第2話 再会したのは誰と誰

 海辺の町にある個人病院『さざなみクリニック』 

 槇村が青年の勤務地を探しあてるのに、それほど時間はかからなかった。


 市ノ瀬 かいは、確かに医者であった。大学病院の医師からも一目置かれる程の有望株であった彼は、名声よりも親がのこした個人病院を継いで、地元民を相手にのんびりとした生活を選んだらしい。


 より最先端医療に携われる大学病院を辞めて選んだ道を、彼らしいと槇村は思う。

 一度しか会っていない。それでもあの男ならそうするだろうと、妙に納得してしまった。


 あれから、彼の病院を改めて訪ねるのも気が引けて、日々の激務をこなすうちに日数だけが過ぎていた。


 今日こそ、日勤帰りに寄ってみよう…。 


 そんな小さな決意を持った日、突然きっかけは訪れた。

 

 槇村の東都医療センターに、救急依頼の一方が入ったのだ。

 

 薬の過剰摂取による緊急搬送…。

 聞けば患者は、先輩医師の娘だった。

 

 槇村は、躊躇いなく電話を取った。


「海沿いにある、さざなみクリニックに搬送して下さい! あちらの医院長には、自分から連絡を入れておきます!!」


 槇村の頭にほっそりとした青年の姿が浮かぶ。

 あんたも共犯だ…と、光が宿った目を向けて言った市ノ瀬の顔が、最近の槇村の朝の目覚めを悪くしていた。

 


「はい…。市ノ瀬です」  


 受付からの取次の後、電話口から聞こえたその声は、確かにあの時の青年のものだった。

 槇村は高鳴る心臓に緊張している事を自覚する。


「市ノ瀬…先生ですか? 先日お会いした東都医療センターの槇村です。診察時間に申し訳ない。今、救急患者をそちらの病院へ行くよう指示をだしました」


「救急患者?」


「トラゾドン(睡眠薬)過剰摂取の十四歳の少女です。今うちは、隔離患者で手が回らなく、救急隊から受け入れ先がみつからないと緊急要請で…」


「…そちらに、胃の洗浄くらいできる医師がいるのではないですか?」 


 好意的な言葉を期待していた訳ではないが、拒否を感じる物言いに手先が冷える。


「少女の状態が、既に危険なんで…すっ」


「…そんな状態なのに、わざわざうちへ?」


「同僚の身内なんです…っ。君なら、助けられるのではないかと…。だろ? あの時…君の処置で男が助かったのを俺はこの目でみているっ」


 あやしくなっている敬語に、槇村も気づいている。 

 しかし、目をつぶっても鮮やかに蘇るのは、彼の指と、らせん状に舞う赤い血が混ざり合った液体。


「っ。あの時のアレはっ、ただの気まぐれだったと言うのか?!」


「……」


 感情を電話口にぶつけていた後、一瞬の静寂が、槇村に冷静さを呼び戻した。


 自分が過剰な期待を押し付けたのだと、丁寧に詫びる。 


 それでも…、そうまでして彼にすがりたい自分は、なぜなんだ…?


 槇村は、もう一度、真摯に繰り返した。


「患者は、自分の…先輩医師の娘さんなんだ。医療現場の人間は、家庭を犠牲にせざるを得ない。娘が死ねば…、彼女は自分を責めて生きていかなくてはならないだろう。君が救えるのなら…、望みを託したい。医者として、いや人として、命の尊さは誰よりも知っているはずだろ?」

 

「…死んでしまった人は、救えない」


 懇願する槇村の言葉に、市ノ瀬の自嘲じちょうめいたつぶやきが耳に届く。


 助けたくとも、救えなかった命があったのだろうか?

 

「…せんせい?」


「だから…っ」


 突然の市ノ瀬の強い口調に、びくりと電話を持つ手に力が入った時…。


「一秒でも早く、到着させるよう伝えてくれ」

 

 槇村が何かを言う前に、電話は切れていた。

 

 

 * * *



 初夏だというのに、昼間は冷房が必要な暑さだったが、太陽が沈めばこんなにも過ごしやすい。

 常に無機質の空調が効いた病院で過ごしている槇村にとって『さざなみクリニック』は、病院というより小さなリゾートホテルのようだった。


 白いレースのカーテンは海風を室内に運び、微かな波音なみおとが心地よいまでのBGM を奏でている。


 槇村が患者の母親である星嶋医師を連れて『さざなみクリニック』に駆けつけた時には、少女は規則正しい寝息をたてながら真っ白なシーツで寝ていた。


 安堵と、感謝で全身の力が抜ける。


 「暫くは安静で過ごすように…」と、整った顔に微かな疲労を感じさせた市ノ瀬も、心做こころなしか嬉しそうに目尻を下げていた。


 命を救えた高揚感に槇村も満たされる。


 だが、同じ歓喜を共有していると思われていた星嶋医師の周囲の空気が、突然揺らいだ。


 それは灼熱の太陽を浴びたアスファルトからあがる陽炎かげろうのように、彼女の動きに呼応する。

 まとった彼女は、槇村が見たことがない妖艶ようえんな顔で笑った。


「やはり、こんな事出来るのは、あなたでしたか…」


 こんな事…。

 彼女は、彼が他の病院ではありえない特別な処置方法で娘を救ったのだと、正確に理解をしているようだった。






 

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