依存
詩乃が私をバイト先まで迎えに来てくれた理由は、私が心配されるようなことを言ったからだった。
8月の最初。合宿で免許を取った帰り、たまたま夏織に会った。
夏織は高校の時からの友達で、3年生の時には同じクラスで、文化祭実行委員をやってくれた子。
3年間仲良くしていた友達なんだけど、いや、仲がいいからこそ、今私は、正直あまり夏織に会いたくなかった。
夏織の彼氏は、高校3年生の時に同じクラスで、ほとんど成り行きで文化祭実行委員をやることになった柳瀬肇君。しかもその柳瀬君は、私のバイト先の系列店でバイトしていて、時々私のバイト先までヘルプに来たりする。
柳瀬君は、恒星と仲が良かった。だから、当然私と恒星が別れたことも知っていたはず。ということは、当然、夏織にも知られているんだろうなって、思ってた。
別れたことなら知られたってかまわないけど、今別の人と付き合ってるというのは流石に言いにくい…。
柳瀬君とは、バイトで顔を合わせても挨拶程度で、何も聞かないでくれたけど…。
夏織は、そうもいかなった。
駅でバッタリ会って、そのままお茶することになった。
『さぎり?久しぶりじゃない!元気?』
高校生の時と、何も変わらない笑顔。それが私には羨ましかった。
「うん、元気だよ!夏織も元気そうだね。」
なるべく元気に、いつもと変わらない感じで答えたつもりだった。
『今は?何かの帰り?』
「うん、免許の合宿に行ってたの」
ここは正直に答えるしかない。
『そっか、免許取ったんだ。この辺は車ないと不便だもんね。』
他愛もない話…こういう話のまま終わってほしい…。
「うん、夏織は?免許取ったの?」
『んん、これから!夏休み明けてからでいいかな。』
何気ない会話の中で、ふと私は、今日夏織と会ったのは本当に偶然なのかな?なんて考えても意味がないことを考えた。
夏織は、パッと見はちょっときつそうだけど、本当はすごく優しくて面倒見がいい子。
眼鏡がとっても似合う、可愛い系というよりは美人系で、頭もいいし、欠点がない。
こんな欠点だらけの私と比べたら、失礼だけど、ホント、羨ましい。
柳瀬君ともうまく行ってるみたいだし…そりゃそうだよね、2人はお互いを信頼し合ってるし、うまくいかない理由なんてない。私みたいに大好きな人に依存して、挙句に裏切ったりなんて…
『さぎり?どうしたの?』
え?
「なんでも、ない。ごめんね」
ほっぺがくすぐったかった。それに、視界がぼやけている。
『いや、いいけど…大丈夫?』
「うん。夏織は、幸せそうだね」
『…』
私は本当にずるい。不幸なところだけ人に見せてまた心配してもらってる。
「私ね、恒星と別れたんだ。」
『うん』
夏織は、驚かなかった。
そうだよね、知ってるよね。
『樋口から、聞いたわ。』
だったら、私がどれだけダメなのかも知ってるでしょう?
「そっか。他には、何か聞いた?」
『んん、別れたっていうことだけ。他には何も言ってなかったわ。私は、肇から聞いたんだけどね。』
夏織は、いったん言葉を切った後、言いにくそうに言った。
『何もできないけど、聞くことくらいはできるよ?』
ありがとう、でもいいの。
「ん、大丈夫。ありがとう。」
『そう…』
言わなきゃ、ちゃんと。
「私ね…」
『うん…』
「今は、幸せだよ。」
『え?』
夏織は、聞き間違えかと思ったみたい。
でもね、本当だよ。
「今は、別に人と付き合ってるの」
『…そう、なんだ…』
相当驚いているみたい。夏織は、まるで信じられないって顔をしてた。
『まぁ、そうよね、別れたのだって、ちょっと前だもんね。』
違うの。そうじゃないんだよ。
「うん、でも、付き合い始めたのは、別れてすぐだよ。」
『は?』
夏織の表情に嫌悪が滲んだ。
『どういうこと?』
真面目な夏織には、縁のない話だよ。
「そのままの意味。別れてすぐに告白されて、付き合い始めたの。」
『…っ』
夏織は、何か言おうとして、でもどうにか堪えたみたいな顔をした。
『それで、今は幸せなんだ?』
「うん。すごく、大事にされてるから」
また視界が滲む。なんでよ。言葉の通り、幸せなのに。
『じゃぁ、なんで泣いてるの?』
「わからない」
咄嗟に答えていた。考えるより先に言葉が出た。
なんでだろ…?
『さぎりが幸せだっていうなら、私は何も言わないし、言う権利はないけど、そんなに泣いてたら、流石に見過ごせないよ?』
そんなこと言ったって、私にもわからないんだもん。
たったこれだけなのに、言葉が出てこない…。
なんでよ。
夏織は、なんて言っていいかわからないみたいだった。
そりゃそうだよね。私だってなんて言ってほしいのかわからない。
しばらく沈黙が続いた。
私はただひたすら泣き続け、夏織はひたすら待ってくれていた。
いつまでもこのままってわけにはいかないと思ったのか、先に話し始めたのは夏織の方だった。
『さぎり、もし違ったら、ごめんなんだけど…』
「うん」
今度はどうにか言葉が出てきた。
『もしかして、さぎりの中で気持ちの整理ができていないんじゃないの?』
そんなことない。私は詩乃が好きで、今とっても幸せなの。
もう恒星のことなんて関係ないの。
まただ、また言葉が出ない。私って本当にずるい…。
『気持ちの整理ができていないから言葉にならなくて、でも抱えきれないから泣いてるんでしょう?』
わからない…。もうやめて。
『私は、さぎりは自分の気持ちとちゃんと向き合った方がいいんじゃないかと思うな。』
夏織はそのまま続ける。
『今の彼氏だって、きっといつか気づくと思うし、何より、このままじゃさぎりが辛すぎるじゃない。』
「1人になるのは、嫌なの…。」
『今だって、泣くほど辛いのに?』
「うん。」
夏織は、小さくため息をついたみたいだった。
何か考え込んでいるみたいだった。
『ごめん、厳しいこと言うようだけど、いいかな?』
嫌だよ。聞きたくない。でも言えない。
「うん」
『今の彼氏がなんでそのタイミングで告白してきたのかはわからないけど、さぎりには選択の余地があったはずだよね?別れている以上、他の人と付き合うこと自体は普通のことだと思うけど、気持ちの整理ができていないなら、それは樋口にも今の彼氏にも失礼じゃない?1人でいるのが嫌って言う気持ちは、わかるわ。私も…肇がいなくなったらと思ったらゾッとするし、耐えられるかはわからない。でも、中途半端な気持ちのまま他の人と付き合うようなことはしない。だって、そんなことしてしまったら、肇と本気で付き合っていた自分のことを否定することになると思うから。それに、次の彼氏とだって、ちゃんと本気で付き合えないから。それに、私は、そんなことしたら、自分で自分を許せなくなるわ。』
誰もがそんなに強いわけじゃないよ。
『わかったようなこと言ってごめんね。でも、さぎりは本当にそのままでいいの?』
「1人になるよりは…いい」
私だって何度も自問自答して出した答えなの。誰も口出ししないで。
『そう、わかった。じゃぁもう何も言わない。』
夏織が珍しく怒っている。それだけはわかった。
『呼び止めちゃってごめんね。もう行くわ。』
自分のお財布から千円札を取り出してテーブルの上に置きながら、夏織は立ち上がった。
『正直、見損なったわ。』
部屋に帰ると、そのままベッドに倒れ込んだ。
疲れた。
夏織の言ってることは正しい。
でも、私はそんなに強くなれない。
誰もが夏織みたいに真っ直ぐに強く生きられると思わないでよ。
私の気持ちも知らないで…。
いや、違う。
私が言ってないんだ…。
否定されることが怖くて言えないんだ…。
でも、詩乃は言わなくたってわかってくれるもん。
だから、もういいの。
そう思ったから付き合い始めたんだもん。
もう決めたんだもん。前に進んでるんだもん。
邪魔しないでよ。
それからの数日間は、何をしていても夏織に言われたことが引っかかっていた。
バイトでもミスを連発して、流石に怒られた。
詩乃は、私の様子には気づいてたみたいだけど、何も聞かずにずっと一緒にいてくれた。
何も考えずにいられるのは、詩乃に抱かれている時だけだった。
私は、どんどん依存してく自分に不安を感じながらも、何もできなかった。
1週間くらい経てば、夏織に言われたことも気にならなくなるんじゃないかと思ってたけど、それも甘かった。
消えていくどころか、どんどん辛くなっていった。
私がずっと目を背けてきたこと…それが浮き彫りになってしまったことも、その結果大事な友達に軽蔑されてしまったことも…。
結局自分1人では抱えていられなくて詩乃に話してしまった。
「ねぇ、詩乃。。あのさ」
いつもの喫茶店で旅行の計画をしていた帰り道、私は切り出した。
『ん?どうした?』
切り出したはいいものの、なんて言ったらいいかわからなくなった。
『なんだ?なにかあったのか?』
詩乃が足を止めて言った。
「詩乃はさ、私達が付き合い始めたことについて、誰かになにか言われたことある?」
『どういうことだ?』
素直に話すしかない。
「私、この間久しぶりに高校の時の友達に会ったの。あ、前にバイト先に、高校の時の友達が別店舗からヘルプに来た話、したでしょ?その子の、彼女なんだけど。」
『うん。』
「そしたら、元カレと、どうなの?って聞かれて。。別れたこと、言ってなかったから。だから、正直に話したんだ。別れて、別の人と付き合ってるって。」
話始めは、ちょっと違うけど。
『うん』
「その子、えっと、夏織って言うんだけど。夏織は、基本あんまり人に怒ったり、厳しいことを、言ったりしないんだけど…」
『何か言われたのか?』
「んん、言われてない。でも、なんかちょっと冷たくて…軽蔑されちゃったのかなって。。」
咄嗟にまた嘘をついてしまった。
夏織は、私のことを思って言ってくれたのに、悪者にしたくなかった。
『気にする必要ないだろ。当事者の俺がなにも気にしてないんだから。何か言われるようなら、じゃどれだけ日数開けたらいいんだって逆に聞いてやればいいんだよ。』
「うん。そうだよね。。」
日数のことじゃない…私が言われたのは、気持ちのこと…。
でもそれは言えなかった。言えるわけがなかった。
そのまま駅まで送ってくれて、私はバイトに向かった。
そしたら、私の様子を見て心配してくれた詩乃が、バイト終わりのタイミングで迎えにきてくれた。
詩乃に抱かれている間は何も考えずにいられると知っていた私は、その夜は何度も抱いてもらった。
そのために、詩乃が喜びそうなことを沢山した。
なのに…この夜だけは、真っ白になれなかった。
このままじゃ、ダメなんだって、この時初めて実感した。
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