第9話 壊れ物ー1

 じいちゃんの家に着き、俺はご飯の用意ができるまで庭に面している縁側に腰掛けのんびりと空を眺めていた。雲一つない青空の中を、烏が地面に黒い影をつくって飛んでいた。太陽が照り付ける中、羽で風を受け止めながら飛んでいた烏は、態勢を変え足を下に突き出し電柱に止まる。広げていた羽を体の横で休ませ、電柱の上からこちらをジーっと見つめてきた。黒い羽根を夏の風になびかせている烏を眺めていると、温かい風のせいで俺の額からじんわりと汗がにじみ出る。汗をワイシャツの袖で拭いまた烏の方を見ようと顔を上げた時、じいちゃんが閉めていた後ろの襖を開けて声をかけてきた。


「昌、飯できたぞ」

「分かった」


 じいちゃんはそれだけ言って、そのまま台所の方へ行ってしまった。俺は右手で床を、左手で膝を押さえ立ち上がる。中に入り台所の方まで行くと、じいちゃんはそうめんをたっぷり乗せた大皿とめんつゆが入ったガラスの器をお盆に乗せて運んでいた。俺は居間に飲み物が置かれていないことを確認すると、台所の冷蔵庫から麦茶ポットを取り出した。コップはそれぞれ決まったものを使うから、俺とじいちゃんのを取って台所に戻った。


「ああ、麦茶持ってきてくれたのか。助かるよ」

「うん。じいちゃんのコップこれで合ってるよね?」

「合ってるぞ」


 コップをテーブルに置いて麦茶を注いだら、麦茶ポットをじいちゃんが持ってきたお盆の上に置いた。俺たち二人は向かい合う形で畳に座り、そうめんを食べ始めた。二人の麺をすする音だけが部屋の中に響いていた。皿にたっぷり乗っていたそうめんは、じいちゃんが殆ど平らげてしまった。少食の俺と違い、じいちゃんはよく食べる方だった。肉体もがっしりしていて、未だ衰えを感じず六十過ぎてもバリバリに働けているのだろう。俺が今学校に通って暮らしていけるのも、じいちゃんが頑張ってくれているからだ。じいちゃんが頑張っていけるのも、ばあちゃんが支えてくれているからだ。いつか、ちゃんとお礼を伝えられたらいいのだけど。


「じいちゃん、皿は俺が片づけるからゆっくりしてて」

「そうか、悪いな」


 俺はお盆に食器を乗せて台所に行き、皿を置いた後水をかけた。そして、蛇口の横に置いてあったスポンジを手に取り、洗剤を少しだけかけて洗い始めた。ワイシャツが濡れるのも気にせずに、ただひたすら夢中にやっていた。洗い終わった食器は布巾で水気をふき取ると、水切りの上に置いた。俺は手を拭いてじいちゃんのいる居間に戻ると、いつの間にかクーラーとテレビをつけていた。俺は賑やかな笑い声に釣られて、面白くもない漫才に笑いを零した。


「昌、そんなところに突っ立ってないでこっちに座ったらどうだ」

「うん、そうする」


 じいちゃんは麦茶を飲みながら、テレビから目を離さずにそういった。俺は言われた通りさっきまで座っていたところに腰を下ろし、じいちゃんと一緒にテレビを見ることにした。俺が座ると、テレビは丁度CMに入ってしまい興味のない内容だったためぼーっと画面を見つめることにした。


「......最近、学校楽しいか?」

「え?」

「無理、してないか?」


 じいちゃんはそう言いながら、振り返り真っすぐに俺を見つめてきた。俺はしばらく考えた。でも、どういっていいのかが分からない。「大丈夫」と口では言えるけど、それは本当に俺が思っている事なのだろうか。口からついて出た嘘を、じいちゃんは求めてない。けど、これ以上心配かけていいものか。正直に話したところで、きっと何も変わらない。


「......昌、もしお前が良かったらでいい、恵が退院するまでここで暮らさないか? ここで暮らせば、飯のことは心配いらない。もし、お前の体調が悪い時は看病もしてやれる。学校も行けるときに行けばいい。どうだ?」


 まさかじいちゃんがそんなことを言うなんて。俺は驚いて口をぽっかり空けた。母さんの退院までここに居て、母さんが帰ってきた自分の家に帰る。その方が健康的な生活はできるだろうけど......


「本当にいいの? じいちゃん、『学校は理由がない限りは休むな』っていつも言ってたじゃん。それにご飯だって自分で作れるようになれって......」

「今のお前を見てると、恵みたいに今にも倒れそうで心配なんだ。飯なんて、ここで練習した方が早いだろ。無理して体調を崩すぐらいなら、最初から無理だと言ってもいい。こういう時は助け合いながら生きるのが、人間ってもんだろ」


 じいちゃんは顔を歪め、俺の肩に手を置いた。じいちゃんの目元を見ると、うっすらと涙を浮かべていた。倒れた母さんも、こんな顔をしていたな。


 俺は、それを見たからと言って何かを感じることはなかったが、こういう時はどうすればいいのかは本能的に分かっていた。俺は特に考えもせずに口を開く。


「うん、じいちゃんの言うとおりにするよ。ありがとう」


 そう言って、安心したように笑うじいちゃんに合わせて俺も笑った。

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