第18話 復学した鷲田の巡査部長
病院で静養すること二週間。ようやく医師から退院の許可が出た。
まだヒビの入った骨がいちおうはくっつき始め、また傷口が塞がり始めたばかりで、化膿止めの抗生物質を飲むことが条件ではあるが。
しかし、大学もアルバイトも二週間空けてしまった、いやあの“事件”が発生してからだと二十日間ほどは通えていない。
アルバイトが続けられなければ、いくら復学しても無意味なのだ。
だからまずはアルバイト先のコンビニへ行って今後の契約について話さなければならなかった。
あのとき無理してバイトをやっていたのを見ていたオーナーと店長が、その根性を買って契約を切らずにいてくれたのだ。高校時代から勤めていた店だったからでもあるだろう。
確認のため、塞がり始めた傷口を見せたが、そのインパクトがいくらかでも伝わったようでもある。
今後のシフトは俺の体を考慮して、二人以上が組んでなにかあっても穴があかないようにしてもらえた。
あとは大学の授業料が払えるだけシフトに組み入れてもらいたかったが、入院明けでもありまずは体を慣らす程度の頻度に抑えられてはいる。
それでもないよりは遥かにましだ。オーナーと店長に感謝し、次に大学へと向かった。
警察からの要請と大学理事会の指示により一時休学の手続きをとられていたが、事務局へ正式に復学届を出しておく。そして教授室をまわって単位の取得に必要なものを尋ねてまわった。
すべての教授が、欠席中の授業のレポート提出を条件に三週間ほどの欠席をなかったことにしてくれると約束してくれた。
ここは優等生の新井のサポートによるところが大きかったろう。
そして本日から正式に受講を再開した。
その日の講義を聞きながら、新井のノートを参考に講義の内容をレポートとしてまとめていくことになる。
実に字が綺麗でカラフルなノートを見て、ある種の感動を覚えたくらいだ。
これほど綺麗にまとめてあれば、そりゃ頭の中にもすんなり入るわけだ。
新井の能力の一端を垣間見れた。
俺はひとコマのうちに新井のノートでふたコマぶんをレポートにまとめていく。
これなら今受講しているぶんと合わせて二週間ちょっとあれば追いつけるだろう。当面はこの形で講義を受けることとなった。
それからの毎日はとても忙しくなった。
朝起きて大学で授業を受け、休み時間にもノートをまとめる。
受けていた講義が終わるとすぐにバイトへ向かう。体がまだ痛むとはいえコンビニは基本的に立ち仕事だから、鞭打って立ち続けた。
それが終わってようやくうちに帰って疲れと痛みで寝る日々が続くのだった。
その間、推理サークルにも映画サークルにもいっさい顔を出していない。
関係者が警察に身柄を一時拘束されたこともあり、厄介者が訪ねるのは時期尚早と判断したからだ。それにサークル活動をして単位がもらえるわけでもない。
それならレポートで忙しい今、あえてサークル活動なんてする必要もなかった。
そもそも新入生のときサークル勧誘で部費がないという理由で入ったのが私設の推理サークル「鷲田ミステリーサークル」だった。
しかしサークルには入らなくてもよいわけだから、そのうち退会届を出そうと考えている。そうすれば井上部長が請け負った映画サークルの撮影に付き合う必要もなくなるだろう。
せっかくの機会だから、できるかぎり身軽になりたかったのだ。単位と収入さえ確保しておけば、無事に大学を卒業できる。
そのあとは就職するなり大学院へ進むなり選択できるが、苦学生としては新卒入社が最も高く自分を売り込めるだろうと考えていた。
映画の主役を務めたところで、就職が有利になることなどあろうはずもない。いくら演技がうまくても商社に勤められるわけでもないからだ。
新井からは国家公務員試験を勧められているが、問題を起こした張本人だから仮に合格しても職員として契約できるかは微妙だろう。
それでも国家資格は武器になるから、と新井は真剣に考えていたようだ。
そもそも、新井はどこに進むのだろうか。
彼女の才能なら大学院へ上がって研究職を目指してもじゅうぶんこなせるはずだ。
それからしばらくして、推理サークルの井上部長が現れた。とても落ち着かない様子だ。
「吉田くん、君はとても勇敢だった。映画の主役として自ら危険を顧みず──」
どうやら映画サークルからなにか吹き込まれているようだった。
なにか言っているようだが、聞く耳を持つ必要はなかった。
話がやんだ頃合いを見繕って、サークルから退会する旨を伝えた。
「君は……君はわがサークルの期待の星だ。私の後は君に継いでほしかったのだがな」
見え透いた言葉がかえって俺を白けさせた。
「あの、私も吉田くんと一緒に退会します」
「ちょっ、ちょっと。新井さんはまだいいんじゃないか? なにか問題を起こしたわけじゃないんだからさ」
井上の口ぶりから察するに、厄介者はすぐにでも追い出したかったが、紅一点の彼女にまで逃げられたくないとの意図が見え見えだ。
あっけにとられた部長の表情を見ながら、俺たちは部室を後にした。
西門からキャンパスを出ようとしたとき、なにやら人の視線を感じたような気がして立ち止まった。
「一哉、どうしたの?」
新井は不思議そうな顔をしてこちらを覗いてくる。
「いや、誰かに見られているような気がしたんだけど……」
もしかして、とは思ったものの誰かが近寄ってくるわけでもなかった。
「まあ、気のせいかな」
「入院して勘が鈍ったんじゃないの?」
「かもしれないな」
「“鷲田のホームズ”としては、なにか事件を嗅ぎつけた……とか」
「いや、もうそれはやめてくれ。推理サークルは退会したんだし、今思うとちょっと痛いしね。せいぜい“鷲田の巡査部長”ってところだ」
「なにそれ」
笑い出した新井に釣られてこちらも笑い出したが、まだ肋骨が完全にくっついたわけではないので、痛みですぐに止めざるをえなかった。
「あ、ごめん。まだ痛むんだね」
「だいじょうぶ。ヒビが広がったわけじゃないから。まだ大声は出せないみたいだし。今日もバイトだから少しでも休めておくに越したことはないかなと」
「それもそうね。でもそんな状態でコンビニ強盗が現れたら対処できないでしょう?」
「あ、それはだいじょうぶ。一緒にシフトに入ってくれている人が現役ボクサーなんだ。厄介なことがあったら彼に任せればいいと許可はもらってあるから」
でも、確かにさっき誰かの視線を感じたのだが……。
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