からないが、扱い方が分からないと言うか。多分お母さんもそんな感じだったと思う。
私はお母さんの機嫌の良さそうな時に
「向こうの全然使ってない部屋使って一人部屋にしようよ!」
と提案した。お母さんはハッキリ言って乗り気じゃなかった。だけれども何とか交渉して祖母が仕事に行っている間にテレビや布団などを向こうの部屋に移動させることにした。その日は祖母が二階に上がってこなかった為気づかなかった。
次の日はもちろん気づかれ、祖母は激怒して朝六時に怒鳴りながら入ってきた。正直怒られるのにはもう慣れていたし、体も大きかったし、力も祖母より強かった。だから特に怖くはなかった。ただうるさかった。でも、思ったほど怒られはしなかった。
その日は貯めていたお年玉で自室用のテレビを買った。五万ぐらいだった。九歳のお財布の中に五万も入ってるなんて誰も思いもしないだろうが、私はぎゅっとお財布を握りしめ電気家電屋さんに行く。
できるだけ今まで使っていた物と似ているリモコンのテレビを選んだ。
選ぶのにかかった時間は五分くらい。会計で対応してくれたお兄さんも優しかった。
こうして、私の部屋にはテレビ、本棚、机、ベッド、とまぁ少し寂しさは残るが充実した部屋になった。
十歳、親友のコノハが学校の課題で犬を飼っている人にインタビューをしないといけなくて、毎朝登校する時通る、立派な家のゴールデンレトリバーを飼っているおばあさんにインタビューしたいと言い出したので、いつもは七時半に迎えに行くところを一時間早めて六時半に迎えに行くことになり、
約束した。私は朝が苦手だったが頑張って5時半に起きて六時半にちゃんと彼女の家に着くようにした。
けれども、インターホンを押していつもなら「はーい」
と一言返ってくるが、その日は違った。
いきなり玄関のドアがガチャッと開き、コノハのお母さんが出てきた。
その時顔を見てすぐに気がついた。怒っている。
でも私は間違った事はしていないはずだ。だから
「おはようございます!コノハちゃんを迎えに…」
私の声に被せてコノハのお母さんが言った。
「非常識だわ」
その突き放すような言葉に私はとてもビックリした。一瞬何のことか分からなくて頭の中を整理して口を開けた瞬間彼女のお母さんは続けた。
「準備出来てないから。大体、おかしいでしょ?こんな朝早くに来られても相手困るよね?そんな事も分からないの?」
私は自分がした事の何が悪いのか分からなかった。だから、今にも溢れ出しそうな涙を堪えていつものヘラヘラした顔で言った。
「あの、今日はコノハちゃんが六時半に迎えに来て欲しいって…」
また被せてコノハのお母さんが言った。
「あーはいはい。そうだけどさ、分からないの?」
少し面倒くさそうに言う彼女のお母さん。
本当に分からなかった。だが、私は
「…すみません!朝早くに起こしてしまいましたね!今後気をつけます。」
と丁寧にお辞儀して、後ろを振り返り走った。目からはポロポロと大粒の涙が零れた。そんなに迷惑なら、昨日のうちに電話をくれればよかったのに。それをコノハのお母さんに悟られないようにすぐに振り返り自分の家に帰った。
帰ったらお母さんが駆け寄ってきてくれた。
「どうしたの!?」
泣いている私を見て焦るお母さん、私はあったことを正直に全て話した。
お母さんの手が上がった瞬間叩かれると思った。だって、怒られたということは私が間違った行動をしたとおもったから。けれど違った。お母さんの手がそっと私の頭に触れた。撫でられた。その事に驚き涙は止まった。
母はコノハの家に直接電話をかけた。
私のために怒ってくれたのだ。冷たかった母が、その時は心の深い所がとても温かく感じた。
けれどもその後、彼女と登校する事はなかった。遊ぶ事も、話す事も。
それが辛くて思い出す度、コノハを見る度、私は辛くて泣き出す事があった。泣き出すと毎回周りが先生を呼ぶ。ほっといてくれれば良いものを。と私は内心冷たかった。
私は昔から説明するのが下手くそだったのをいいことに、コノハは自分の良いように話しを作り替えて私が悪いように言った。だから先生も
「ほら、コノハちゃんは何も悪くないでしょ?泣くことなんて何も無いわよ。」
と言った。
しかも、コノハの家は裕福だった為、新築の広い家に最新のゲーム機を揃えて何人も友達を呼ぶ。私の従弟もたまに呼ばれていた。その話を従弟から聞く度に私は従弟に
「あの家には行くな!!行くならこの家にもう来るな話すな!!」
と怒鳴り声をあげた。母が事情を説明してくれたから従弟も分かってくれたようで話すことも行くことも無くなった。それでも収まらない涙で私は学校を少しずつ休むようになった。
殺せ殺せ押し殺せ。私は感情を殺すようにした。
学校を休むと言っても三日に一度は多分行っていたと思う。時たまに一週間ぐらい休む事もあったけれど。
その頃から私にも病気の症状が出始めた。声が…聴こえるようになった。
それはどこから聴こえているのか分からなくて、お母さんに知られないようにこっそり探した事もあった。
知られないようにしたのはお母さんを心配させたくなかったから。これがもし私にしか聴こえないものだったら、私は
"統合失調症"だから。
私は病名を知っていた。伯父がその病気で引きこもっているから。そしてそれで家族が大変な目に遭っている事も知っていた。お母さん以外の家族が苦しむなら、ざまあみろとでも思うがお母さんまで苦しんでしまったら、可哀想だ。
暫くして、やっぱり私は病気だということに気がついた。辛かった現実を受け入れるのには時間がかかった。いや、正直今ですら受け入れられていないのかもしれない。その頃はスマホすら持っていなかったから、只管テレビを観て過ごした。何度も観た映画に、なんとも観たアニメ、ループさせる日々。外に出る気は全くしなかったが、時折母が北海道内だが遠出したがるので私はそれに着いていく。
私は割と近場でお気に入りのホテルがあり、そこによく泊まりに行っていた。そこには天空ガーデンスパがあり、そこにいると何だか落ち着く事が出来た。おそらく、私は水に関係する場所が好きなのだろう。特に海、湖は私が唯一心が落ち着ける場所だった。『前世は魚だったのかな』なんて思ったり考えたりして二時間ぐらい入り浸る。
「帰りたくない。」とお母さんに巫山戯たように言う。お母さんも「そうだねぇ。」と言うが勿論帰らねばならない。
現実から目を背けないように私は重たい荷物を持った。
十一歳、私は知った。お母さんが鬱だと言うこと。お母さんの容体はあまり良くはないと言うこと。お母さんの症状は私にも当てはまる部分があると言うこと。そしてそれは『私の方が重い』と言うこと。
薬は貰わなかった。病院の先生に私の事はただ眠れないとだけ伝えた。事実だった。嘘はついてない。私はいつもお母さんを優先させた。お母さんが心配だったから。辛そうにしている所は見ていたくない。そう思った。
急に発作が出ても、我慢した。怖かったけど、我慢した。自分よりお母さんに元気になってもらいたかった。
蝉が木から落ちる。
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