ただただ逢引は楽しいものだった

 私と幸哉さんは一応はご飯食べであり、遠くにはうちの男衆が見ていることを伝えると、幸哉さんは「わかりました」と頷く。


「きちんと見える場所にしなければなりませんね。だとしたら、ときをさんをお連れする店にも事前に芸妓を見に来てらっしゃる旨は伝えませんと」

「はい」


 これは一応孝雄の仕事だから、あとでお礼も言っておかないとな。

 私はそう納得して、幸哉さんについていった。


「それで、どちらに向かうんですか?」

「ええ。ちょうど桜鍋の店がありますから、そちらに。ときをさんは桜肉は大丈夫ですか?」

「桜ですか……」


 馬肉って前世だと食べたことない。いつも休みの日に閉店間際のタイムセールまで待って買いだめした豚コマばかり食べていたから、牛肉だってたまにお客さんの財布が緩くなったときにおごってもらったものを食べてたし。

 馬肉がおいしいってとこにも行ったことがなかったもんなあ。

 私はそう振り返りながら、「食べたことがないので、よくわかりません」と答えると、幸哉さんは「わかりました」とだけ答えた。


「それじゃあ、参りましょう」

「はい」


 そう言ってふたりで歩いて行った。

 吉原もなにも妓楼や揚屋、お茶屋みたいな芸妓遊びする場所だけではなく、普通に食事処も料亭もあるし、私たちもたまに料亭に出張に行ったりもしている。

 辿り着いた場所は、ちょうど松に区切られた場所で、置くには瓦葺屋根の風情漂う店が出てきた。

 そこの暖簾を通ってから、幸哉さんは店主の方に「外に彼女の置屋の男衆がおられますから、あまり怪しまないであげてください」とだけ言うと、私たちは通された。

 中は私たちしかおらず、青い匂いの畳は年の瀬に張り替えたばかりなのだろうと察することができた。

 私が落ち着かずに身じろぎしていると、幸哉さんは苦笑する。


「あまり緊張しないでください。この店は貸切なだけですから」

「そうなんですね。驚きました。こういう場所に入るのは初めてですから」


 こんな贅沢な体験、前世でだって初めてだし、強制的な引きこもりで学校と家とお見合いのために連れ回された場所以外ほぼ知らない登紀子だって同じだろう。

 ふと、私の中で登紀子がなにかしゃべりたそうにうずうずしていることに気が付いた。

 彼女は普段はいろんなものに怖がって出てこない癖に、幸哉さんといるときだけは表に出てこようとする。

 彼女、怖いものが多過ぎるから精神的に死んでいたのに、幸哉さんだけは彼女の怖いもの認定から除外されてるんだなあ。

 私は彼女にしゃべらせてみることにした。


「この辺り、私もあまり歩き回りませんけど……桜鍋の店が多いですね。逸話をご存じですか?」

「おや、ときをさんはこちらでなにか知りましたか?」

「いえ。乱読したくらいですが。前の年号の頃、吉原に馬に乗って遠路はるばる遊びに来た方々がおられたんですって。ここで芸妓遊びをなさったのですけど、すっからかんになってしまって、お代金が支払えなくなってしまったそうです。困り果てたお客さんたちは、横濱では牛鍋が流行っているらしいからと、自身が乗ってきた馬を捌いて鍋にして、お代金の代わりにしたそうです。そしたら、繁盛してしまい、吉原にわざわざ桜鍋だけ食べにいらっしゃる方々も増え、この辺りには桜鍋の店が増えたそうです……私も、食べるの初めてですから楽しみです」

「ああ……なるほど。この辺りの方は商売熱心で目ざとい方も多いですからね。ああ……来たようですね」


 店の店員が運んできてくれたのは、太い蝋燭の炎で温めた鍋。中はくつくつと出汁が沸いている。真ん中に盛られているのはなんだろう。味噌? 一緒のお盆には野菜と肉。

 この肉が牛だったら牛鍋なんだろうけれど、牛肉よりも赤みがかった肉だ。これが馬肉なんだろうか。


「それじゃあ、いただきましょうか」

「はい。ええっと、どうやって食べればよろしいんでしょうか?」


 すき焼きとか普通の鍋と同じでいいのかな。

 幸哉さんは普通に鍋に肉を入れる。


「普通に火が通る程度で大丈夫ですよ。そちらの器に卵を割り入れてください。それで肉を冷ましてからいただきます。野菜は、肉を全部いただいてから、その出汁で炊きます」

「わかりました」


 高級すき焼きと同じ要領なんだな。

 幸哉さんは肉がある程度火が通ったのを確認してから、真ん中の味噌を溶き、それぞれの卵の入った器に肉を入れてくれた。

 初めての馬肉。私は不思議な気分になりながら食べた。

 ……あれ、ものすっごくおいしい。

 肉とも豚とも違う甘味に、旨味……。それに味噌が入っている出汁はもっとこってりしているのかと思ったら、肉自体が味が濃いのにあっさりしているから、それと合わさっていくらでも食べられる。


「おいしいです……! 吉原を訪れた方々は、こんなにおいしいものを召し上がってたんですね」

「桜鍋の店も、値段の高い安いでずいぶんと味も変わりますが。おいしい店はとことんおいしいですよ」

「はい」


 私はおいしいおいしいと食べつつ、幸哉さんが慣れたように肉を全てさらった鍋に野菜を入れているのを眺めながら、ふと箸が止まった。

 ……こんなシーン、『華族ロマネスク』の中にもなかったっけ。

 鍋の野菜を入れていた幸哉さんが、私の箸が止まったのにきょとんとした顔をした。


「ああ、すみません。食べるのを急かし過ぎましたか? 自分がおいしくて、つい夢中で食べてしまったもので。ときをさんの食事の速さを考慮していませんでしたね」

「い、いえ……違うんです。おいしい店でしたので、私だけこんなにおいしい思いをして、罰が当たらないかと思ってしまっただけで」


 私は必死で誤魔化した。

 当然のように、私の中の登紀子からものすごい勢いで抗議が入っているのを抗議されるがままになる。

『華族ロマネスク』でこのルート以外一切プレイしなかったら幸せになれるルート、鬼龍院ルートでも、食事デートがあったのだ。

 ただただおいしいものを食べさせてもらい、鬼龍院さんから食事の面倒を見てもらうシーン。

 今思っても、あれは完全に餌付けで少しずつ少しずつ登紀子から考える力を削ぎ落とし、なにも考えない綺麗なお人形にするための第一歩だったと言っても過言ではないシーンで、全部ゲームをしたあとだったら、あのただ平和なだけのはずのシーンがあれだけおぞましいものだとは気付きもしなかった。

 幸哉さんは違う。そう登紀子が思いっきり抗議してくる気持ちはわかる。私だって信じたいよ、この人はそんな気持ちが一切ないって。

 ただ登紀子、あなたはなにもかもを中途半端にした結果、実の親から売られたでしょうが。信じていいかどうかくらい、もうちょっと見てから考えようよ。

 幸哉さんが「ときをさん?」と心配そうに言ってくるので、私は頷いた。


「鍋のおかわりいただいてもよろしいですか? あと、早乙女様ばかりにさせてしまって申し訳ございません。私もよそいますから、どうか召し上がってくださいな」

「いえ。自分も好きでやっていることですから。急に考え事されていましたが……」

「いいえ。ただの杞憂ですから」


 私はそう必死で言葉を濁して、桜鍋のおかわりもいただき、幸哉さんの器にもよそった。

 本当に、前世でも現世でも、これだけおいしい鍋を食べたのは初めてで、ふたりで鍋を完全に空にしてしまった。

 食べ終えてから、ふたりで置屋に送られるまでの間、通りを歩く。

 店には行きつけの芸妓に贈り物をするための花屋や小間物屋が並んでいる中、私はふと小間物屋のほうに目を向けた。

 綺麗な玉簪が売っていたのだ。

 それより前には簪を贈ったら求婚の意味があったはずだけれど、大正時代はどうだったかなあ。

 私は少しだけ目を留めて、すぐに視線を逸らしたものの。


「ときをさん」


 幸哉さんにふと声をかけられ、私は振り返った。幸哉さんはやはり柔和に笑っていた。


「こちらが欲しいんですか?」

「……欲しくても、付けていく場所がありませんし」

「またあなたの休みの時間を、僕にいただけませんか?」

「……え?」

「あなたが、嫌でなければです。正直に言うと、僕も迷っています」


 迷うってなにをだろう。私が目を瞬かせている中、幸哉さんは一瞬視線を伏せてから、口を開いた。


「本当だったら、あなたを帰したくはありませんが、それではここの流儀に合いませんね? だとしたら、正攻法であなたをもらい受けなければなりません。あなたのお母さんに許可をいただけるくらいに、これからもあなたの時間を分けてくださいませんか?」


 一応、身請けっていうのは、売られた人間の借金を肩代わりできるかどうか以外に、また身請けされた芸妓が売り飛ばさないかというのを見て、問題ないと判断された相手でなければ許可が降りない。

 札束で叩いてなにもかも解決するって方法は、下品だとされて忌み嫌われている。

 お母さんを口説くというのは、紛れもない身請けの正攻法であった。

 ……この人は、鬼龍院さんとは違う。あの人は登紀子以外には一切の情を向けないけれど、この人は……。

 幸哉さんは小間物屋から、玉簪を買うと、それを包んで差し出してくれた。


「今あなたに差し出せるのは、本と時間とこれだけですが。いずれあなたをいただきます」

「……幸哉さん。お待ちしています」


 そのぽろりと出た言葉は、私のものか登紀子のものかわからなかった。

 ただ、一瞬でも疑った自分を責め、この人の優しさに、胸が痛くて仕方がなかった。

 外は残酷でひどい人も多いけれど、こんな優しい人もいるんじゃないかと。

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