文学少女は芸妓になった

 幸哉さんに誘われた次の日。

 私が午前の稽古から帰ったら、お母さんから呼び出しを受けた。


「ときを。早乙女様が、あんたとご飯食べに行きたいんですって」

「まあ……行ってもいいんですか?」

「あの人には吉原の人間は皆感謝してるからねえ……最近、着物問屋も撤退が多くって困ってたところを、いろいろと立て直してくれたから」

「ええ……?」

「ほら、最近は銘仙とか安い着物が流行り出したけど、そのおかげで一点物の反物をつくっているところが店を畳み出してねえ……あの人がその手の店を買い集めて職人を守ってくれたから……一時期は着物の値が高騰し過ぎて、一人前になったばかりの芸妓たちが着物を用意するのにすら困ってる有様だったから」

「まあ……」


 そういえば。

 大正時代というと、ハイカラな和洋折衷の銘仙柄が人気を博した。最大の特徴は、反物の機械印刷が普及したために、手頃な値段で買えるという安さだった。

 でも花街の芸妓が、さすがに銘仙の着物は着られない……可愛いことは可愛かったんだけれど、座敷で着るには安く見えてしまう。そのせいで着物職人の業界にダメージを与えてしまった。安い着物によって高い着物が駆逐されていく有様は、前世における百均が文具屋や小間物屋を駆逐していく有様によく似ている。

 この辺り、この世界では立て直しを行ったのが幸哉さんらしい。聞いている限りじゃ、後ろ暗いところもないみたいだし、幸哉さんは『華族ロマネスク』のシナリオヤンデレ補正には巻き込まれてないみたい。よかった……。

 私はほっとしつつ、お母さんに尋ねた。


「私は行ってもかまわないと思っていますけど、いいですか?」

「ああ、そうだね。行っておいで。一応見張りで孝雄を付けておくけど、いいかい?」

「はい、それでかまいません」


 話を終えてから、私はそわそわと逢引の準備をしはじめた。

 派手過ぎる仕事用の着物をプライベートで着るのは躊躇われるけれど、普段着ているような綿の綿入れで出かけるようなお愛想なしも困る。

 さんざん悩んだ末に、藍色の袷を着て太鼓帯に結び、その上に幸哉さんがくれた長羽織を着て出かけることにした。

 化粧はいつものようにシンプルに行いつつも、迷った末に口にはいつもよりも赤い紅を差した。

 準備が済んで下に降りたら、孝雄としおんが玄関にいた。


「ああ、準備は済んだかい?」

「すごいわね、ときをさん。逢引なんて!」


 孝雄は仕事だからいつもの調子だけれど、しおんは私以上に浮かれている。それに私はぶんぶんと首を振った。


「いえ、これはご飯食べだから」

「でも、早乙女様と悪い気はしないんでしょう?」


 それには黙秘した。孝雄はポンとしおんの肩に手を置いて「あんまりからかってやるな」と注意をしてから、私と共に歩いて行った。


「まあ、お母さんから言われたから見といてやるから」

「ありがとう、孝雄」

「不審者が多くって困ってるから、正直あんまり人手を割いたりできなくて悪いな」

「ああ……そのことだけれど」


 私は孝雄に振り返ると、孝雄は不思議そうにこちらを見た。


「……私は多分大丈夫だとは思うけれど、ご飯食べの間、早乙女様を見ておいてくれる? 私には嫌がらせしないと思うけど、早乙女様がひどい目に遭いそうで、怖い……」

「なんだ、あんた不審者に心当たりがあるのかい?」

「……以前にね、私宛に荷物が届いたの。怖くて中身は見ていないけれど……その人本人ではないけど、その人の息のかかった人じゃないかと思うのよ。もちろん、私の勘なんだけれど」


 孝雄はそれに、顎に手を当てて考えてから、口を開いた。


「このこと、お母さんは知ってるのか?」

「私宛の荷物のことは知ってるけど、あの人の雇った人がうろついているところまでは知らないと思う……あの人、私が売られる前からいたから」

「あんた、相当まずいのに目を付けられたな」


 私だってそう思うよ!

 登紀子だってそう思ってると思うよ! でもなんかいるんだからしょうがないじゃない! でもこっちの判断ミスで死傷者が出たら困るから、言ってるんですけど。

 しばらく孝雄は顎に手を当ててから、「はあ」と溜息をついた。


「とりあえず、こっちもあんたのご飯食べ見ておくから。終わったらさっさと帰るぞ。あっちもわざわざ吉原全体を敵にゃ回さねえだろ」

「わからない……あの人がどれだけの力を持ってるのか」

「もう俺ぁ聞かねえからな、それ以上は。俺の手に余るし」

「あんたになんかあったら、私だってしおんに申し訳ないからね!? なるべく危なくないようにはして」

「……しおんはこれにゃ関係ねえだろ。でもわかった」


 しおんの名前を挙げた途端に目尻に赤みを帯びさせつつも、孝雄は了承してくれた。

 私は待ち合わせの場所に向かうと、既にスーツにインパネスコート、襟巻きをした幸哉さんが立って白い息を吐いていた。

 私は孝雄にひと声「行ってくるね」と言ってから、幸哉さんの元へと駆けていった。


「早乙女様、お待ちしていましたか?」


 こちらに気付いた幸哉さんは、私の格好を見た途端に形相を崩した。


「……よかった。あなたに贈ったものがよく似合っていて。寒くありませんか?」

「いいえ。おかげさまでありがとうございます。とても温かいです」

「あのう、食事に向かう前に、ひとつだけ贈り物がしたいのですが」

「贈り物……ですか?」


 さすがにこんなところで着物を渡す訳もないし、なんだろう。そう思っていたら、幸哉さんはインパネスコートの中に手を突っ込んで、ひとつ取り出した。

 それは一冊の本だった。


「あ……『佐久間公照:蛍火』……本、出版できたんですね?」

「あなただったら、喜ぶと思っていました」

「これをわざわざ私に? いいんですか?」

「きっと彼も喜ぶと思いますよ」

「よかった……」


 私は思わず抱き締めていた。

 ちなみに佐久間さんは、本来登紀子の実家の柳田家に書生として住んでいた、文士見習いだった。『華族ロマネスク』の攻略対象であり、登紀子のバッドエンド後で一番この人大丈夫かと気を揉んでいた人でもある。

 住み込みで小説を書いていた佐久間さんは、とにかく女学生の登紀子にも親切であり、彼女の家が借金まみれになり彼女の婚約が破談したときも、いの一番に心配してくれた善人だった……まあ、この話が善人に優しい訳はなくて。

 とにかく、攻略対象で一番死んだ。彼のエンディングは本当に存在するのかというくらいに、よく死んだ。

 鬼龍院さんの手下に殺されたり、いきなり事故で死んだりはまだいい。柳田家の付け火で彼女が宝物にしている本が燃えたとき、止める登紀子を振りほどいて取りに戻って焼け死んだり、借金取りから登紀子を守って撲殺されたり……なんでこの人だけこんなに死亡エンドのバリエーションが豊かなんだと目を剥いた。

 そんな善人な佐久間さんのルートに入っても、この人の善人っぷりは止まらなかった。世の中の悪意に当たってすっかりと病んでしまった登紀子は、なにかあるたびに、すぐに自殺しようとする。彼女が外に出られなくなった中、彼は毎日のように外の様子を物語にしたためて読んでくれ、彼女が自殺しようとするたびに止めてくれ。

 ……とうとう何度も何度も自殺しようとする彼女を止めようと縛ったことで、佐久間さんは緊縛趣味に目覚めてしまう。

 かくしてふたりは、薄暗い部屋の中、ほのかな喜びのみを生きがいとして、小さな幸せを噛み締めていく……。

 いや、途中までよかったのに、それはおかしいだろ!?

 途中まで泣きながらゲームをしていた私は、当然ながら真っ先に突っ込んだ。

 こんな心優しい善人までヤンデレというかドSというか、そんな得体の知れないものに堕とすのなんで!? ねえ、なんで!?

 正直、借金のせいで登紀子が売られていった中で、佐久間さんのパトロンをあの父がしてくれるとはとてもじゃないけど思えないから、あの人ひとりで放置されて小説書くのを辞めてしまったんじゃと心配していたから、無事にデビューが決まってよかったとひとまずほっとした。

 多分この人、緊縛の才能に目覚めるよりも、小説の才能開花させたほうが幸せだと思うのよ。

 私が本を大事に抱えて、何度も何度も幸哉さんに「ありがとうございます」とお礼と言っていたら、とうとう幸哉さんは声を上げて笑いはじめてしまった。


「あはははは……本当に、相変わらずですね。登紀子さんは」


 本名で呼ばれてしまい、私はきょとんと彼を見上げる。幸哉さんの瞳は優しさを湛えたままだ。


「あなたは、本当に昔から本が好きで、本のことになったら夢中になっていろんなものを忘れてしまうところがありましたから」

「……そうでしたか?」

「ええ。僕はそんなあなたといつもいましたから」


 ……そうなんだよな。この辺りはゲームの本編ではほとんど語られていない。私だって前世の記憶を取り戻さなかったら、登紀子の過去のことについて想いを馳せることなんてなかっただろう。

 彼女はまだ幸せだった頃、本の虫だった。

 小説を低俗趣味と思っている父の目を盗んでは幸哉さんから本をもらい、必死に説得して佐久間さんを家に書生として招くくらいに、小説が好きで好きでたまらない文学少女だった。

 それが今、こうして文学少女とはかけ離れた芸妓として働いているんだから、因果なものだ。

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