第30話 下

名前も知らない年配の男性から

随分前に、飲み屋で聞いた話だ。


数十年前の話である。

高二だった彼ら五人は、皆バトミントン部で

夏休みに部活が無い期間に自主練をしようという話になった。

少年自然の家を自分たちで予約して

それほど多くない宿泊費を自費で支払い

三泊四日の自主合宿をすることにした。


施設についてみると、自分たち以外の利用者は居らず

グラウンドや、舗装された広い山道が周囲を囲っている

その少年自然の家の施設とその周辺は貸し切り状態だった。

五人ともまじめだったので

当たり前だが酒もお菓子も一切持ち込まずに

施設に用意された朝昼夕飯と、水筒に水道から補給する水のみで

早朝からの走り込みや、振り込み、そして練習試合をするという合宿を

淡々とこなしていき


そして、三日目の夜となった。

数日間。あまりにも真面目に過ごしてきたので

せっかくだから、何か一つふざけて、高二の夏の思い出を作ろうと

宿泊室で電気を消して、垂直に立てたライトの明かり一つで

車座で怪談話をすることにした。

十話くらいリレー形式で話した時だったか

ふと、一人の子が

「ここの施設って、一階にトイレひとつしかねぇやろ?

 夜中は出るらしいで?」

と言い出した。

確かにその施設内の一階には

和式便座のトイレの個室が、何と一つしかない。

二階には個室を幾つも持つ、広い洋式のトイレがあるのだが

なんでだろうな不思議だなと五人で話していると

「あ、その話なら、俺も飯の片付けの時に、給仕のおばちゃんから聞いたわ。

 一階にトイレ一つしかないのは"出る"からやって。

 それで、何十年か前に建物改築する時に、一階はあの狭いのしか作らんかったんやって」

「……ほんとかぁー?」

「でなぁ、おばちゃんが言うには

 下の便器の中から、出るらしいんやわ。だから、下見たらダメらしいな」

「ははっ。なら、今からそこ見に行かんか?

 ここも一階やし、肝試しにはちょうどいいやろ?一人ずつでなぁ」

「いいな。それやろうや。どうせなんも出んわ」

怪談にも退屈していた五人は、一人ずつ肝試しに行くことにして

宿泊している部屋から、すでに消灯が終わった廊下を

ライトを照らしながらずっと歩いていくと

突き当りを左に曲がった先にある扉の中にある、

その例のトイレへと向かう、というコースで静かにやりはじめた。


五人のうち四人は、まったく霊の存在や怪談など信じていなかったので

一人で長い廊下をゆっくりと歩いていき、トイレの個室を開けると

和式便器をじっと見て、そして悠々と帰ってきた。

「わざわざ下見たけど、なんも出てこねぇわ」

「なんもなかったよ」

「余裕やな」

「眠くなってきた」

などと、四人とも一切怖がらずに、宿泊室に戻ってきた。

そして最後の一人が行くときになって

「……ほんとに何にもなかったんやな?」

と彼は、他の四人に確認した。

「ないない」

「つまらんかったよ。静かなだけ」

などと彼らが言うので、ホッとした彼は

一人、ライトを照らして宿泊室から廊下へと出た。


彼は、実は怖がりだったが、ビビりと言われるのを恐れて隠していたのだ。

彼はトイレの前にたどり着いて、恐る恐る扉を開いた。

そして恐怖で下を見れずに、上、つまり天井を付近を見てしまって

次の瞬間、宿泊施設中に響くような悲鳴をあげた。

他の四人が急いで駆け付けると、彼は泡を吹いて気絶していた。

そして他の子たちも見てしまったのだ。

和式便器のある下ではなく、薄汚れた天井に張り付いて、口を歪める

巨大な蜘蛛のような女の霊を。

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