60.女たちの選択

「その封印に……手を……出さないで」


 背後から響いた声に、リリンは驚いて振り返る。見れば暗がりの岩陰に、人影があるのが分かった。


「誰!? ……エルフ? シルヴィアの術から逃れて、あたしに気配も悟らせないなんてかなりの使い手ね」


 剣を抜いてリリンは構える。


「ははっ……そんなんじゃ、ないよ。僕は……なんの力もない、無能なエルフだ」


 ジャラッ……


 暗さに目が慣れてきたリリンは、人影がいくつもの鎖に繋がれ、聖霊獣が封印されている岩壁に固定されていることに気がついた。


「あ、あなた、なんなの?」

「僕の名前は、エルカード……君、さっきエルミーの名前を言ってたよね。……んんッ……エルミーを知っているの?」


 咳払いをしながら、エルカードと名乗ったエルフの青年はリリンに尋ねる。


「知ってるも何も、仲間よ」

「あのエルミーに……んっん……女の子の仲間が……嬉しいな。ゴホッ……ごめん、声に出して話すのが数年ぶりで、喉の調子が」


 咳を繰り返すエルカードに、とりあえず鎖で繋がれてもいるし危険はないと、リリンは剣を収めた。

 なにしろ、エルカードはどれだけの年月ここに繋がれていたのか、ただでさえ痩身のエルフが更に痩せ細って、拘束された手足は針金のようだった。

 頬はこけ、緑の髪は伸び放題。瞳だけがギョロリと光り、エルフではなく新種の亜人だと名乗られても信じられるほどだ。

 生命力はまるで感じられず、リリンがその気になったら、たとえエルカードが精霊術を使ったとしても一刀のもとに命を奪えるだろう。


「あなた、エルミーの知り合い?」

「……恋人だったよ」

「えっ」

「振られちゃったけどね」


 エルカードはもともと覇気のない表情をさらに暗くして答える。


「……ああ」


 傷つけてしまったようで、リリンは戸惑った。

 そして、かつてエルミーがほんの少しだけ話してくれた彼女の過去を思い出す。


「ま、まあ、あなたちょっと頼りがいなさそうだし。仕方ないんじゃない?」


 フォローのつもりで傷口にさらに塩を塗り込むリリン。


「……ひどいな」

「ご、ごめん。でもシロウに勝てる男なんてそういないから、気にしないで」

「シロウ? ……今、シロウって言った?」


 エルカードの表情が変わる。


「それはっ……それはシロウ・モチヅキのことかぁ!? あのっ……あの男のっ!!」


 ガチャガチャガチャン!


 鎖を鳴らして、エルカードは突然暴れ出した。

 頑丈そうな鎖が外れる気配はないが、物凄い勢いでエルカードはリリンに向かおうとし、繋がれた手足が傷ついている。


「ちょっ……な、なに、急にっ」

「答えろっ! シロウとはあの金髪の! ふざけた力を持ったアイツのことかぁっ!?」

「わかったっ、答えるから、暴れるのをやめなさいっ! あなた、手足が千切れるわよ!」


 人が変わったかのような剣幕で叫び、暴れるエルカードをリリンはなんとか落ちつかせようとする。


「そんなことはどうでもいい! 質問にっ……! ゲホッ、ゲホッ……!」


 エルカードは激しく咳き込んだ。

 強制的に喋れなくなったエルフの青年は苦しげに喘ぐ。


「ゴホッ、ゲホッ……くそっ……」

「ちょっと……」


 リリンは腰のポーチから、携帯用の水筒を取り出した。


「えっ」

「少し落ち着きなさい。ほらこれ飲んで」


 エルカードの肩に支えるように手を置いて、口元に飲み口を差し出す。


「……なんで?」

「は? なんでって、なによ」


 エルカードは呆気にとられたような顔で、リリンを見ていた。


「君は人族だろ? どうして、はぐれエルフの僕なんかに、こんな」

「あなた、はぐれエルフなの? ていうか普通のエルフか違うかなんて、区別つかないわ」

「……こんな場所に、繋がれてる時点で……ゲホッ、ゲホッ……普通は、怪しむと思うけど」

「そうなの? 知らないわ。いいから早く飲みなさいよ。ミンミンから貰った霊水だから、体力も回復すると思うから」


 ぶっきらぼうにリリンは言うと、水筒の飲み口をエルカードの口に押しつけた。

 なかば強引に飲まされるエルカード。


「……あっ……」


 霊水の力は確かで、エルカードは自身の体に僅かながら活力が戻ってきたのを感じた。


「ありがとう……ええと、リリンさん」

「どういたしまして。それで、シロウの話だっけ?」


 その名前にエルカードは顔を歪めるが、礼を言った直後の相手に怒りはぶつけにくかった。


「確かにエルミーは今、シロウ・モチヅキの仲間で、奴隷よ」

「! 奴隷ッ!? なんで!?」

「あたしも同じ」


 リリンは胸元の軽鎧に指で隙間を開けて、エルカードに奴隷紋を見せる。

 合わせて双丘の谷間も覗き見る形になったエルフの青年は、慌てて視線を逸らした。


「! ……君たち、二人とも? あのエルミーが、どうして人族の奴隷なんかに……」

「事情があるのよ。……ちなみにシロウの仲間の奴隷は、あたしとエルミーの他にあと五人いるよ」

「はあ!? なんだそれ?」

「事情があるのよ。……他人には理解できないわ」


 リリンは顔を背ける。


「……あなたは、どうしてこんなところに繋がれてるの?」


 リリンは前にエルミーから聞いた話の答え合わせをしようと、エルカードに質問した。

 エルミーから合図があるまで、どうせ暇なのだ。


「……君こそ、なぜここに来たの? 聖霊獣の封印を解くつもり?」

「先に質問したの、あたしなんだけど。霊水もあげたでしょ?」


 少しきつめにリリンが言うと、エルカードは言葉に詰まった。

 押しに弱い、頼りないエルフ。

 リリンはエルミーから聞いた通りの人物像であるエルカードに、笑ってしまいそうだった。

 だけど、ここに繋がれているということは。


「僕は……もう六年もここに繋がれているんだ。あの日から」


 エルフの青年は静かに語り始めた。


 ***


聖霊獣エル・グローリアの復活……? なんですか、それは」


 サフィーネは銃口を向けながら、シルヴィアに問いかける。

 吸血鬼はふふっと笑った。


「白々しいのじゃ、腹の探り合いはいらぬ。聡い王女たる其方が、六年前にこの森で起きた事件を知らぬはずはあるまい?」

「……確かに知識としては、知っている。けど、それを今どうして」

「だから愚昧なフリは時間の無駄じゃ。先に言わねばならぬか? 聖霊獣エル・グローリアの代名詞と呼べる戦略級大魔法、〈グロリアス・ノヴァ〉を金髪の坊やが使えること。エルミーが仲間にいること。つまり……」


 シルヴィアは面倒そうにため息を吐きながら、続ける。


「六年前の事件は妾たちが引き起こし、坊やは聖霊獣エル・グローリアから〈グロリアス・ノヴァ〉の魔術構築式スクリプトを奪った。そこまでは察しておるのじゃろ?」


 本当に、駆け引きは無駄だと言いたいのか。

 サフィーネはシルヴィアの真意を掴めない。だが今の状況に加え、ここまで明け透けに話されれば、もうシルヴィアのペースに乗るしかなかった。


「……ええ、察してる。そしてシロウがまた六年前を再現して聖霊獣エル・グローリアを蘇らせ、フォートにぶつけて魔力を消耗させようとしていることも」

「その通りじゃ。ならば其方は、妾にさっさと言うべきことがあろう?」


 微笑みながら、シルヴィアは王女に問う。

 試しているのか、とサフィーネは頭脳を高速回転させるが、そもそも選択肢は限られていた。

 もう、ストレートに交渉するしかない。


「……聖霊獣の復活を止める、交換条件は何?」

「ミンミンとルースを、シロウの坊やに返してほしいのじゃ」

「なっ……!?」


 あっさり答えたシルヴィアの言葉に、サフィーネより先にミンミンが悲鳴のような声を上げた。


「な、なんっ……なんで、ボクッ……」

「意外ね。承継図書を返せと言ってくると思ってた」


 冷や汗を流しながら、サフィーネはミンミンを庇うように前に立つ。


「おや、らしくないのう殿下。聖霊獣をぶつけ反射の魔術師を倒せば得られるものを、わざわざ要求するはずないじゃろ?」


(……ということは)


 サフィーネの言葉の真意は、ミンミンが承継図書を持っていることをシルヴィアが気づいているか、だった。

 そしてどうやら、鑑定眼でもミンミンの異空間収納の中までは覗けていないらしい。


(シルヴィアの目的は本当に、承継図書ではなく、ミンミンとルース自身……?)


「其方らにも得な取引じゃ、王女殿下よ。ミンミンとルースを返せば、妾はリリンも連れておとなしく帰ろう。坊やにはうまく話しておく。この場は見逃すということじゃ」


 チラリと振り返ると、ミンミンは泣きそうな、懇願するような顔で首を横に振っていた。


「い……いやだ……」


 小さい、悲痛な幼女の呟きを聞いて、サフィーネは即断する。


「確かに魅力的な提案ね、シルヴィア」


 無意味と分かっていながら向けていた銃口を、サフィーネは降ろす。


「流石のフォートも、災害級のドラゴンを超える力を持つ聖霊獣相手に消耗は避けられない。そこをシロウに狙われたら終わりだわ。でも、どうやってフォートにぶつける気? エル・グローリアが他者の支配を受けることはありえないわ」

「すべての手の内は明かさぬよ、殿下。妾の提案を飲むか否か。それだけじゃ。いかに?」


 サフィーネはふう、と息を吐いた。

 人を越える寿命を生きてきた吸血鬼を相手に、口先の交渉で勝ち目はない。

 それならば。


「答えは、否よ」


 ガチャッ!


「えっ?」

「ほう……」


 サフィーネが新たに銃口を向けた相手は、ミンミンだった。


「お、お姫様……?」


 自分より僅かに背の低い幼女の背後に回って、サフィーネはミンミンの小さな頭に銃を突きつける。


「……シロウはともかく。シルヴィア、貴女にとってミンミンたちは承継図書以上に価値があるということね。それなら遠慮なく、人質に取らせてもらうわ」


 そう言ってサフィーネは笑う。

 自分が汚れることを厭わない、覚悟に満ちたその笑みは、反射の魔術師ととてもよく似ていた。


 ***


「いいかげん、本当に、刻むよ? 風聖霊ジン!」

「魔旋ぇん!!」


 エルミーが使役する上位風精霊を、ルースはアックスで跳ね飛ばした。


「ああもう。さすがモチヅキ様が、作った武器。本当に、厄介」

「ちょ、そこはアタシを褒めてよ!」

「いつの間にか、餌にも逃げられてる。本当に、めんどくさい」


 エルミーはギールがいない事に気づき、ため息を吐いた。


「……ギール兄が餌? どういうこと?」


 怪訝な表情を浮かべるルースに、エルミーは少しだけ目を瞠る。


「本当に、兄妹、なの?」

「そうよ。ねえアンタたち、何を企んでるの!」

「……そう。でも仕方ないね。先に仕掛けてきたのはそっち」


 エルミーの魔力が膨れ上がった。


「べつに、あの魔術師の仲間なら、誰でもいいけど。ルースの兄妹なら、あなた人質にすれば、戻ってくる。……ルース、モチヅキ様の為、犠牲になって?」


 魔術適性は低いルース。それでも、エルミーの周りに多種多様な精霊たちが集まってきたことを察した。

 次でこの戦いは終わる。

 ルースは覚悟を決め、アックスを構えた。


「シロウ様の為に犠牲になれ、か。……昨日、仲間になったばかりだけどさ」


 アックスに力を集中させて、ルースは魔旋を生み出す。

 それは物理・魔法、精霊すらも砕く破壊の力。


「お姫さんも、皆も。アタシにレオニングの為に犠牲になれなんて、絶対に言わない! だからアタシは……こっちを信じた!」

「結局、自分が大事って、ことでしょ?」

「違う! だからこそアタシは、この身を賭けることができるんだ!」


 ルースは駆け出し、エルミーもまた精霊たちに命を下した。

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