132.夢のあと
抜けるような晴天となったその日、都市連合最大の都市ルトリアにおいて。
ラーゼリオン王国や神聖帝国ガーラントを始めとした、大陸主要国家による奴隷制撤廃の調印式が行われていた。
「飽きた……早く行きてぇな……あ、そうだ」
式典が行われている連合評議会議場。
その正門前に立っていた浅黒い肌の青年は、ふと何かを思いついたように笑いペロリと唇を舐めた。
周囲を見回して、仲間の連合魔法士に気づかれないよう、複雑な
「へへ、オイラの
だがその
「だ、誰だこんな真似! ……げ」
年甲斐もなく、イタズラがバレた子どものような反応をした青年は、魔法を阻害した者の正体を見て絶句する。
「見回りにきて正解だったわ。ったく、所詮はグレムリン混じり。大人になっても悪戯好きは変わんないってわけね」
カツンとヒールの靴で音を立て、青年の前に立ったのは、腰の位置まで
「おま、なんでこんなトコに? 議長さんのサポートじゃねえのかよ……キャロ!」
「アンタに愛称で呼ばれる筋合いないんだけど、ガラフ」
「つれないこと言うなよ、キャロ。オイラとお前の仲じゃねえか」
ガラフは歩み寄ると、キャロの肩に気安く腕を回す。
「知らないっつーの。どんな仲よ」
特に嫌がりもしないが、かといって優しくもない態度でキャロルは尋ねた。
ガラフは調子に乗ってニマッと笑う。
「もう忘れたのか? 二年前の
「……そうだね。そんなこともあったね」
「そうだよ、オイラたち二人でさ」
「二人で、ね」
ニヤリと笑うキャロル。
「んなこと言っていいの? あんたの嫁が怒るんじゃない?」
「嫁ぇ? 誰のこと言ってんのさ」
ガラフはとぼけながらも、一瞬だけ目を泳がせる。
「あ、なんだよキャロ。あの軽薄な議長さんにとうとう愛想を尽かして、オイラと結婚でもしようって気になった?」
「……ガラフ」
はあ、キャロルは深くため息をついた。そして。
「あんた、平和な世の中になって鈍くなったんじゃない?」
人差し指を空間に向けると、キャロルはふいと
「へ?
そこに姿を現したのは、白いローブに身を包んだ長い髪の美女。
「……ガ~ラ~フ~?」
「な、な、な……ミ、ミン」
「どうしてボクが、いなかった事になってんのかなぁ~」
スッと右の掌を向けるミンミン。
「〈ホワイト・ジャッジメント〉!」
「〈リフレクト〉!」
回復術師のはずのミンミンが放った聖属性の攻撃魔法を、ガラフは瞬間的に張った反射壁で上空に跳ね返す。しかし。
「〈ディメンション・リープ〉」
「うげぇッ!」
跳ね返した筈の魔法は空間に開いた穴に吸い込まれ、直後にガラフを背後から襲った。
「ナイス、キャロ」
「サンキュー、ミン」
パンとハイタッチを交わす、回復術師と女魔法士。
一方で未熟な反射魔術師は、石畳の地面に倒れビクビクと体を震わせていた。
「くそ、卑怯だぞ、お前ら……」
「バーカ。あんた、お父さんから反射魔法を引き継いだからって、なんか調子乗ってない?」
ミンミンはつかつかと歩み寄ると、倒れたガラフに顔をぐっと近づける。
「あんたなんか、お父さんと全然違うんだから。ボクたちがいなきゃ何の役にも立たないんだからね。
「〈レイ・ウイング〉!」
ミンミンの話の途中で、ガラフは唐突に飛翔の魔法を発動させる。
ガラフの体は倒れた姿勢のまま、魔力で吊り上げられたように空に舞い上がった。
「ミンがなんだってんだよ! お前と組まなきゃ力不足だったガキん時のオイラと、一緒にすんな!」
捨て台詞を叫んで、ガラフはそのまま評議会議場の建物の向こうへと飛び去った。
「あんのクソガラフ……! キャロ、追うよ! 転移魔法!」
ミンミンは彼が飛び去った方角を睨みながら、キャロルの肩をガシっと掴む。
「ちょっと待って。ミンたちの痴話げんかに、いつまでキャロを付き合わせる気?」
「いいから早く! ボクの焼いたオレンジパイ、後でレイ議長の分と一緒に届けるからさ」
「ああもうわかったよ。けど転移たってどこに」
「どこって、決まってるでしょ! 抜けがけする気なんだよアイツ!」
「だから、その行き先をキャロは知らな」
「今更あのバカの魔力なんて、目を瞑ってたって追えるから! キャロの
「……愛だねえ」
超高度な魔法技術を戯れのように駆使しながら、二人は魔法を発動させ、姿を消した。
***
「どんな気分ですかなぁ? ハーミット陛下」
「質問の主旨が分からないよ、レイ議長」
調印式は終わり。控室へと通じる長い廊下を歩きながら、二人の指導者は言葉を交わしていた。
「またまたトボけちゃって、陛下ァ。長年の夢だった奴隷制の廃止を、成し遂げた気分はどうだって聞いてるんですよっ」
「……大陸から奴隷制を無くすのは、都市連合の悲願だったろう? 我がラーゼリオンは、貴殿らの作った制度廃止の潮流に逆らえず、やむなく条約に調印したんだ。これは屈辱だったよ、レイ議長」
「またまたまたまたまた~。その割には奴隷制廃止の混乱が、貴国にまったく起きてないじゃないですか。どんな策略を使ったんですか? 陛下が国王に即位してからの年月で対応できたレベルじゃないですよ?」
ダグラス・レイ評議会議長はニヤニヤ笑いながら、ハーミット・フィル・ラーゼリオン国王の顔を覗き込む。
一国の代表者にあるまじき非礼な態度だったが、ハーミットは意に介さず笑い返した。
「さっきから何がいいたいのかな? 議長。私はあまり頭が良くなくてね。ハッキリ言ってくれなければ分からないよ」
「陛下の頭が良くなければ、人族すべてが阿呆ということになりますが……。ではハッキリ言いましょう、陛下。……最初から、貴方の目的はラーゼリオンの国体を維持したままの奴隷制廃止でしたね?」
ダグラスは足を止め、合わせてハーミットも歩みを止めた。
「……この世界を万民平等にし、奴隷という存在を無くすことは、我が妹サフィーネの願いだったよ」
「だから、最初から貴方も目的は同じだったのでは、と言っているんです」
沈黙が二人の間を流れる。そしてゆっくり、ハーミットは口を開いた。
「サフィーネのやり方は、あまりに幼かった。長く制度の恩恵を受けてきた既得権益者たちには、どんな理想を掲げても話など通じない。むしろ自分たちの財産である奴隷を奪おうとする略奪行為と捉えるだろう。民の財産を守るべき王家がそれを行えば、待っているのは王国の崩壊。混乱の時代の幕開けだよ」
「だから、外圧に屈する形が必要だったと?」
「その代わりに得られる恩恵が大きければ、民は不承不承でも受け入れる。奴隷が解放され失われる労働力の代わりに、都市連合が技術供与をしてくれるのだろう?」
「それはラーゼリオン……異世界である
「……
「まして、
「サフィーネが『国民皆保険』の制度などを提案してきた時に、まったく思想背景の異なる世界の知識体系が存在すると分かったからね。理想に寄らず、損得勘定の視点から奴隷制をなくすことはできると確信した」
「そこまでお考えでしたら……」
はあ、とダグラスはため息をついた。
「サフィーネ殿下と、もっと話をされればよかったのに。そうすれば、無益な血が流れることもなかったでしょう」
「ゲンダイニホンの技術を得られなければ、奴隷制廃止の受け入れ体制が整うのはもっと先の話だっただろう。万全の体制が整うまで、私は何十年でも現制度を維持するつもりだった。次の世代に託すことになったとしてもね。サフィーネと折り合うことはなかったと思うよ」
「そうですかねえ……」
「それよりも」
そこまで話したところで。ハーミットはくるりと後ろを向いた。
「私としては、貴方も同じ考えだったとは夢にも思いませんでしたよ。皇帝陛下」
「えっ? あ、いつから、いらっしゃった……!?」
「そこまで怖がるな、若造よ」
神聖帝国ガーランド皇帝、ベルガルドがそこに立っていた。
「女神教という国の大黒柱を、我が帝国は失ったのだ。新たな時代の潮流に逆らうよう愚策を、余は取らぬよ」
「それだけですか?」
ニッと笑うハーミットに、ベルガルドが忌々し気に口を歪めた。
「ふっ。貴様の考えている通りよ。我が息子、皇太子グルーンは民を導く器にはなれなかった。宗教が滅び、皇帝の後継者も愚かとあっては、もはや国を支えられぬ。わが帝国は奴隷制廃止も受け入れ、ラーゼリオン王国と同様に……これからは立憲君主制に移行していくつもりだ」
宣言すると、ベルガルドはゆっくりとダグラスに歩み寄り、その肩を叩いた。
「皇帝という制度自体は維持するが、法と議会の権力を上位に置くことになる。レイ議長、貴国の評議会制度、存分に参考にさせてもらうぞ」
「は、はあ……」
「最終的には、
ハーミットの問いに、ベルガルドは頷いた。
「ラーゼリオン王、そなたから送られた書物を読めば、真に民を思う為政者ならば同じ道を選ぶだろう。……異世界の制度をそのまま模倣するなど、あの男が聞いたら怒るかな」
「どうでしょう」
ベルガルドの言葉を聞いて、ハーミットは笑った。
「そのまま真似をするだけでは、確かにあの男は軽蔑するでしょうね。かつて私だった者の記憶では、ゲンダイニホンとて楽園ではなかった。むしろ衆愚と欺瞞と腐敗に満ちた、多くの者が逃げ出したくなるような国でしたよ」
「けれど、人権が存在し、万人は平等だったのでしょう?」
ダグラスの言葉に、ハーミットは静かに首を横に振った。
「建前上では、ね。理想郷とは程遠い世界だよ」
「だが建前は重要だ。だから余たちは、この大陸をゲンダイニホン以上に民の生活が豊かな世界にしていかなければならん」
ベルガルドの言葉にダグラスは頷いた。
そしてハーミットも。
「ええ。その為の『
***
その森は静かだった。
ときおり鳴く鳥の声、そよぐ風が木々を揺らす音の他に、騒ぐ者のいない穏やかな場所。
「本当に、こっちで合ってるの?」
「疑うんなら、ついて来なくて結構ですよ、王子」
そんな森に、二人はやって来ていた。
「王子、なんて他人行儀だなあ。前みたくエリオットでいいってば」
「国の一大行事をすっぽかして、こんな所までついて来る王族に自覚を持ってもらう為に、そう呼んでます」
ひどいー、とエリオットはふざけた口調で呟く。
「あーあ。今のしっかりしてる君もいいけどさ。昔のちょっと抜けてた頃の君も、俺は好きだったなぁ」
「あなたに好かれる必要はないから」
先を歩く栗色の髪の女剣士は、振り向きもせずにそっけない。
「なあ、さっきから同じとこグルグル回ってないか?」
「普通の人はそう感じるだろうけど。あたしは精霊の声を聞いて、正しい道を選んでるの。まったく、エルミーにエルカード……めんどくさい結界を張ってくれちゃって」
迷いなく、彼女は森の中を進んでいく。
実はものすごい健脚でかなりのハイスピードなのだが、エリオットもなんでもない事のようについていき、普通に会話をする。
「まあそこは、子を思う親心なんじゃない? まだ小さい二人を危険な目に合わせたくないんでしょ」
「あの二人を危険な目に合わせる相手って、どこの超越神よ」
「今の二人は超越とかしてないでしょ。普通の……」
そこまで言って、エリオットは口籠った。
前を歩く彼女も、彼の言いたいことを察する。
「……まだ、わかんないよ」
「わかんないかなぁ……」
その時だった。
ドンッと大きな音とともに、地面が揺れる。
「うわっ! 何事?」
「
立ち止まって、二人は周囲を警戒する。
そして、再び地面が大きな音を出して揺れた。
エリオットは油断なく身構え、周囲を見回す。
「ちょ、何これ大丈夫なの!? 攻撃みたいな感じはしないけどっ」
「わかんないわよ、精霊に害意はなくても……こんなの魔術災害級の——」
森の木々は大きく揺れ、その一本が幹から折れようかという程の揺れになった時だった、
「ストップ~~!!」
幼い少女の声が響き、激しい大地の揺れは嘘のように収まった。
「誰かいたのっ? ごめんなさい、この森に入って来れる人がいるなんて、思ってもなかったからっ……!」
そして木々の向こうから、一人の少女が飛び出してきた。
緑の髪の、見目麗しい幼い幼いエルフだ。
「……サフィーネ……?」
栗色の髪の女剣士、リリンは思わず呟く。
だがエルフの少女は美しい眉をひそめて、怪訝な顔をした。
「ん? だれのこと? わたしの名前は、フィーだよ」
そして、にっこりと花が咲くように笑った。
「わたしたちの森にようこそ! お客さんなんて久しぶりだから、歓迎するよっ。お姉さん、お兄さん、お名前なんですかっ?」
***
「俺とサフィは、未来に帰る」
七年前。
魔王と女神と転生勇者との決戦の後。
望月晴人と望月史郎の魂を、ニャリスとシルヴィアの魂とともに現代日本に帰し、通常空間に戻ってきたエフォートは、リリンやガラフ、ミンミンをはじめとした仲間たちにそう告げた。
「俺たちは、ここにいてはいけない存在なんだ」
「待って待って、わかんないわかんない! ボク、全然わかんないよっ!」
誰よりも取り乱したのは、ミンミンだった。
「未来に帰るってどういうこと!? お父さん! せっかく女神も倒して、ボクたちは自由になって! これからでしょ? 今からだよね!? ボクたちは一緒にっ……!」
「ミンミン、落ち着いて」
エフォートに告げられた想像もしていなかった言葉に、激しく動揺するミンミン。
その肩を、後ろからリリンが優しく掴んでなだめた。
「これからエフォートが、ちゃんと説明してくれるから」
「説明って……! 何を言われたって、お父さん達がいなくなるなんて納得できるわけないっ!」
「……それでも納得しなきゃいけないのよッ」
懸命に感情を抑えながら、リリンは絞り出すように言う。
「納得しなきゃ……でなきゃ……」
「リリン?」
気づけば静かに涙を流していたリリンに、ミンミンは驚く。
そんな彼女の様子を見て、エフォートの傍に立つサフィーネが口を開いた。
「リリン……貴女、精霊の声で聞いてくれたんだね。フォートの気持ちを」
「……だって、ズルいんだよ、エフォート」
リリンはそう言って、無愛想な、けれど内心には張り裂けそうな程の罪悪感を抱えている幼馴染を見つめる。
「こんな時だけ、あたしの精霊術を反射しないんだから」
「……そうだな。前にリリンが言った通り、俺は卑怯者だ」
「本当だよ」
エフォートの自虐を肯定して、リリンは俯く。
「待って! オイラ達は全然わからんないよ!」
「お父さん! お姫様! どういうことなの!?」
エフォートとサフィーネに詰め寄る、ガラフとミンミン。
幼い二人の目線の高さに合わせて、エフォートは屈んだ。
「ガラフ、ミンミン。俺はお前達のおかげで、最後まで異世界勇者として覚醒せずにいることができた」
「そうだよニイちゃん! だから、ここにいちゃいけないなんて事は——」
「それでも俺は、俺たちは決して許されないことをしてしまったんだ」
「えっ?」
「……もしかして、転生のこと?」
ガラフは首を傾げたが、ミンミンはもともと聡い子どもだ。エフォートの言おうとすることを、なんとなく察してしまう。
エフォートは精一杯の気持ちを込めて、そんな少女の頭を優しく撫でる。
「……そうだ。俺は一度、望月晴人に敗れてサフィと共に肉体を失った。再びこの世界に戻り勝利する為には、魔王の魔力と、シロウが見てコピーした転生の
「そして」
自分が共犯者であると認識しているサフィーネが、その先の言葉を引き継ぐ。
「本来生まれてくるべき、エルミーとエルカードの子どもの人生を、奪ってしまったのよ。……本当にごめんなさい」
離れたところで話を聞いていたエルミーとエルカードは、いきなり話を振られ動揺する。
「ワタシは、べ、べつに」
「う、うん……僕も、エルミーとの子どもなんて、まだ実感ゼロだし」
「子どッ……
「どうにかならないの?」
「——ッ! 今は、そういう、話を、して」
珍しく顔を真っ赤にして、エルミーは更に狼狽えエルカードをバンバンと叩く。
「……我ながら酷いと思うが、ラブコメは俺たちがいなくなってからにしてくれ。父さん母さん」
「親のそういうシーンって、あんまりみたくないよね」
「ちょっと!」
「あんまりじゃない!?」
エフォートとサフィーネの淡々としたツッコミに、エルフのカップルは同時に叫んだ。
「そんな理由だったらさっ!」
ガラフが割って入って、大声を出す。
「あんたら夫婦が、予定よりたくさん子ども作ればいいんじゃね!? そしたら、ニイちゃんとお姫様が代わりになった魂って、きっと弟とか妹とかになってまた生まれてくるよ!」
「そ、そうだよ! ガラフ、珍しくいいこと言った!」
ミンミンが勢い込んで、一緒になって叫ぶ。
「エルミー、子ども作れ! たくさん作れ!」
「バンバン産め! バンバン!」
「この、ガキども! 意味が分かって、言ってる!?」
エルミーが逆上して、本気で怒鳴りそうになったところで。
「……それだけじゃないんだ」
エフォートは再び、やさしくガラフとミンミンの頭に手を置いた。
「ミンミンはもう、分かってるんだろう?」
「……お父さん……」
「俺とサフィは、未来に転生して大き過ぎる力を得てしまった。時間を操って、過去に干渉し、歴史を変える。それはもう、俺たちが忌避した神そのものだ。世界は、誰の物でもあってはいけないんだ」
「でもっ」
「それを許してしまったら」
サフィーネも、後ろから優しくミンミンとガラフの肩に手を置く。
「フォートは、もうフォートでなくなってしまうの。これが私とフォートの我儘でしかないことは分かってる。でもどうか、許してほしい」
「お姫様っ……!」
ミンミンはサフィーネに抱きつき、その胸に顔をうずめて咽び泣き始めた。
少女はわかっていた。わかっているからこそ、やりきれなかった。
「そしたら……未来に戻ったら、ニイちゃん達はどうなるの?」
ガラフは俯きながら、手を強く握りしめ、必死になって涙をこらえる。
「どうするつもりなの? 未来の俺たちと、また会ってくれるの?」
「俺たちが転生した未来は、望月晴人が支配していた世界だった。この時間で彼を倒した以上、未来の歴史は変わっているはずだ。そこに戻れば、俺とサフィは……きっと今までの記憶を失うだろう」
「えっ?」
ガラフは理解が追いつかず、凍りつく。
エフォートは静かに続けた。
「俺たちが転生した未来が、今のこの時間と繋がれば。俺とサフィが前世の記憶を持ち続ける因果はなくなるんだ。おそらく始めから、普通のエルフの子どもとして生まれたことになると思う」
説明されてもガラフは理解できず、頭を抱える。そして。
「よくわかんないけど……それってつまり、ニイちゃん達ともう会えないってこと?」
「……仮に会ったとして、それはもう俺とサフィじゃない」
異世界転生を否定する。
前世の記憶を引き継ぎチート能力で生きていくことを否定していたエフォートだ。
その選択は必然だった。
「ミンミン。ガラフ。それに、みんな」
エフォートは、黙して語らない他の仲間たちにも視線を向けて、告げる。
「みんなは、みんなの時代を生きてくれ。この世界を……頼む」
「ごめんね。誰も奴隷なんかにならない未来、自分の手で作りたかったけど」
サフィーネはそう言って、異空間より帰還してからずっと、離れた場所で佇んでいる二人の兄を見た。
「……後のことは、任せるね」
誰も。
誰もその後で、言葉を発する者はいなかった。
何かを話してしまったら、それが最後の言葉になってしまいそうだったから。
「……サフィーネ」
長い沈黙を破ったのは、リリンだった。
「貴女は、それでいいの?」
「……精霊の声でわかるでしょう?」
「サフィーネの口から聞きたいの」
リリンのまっすぐの瞳を受けて、サフィーネは頷いた。
そして。
「……残念だよ。フォートとは一緒になりたかったけど、兄妹になりたかったわけじゃないからね。でも」
サフィーネは泣き続けるミンミンを抱きながら、横に立つエフォートを見た。
「もう何年も、未来でフォートとは一緒に戦ってきたんだ。これからは記憶を失って、兄妹って関係になっちゃうけど……まあどんな関係でも、過ちって、起きるものだから」
とんでもない言葉を聞いて、バッとエフォートはサフィーネを見る。
「サ……フィ?」
「ん? なあに、フォート」
ペロリと舌を出して、とぼけるサフィーネ。
その時、彼女に抱かれていたミンミンがガバッと顔を上げた。
「そうか! お父さんが……ボクより年下になるんだ!」
突然に目を輝かせたミンミンに、まずガラフが驚く。
「待て、ミン、何を考えてんだよ?」
「ガラフには関係ないでしょ」
「……安心して、フォートのニイちゃん。未来のニイちゃんは、オイラが守るから」
「誰から守るっていうのよ。何ガラフ、嫉妬してるの?」
「誰が誰にだよっ!?」
予想していなかった展開に、眉を顰めるエフォート。
「……お前たち、なんの話をしているんだ?」
「エフォート」
リリンが、エフォートとサフィーネの前に立った。
「会いに行くよ、必ず。サフィーネ、貴女が望んだ平等な世界を実現できたら」
「えっ、条件付き?」
思わぬリリンの言葉に、ガラフは驚く。
「そりゃそうでしょ。あたし達は、エフォートにこの世界を託されたんだから」
「……うん。そうだね」
ミンミンは頷いた。
そしてエフォートとサフィーネの手をおずおずと握る。
「お父さん。お姫様。未来で待ってて」
「……俺たちは、みんなの事を忘れてるんだぞ」
「関係ないよ」
「そうだね、関係ない」
即答するミンミンに、リリンも同意した。
しかし。
「……けど」
リリンは一瞬俯き、そして顔を上げる。
「もしも、もしも……かすかにでも、あたしのことを覚えていたら」
「覚えていたら?」
「その時は」
続きの言葉を言わずに、リリンは背を向けた。
「……なんでもない。じゃあね、エフォート」
そして、約束は交わされて。
エフォートとサフィーネは、この時代から未来へと帰っていった。
***
「ママ、ただいま~! お客さん連れてきたよっ」
エルフの少女フィーに連れられて、リリンとエリオットは森の中に立つ小さな家にやってきた。
「あれ? パパとママ、出かけてるみたい」
「いないの?」
「うん。気配感じなーい、あ、お兄ちゃんは戻ってきた!」
「えっ?」
入ってきたばかりのドアに視線を向けるフィー。
思わずリリンは駆け出して、真っ先にドアを開けた。
「わっ!?」
「エフォ……」
思わず口にしかけた名前を、リリンはかろうじて飲み込む。
ダメだ。
過去は過去。
今は今。
目の前に現れた、目つきの鋭いエルフの少年は、新しい人生を生きなければならないのだ。
リリンには分かっている。
よく分かっている。
けれど。
「お客さんですか? こんにちは」
目つきの鋭いエルフの少年は、礼儀正しくペコリと頭を下げる。
「こ、こんにちは」
「わぁ……お姉さんすごいですね。人族なのに、エントにケノン、シェイドにめちゃくちゃ懐かれてるじゃないですか」
「そ、そうなの。ホント困っちゃって……」
リリンは今、精霊術を発動させていない。
それでも彼女が従えている精霊を一目で見抜いたのは、やはり彼の卓越した魂の才能なのだろうか。
「そうか。それで母さんに、精霊の制御を教えてもらいに来たんですね」
「う、うん……精霊術士のエルミーさんは、今はどこにいるのかな?」
「母さんは、町まで父さんと買い物に行ってます。古い馴染みが、きっと今日尋ねてくるからって。あれ? それがお姉さんたちのこと?」
コクンと首を横に傾げるエルフの少年に、リリンは思わず抱き着いてしまいたくなる衝動に駆られる。
だが、にやにやと笑うエリオットの視線を感じて、どうにか踏みとどまった。
(身も心もショタのエフォート……)
「お姉さん?」
「はいっ! すみませんっ!」
反射的に謝ってしまうリリン。
少年はクスリと笑う。
「なんで謝るの? 変な人。あ、どうぞ二人とも、そこのテーブルの前の椅子に座って下さい。フィー、お茶でも出してあげて」
「はーい」
とてとてと、家の奥に少女は走り去っていった。
サフィはその後姿を見送ってから、また少年に声をかける。
「ねえ、君。名前はなんていうの?」
「僕ですか? 僕の名前は、オートです」
「オート……」
エフォートが、オート。
サフィーネが、フィー。
(エルミーめ、手を抜いた名づけをして……!)
それとも、約束の日に再会するであろう仲間たちの事を考えての、彼女なりの優しさだったのだろうか。
「……あれ?」
オートがふと、リリンとエリオットの顔を改めて見て、動きを止めた。
「お姉さんとお兄さんは、名前はなんていうんですか?」
「俺はエリオットだよ」
先にエリオットが、何という事もなく普通に答える。
「お姉さんは?」
「あたしは……リリンだよ。リリン・フィン・カレリオン」
もしも、かすかにでも自分の事を覚えていたら、その時は。
七年前、その後になんて言おうとしていたのだろう。
リリンは自分でもその答えが分からない。
オートはお姉さんと呼んでくれたが、この世界ならもう母子でもおかしくない年の差だ。
「リリン……?」
少年の瞳が、まっすぐにリリンを射抜く。
リリンは胸の動悸が止まらない。
「思い出したっ!」
ドクン! と心臓が破裂したかのように感じた。
「お母さんが話してた、反射魔術師の単純バカな幼馴染だっ! すげえ、魔王を倒した英雄の仲間じゃんかっ!」
ガン、とテーブルに頭をぶつけるリリン。
その時だった。
ドォン!
家の外から、光とともに大きな爆発音が響いた。
「えっ?」
「なにっ?」
「心配ないよ、転移魔法の光だ」
焦るオートとリリンに、エリオットが外の様子を見て告げる。
「今日二番目のお客様だよ、オート」
「え、誰?」
光の中から、オートたちの方へ。
浅黒い肌の魔術師と白いローブの回復術師が、互いに文句を言い合いながら駆け寄ってきた。
約束を果たす為に。
***
過去は、過去。
今は、今。
未来は、未来。
どうか、神も魔王も勇者もいなくなったこの世界で。
そこに住まう人々が、幸せに生きていけますように。
***
あと1話だけ、エクストラエピソードをアップ予定です。
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