第6話 グラマーな姉と小粒の獅子

 埃臭ほこりくささと、酷い耳鳴り…。

 ガラスの破片が散乱し、一歩足を動かす度にパキッと、嫌な音をならす。


 それでも菜々ななは闇に浮かぶゼウスを睨みながら、アイギスアテナの楯を淡く光らせた。


 彼女が天に手を仰げば、シュルル…と、空から音をたてて菜々の右手に長いやりが収まる。

 光る楯と、銀色に輝く槍を持つ菜々は美しい。

 剣と神力しんりきが交錯した神世かみよで、最強とその名を広く知らしめた楯と槍がここにある。


「…無事、ですか? 海王かいおう」 


 市ノ瀬は目眩でふらつく足になんとか力を入れて立ち上がった。しかしかすむ景色にひざが折れる。ガラスと散乱したがれきの中に倒れそうになるのを、ぶつかる勢いで支えたのは槇村だった。 


「大丈夫か?」


「――――っ! あん…た、こんなとこで、何してる?!」


 怒りで市ノ瀬の頭がクリアになり、腕を払って立ち上がった。 


「アテナ!! なんで、こいつがここにいるんだ?!」


「先輩は悪くない。俺が頼んだ」 


「っ。状況が…わかっているのか?! 何の…力も持たないあんたがここにいて、何の役に立つ?!」


「な…っ!! 力がないと、ダメなのか?! 役に立たないのか?! 親友にもなれないのか?!」

 

「そんな事、言っているんじゃない!! 危険だと言ってるんだ!」


「じゃあ、お前は?! 今だってフラフラだろ? 目眩は耳からきているんだ。内耳ないじという器官で起きた症状で、平均感覚をつかさどる三半規管が…」 


「ちょ…っ、ちょっと待て!! そんな事わかってる!」


 場違いに医師の診断を説明しはじめた槇村と、珍しく怒りをあらわにする市ノ瀬。


「もう!! 目眩めまいの論文でも書きたいなら他所よそでやって! 今はそれどころじゃ…っ、ない!!」


 菜々が子供みたいな二人の男相手に、叱咤したところで、ぶわっ…と、ゼウスの風が割れたガラスを立ち上げた。


 無数のガラスの破片が宙に浮き、菜々達を捉える。

 瞬時に菜々がアイギスをたてるが、全てを防ぐのは不可能だ。

 くる痛みに覚悟して、菜々は地を蹴り飛び出した。槍を頭上に持ち上げ、容赦なく降り注ぐガラスに突っ込む! 


「センパイ!!」

「アテナ――――!」


 ザザザザ…、ザザ…。


 風が濃い潮の臭いに変わった瞬間、波音なみおととともに濃霧のうむが辺りを覆った。

 濃いきりは視界と音を遮断する。

 ゼウスの声は聞こえてこない。

 ただ、波音だけが優しく菜々達を包んでいた。

 

「これは……。霧?」


「ああ。時間かせぎにしかならないが…」


 市ノ瀬は、形の良い眉を寄せながら槇村と菜々を睨んだ。


「でも! ゼウスの風でっ」


「ただの霧じゃない。移流霧いりゅうぎりだ。冷たい海面に大気中の熱が奪われると発生するんだが…、熱を奪ったのはオレじゃない」


「こんばんわ、良い夜ね。…カイ、私の仕事は、明日からじゃなかったの?」


 霧の中から、艶やかな美女が現れた。腰まである赤茶色の長い髪を一つで結び、胸元から覗く谷間は妖艶で官能的な魅力が漂う。


 甘い香り…。海王と良く似た気配。


「あなたは…、火の女神 ヘスティア?」


 驚く菜々に、美女は嬉しそうに微笑んだ。

  

「可愛いい弟に、カノジョができて嬉しいかぎりよ。今度、うちにも食事においでなさいな」 


「えっ! ちが…っ」 


「姉さん! 彼女は…、夫も子供もいるのだから、変な事を言わないでくれ」


「そうなの? ……ああ、じゃあ、こちら? 大丈夫よ! 私は偏見はない。カイが選んだ相手を、とやかく言う気はないわ」


 こちら…、と言われた槇村も暫く何を言われているのか理解できない。


 だから…そんなんじゃないって…と、言う市ノ瀬を見て、やっと理解し真っ赤になる。


 そんな槇村を生暖かい目で見る姉君あねぎみは、菜々に同意を求めると、菜々も偏見などないと、はっきり言った。


「「だから、違うって…」」


 男二人の異議に、女二人は、ね〜♡と手を合わせる。


「良いじゃない。無関心を貫いていた弟が、決着をつけようと動き出した。それがどれほどの決意か、わからぬ姉ではないわ」


 神世でポセイドンの姉であった彼女は、現世でも市ノ瀬いちのせ かいの姉として生まれた事を嬉しそうに語る。


「しかし、アテナ。コレはちょっと無防備すぎない?」


 美女二人が揃って、背の高い槇村を見上げた。

 無防備…というより、槇村が無鉄砲なだけなのだが、菜々もここまでゼウスが神代の神力を使いこなせているとは思わなかったのだ。


 だが、良く考えれば…菜々は神代のアイギスと槍を使いこなせ、海王も水を操れる。


「アイギスを貸すつもりで…」 


 強気な菜々が、少しだけ申し訳無さそうに槇村を見た。

 何も出来ない槇村は、ただただ眉毛をハの字にして手のひらを握りこむ。


「う〜ん。それだと、あなたの防御が弱まる。この子を連れていると良いわ」  


 手のかかる子供をいたわるような温かい目で笑ったヘスティアは、ぼぉ…っと、手の平から炎を上げると、そこから真っ赤なたてがみを持った獅子ししが現れた。


 目は炉の中で揺れる火の如く青く灯されている。


 ……が、勇ましい獅子のはずなのだが、手の平サイズ。

 槇村の両手の上で、前足を踏ん張り鬣をふるも…、小猫よりも小さい。


「これは……」


「火のだ」


「火の?」


「火の子!」  


「火の…粉?」 


「子!!」


『コ――――ゥ!!』

 

「わあ、しゃべるんだ!」

 

 突然吠えた小粒こつぶの獅子を、槇村が思わず落としそうになり、短い足を蹴って威嚇いかくされる。


「しゃべらないわよ。今のは私達の言葉に、じゃれただけね」


「はぁ。じゃれるんだ…」


 脱力しかけた槇村に、小粒の獅子は不満そうだ。


『コ――ゥ!』


「その子は私と、同等の力を使える。側に置いておけば役に立つわ」


 ヘスティアの炎から現れた獅子だ。疑う余地はない。……かなり小粒なのが心許ないが。


「時間切れだな。霧がはれる…」 


 白いもやが生き物のようにゆっくり動き出した。

 市ノ瀬の目が、鋭く光る。その目が槇村に向けられると、挑発するように口角をあげた。


「離れるなよ…」


 ゾクリ…と、電流のような何かが槇村の身体をふるわせた。








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