気付けば誰かに付けられた

 その日は幸哉さんとしゃべることなく、どうにか他のお客さんとおしゃべりやお酌で時間を繋ぎ、最初の座敷の仕事を無事に終えた。

 姉さんは他の座敷の仕事があるからと、男衆たちの人力車に送られてそのまま別の旅館に行ったけれど、私たちはそのまま孝雄の引く人力車に乗って置屋に帰っていく。


「初めてだけれど、本当に緊張したわ……でもときをさん立派だったわね? あんなに大勢のお客様を相手にして、物怖じせずにおしゃべりやお酌をして」

「そう? あそこのお客様は皆紳士的だったから、やりやすかったけれど」


 私がバイトできる程度のキャバクラは、とにかくお金払えば女の子にエッチなことができると思い込んでいる人が多過ぎて、何度控え室で悪口大会をしたかわからない。吉原ももっと安い料亭や旅館だったら柄の悪い客がいたんだろうけれど、少なくとも今日はいい具合の人たちしかいなかった。それは見習い中の芸妓が逃げ出さないようにという対策もあるんだろうから、明日もいい客に当たるかはわからない。

 私の答えに、孝雄は「まあ、そうでしょうねえ」と言った。


「今日の客層は比較的よかったんじゃないか。あそこらへんは士族が商売をはじめたってとこの集まりだったんで、遊び慣れてるんだよ。遊び慣れてない連中は、金遣いはいいものの、芸妓と娼妓の区別もつきやしねえから」


 ちなみに芸妓は私たちみたいに芸とお酒のサービスをするキャバクラ嬢みたいな人のことで、娼妓はエッチなサービスを提供している人たちのことだ。女郎に似ているけれど、置屋にいる人たちは女郎呼ばわりされると大概怒る。

 芸妓と娼妓は同一とか、娼妓と女郎を混ぜるなとか、いろーんな話があるけれど、一応『華族ロマネスク』ではばっくりと別れているらしい。ゲーム内辞書にそう書いてある。

 しおんは「そうなんですね」とにこやかに孝雄に視線を送りつつも「そういえば」と私のほうに振り返る。


「ときをさんにひと目惚れされてたお客様がいらっしゃったけど、さすがだなあと思ったの。一見さんお断りな見世に来られるんだから、もしかしたら身請けをしてくれるかも……」

「ええ? そんな人いたかしら?」


 私は必死にとぼける。

 ……幸哉さんが私を芸披露中にガン見していたことだって、廊下を出て私を追いかけたことだって見ていただろうから、もろにばれてるんだろうけれど、こっちだって幸哉さんを巻き込みたくない。

 そう思っていても、しおんは「ええ?」とおっとりと笑う。


「いたわ。士族のお客さん。一番若かった方。一度ときをさんがお酌なさってたもの。皆が姉さんに夢中な中、あの人だけずっとときをさんを気にしてたから」

「まあ……たしかにときをだったら、もしかしたら身請けされるかもしれないけどなあ」

「孝雄さんもそう思ってたのね。あたしもよ」

「ちょっとしおんは褒め過ぎだし、孝雄もなにを言ってるの?」


 私はどうにか話題を変えたくても、ふたりとも打ち合わせしてんのかというくらいにずっと突っついてくる。

 しおんは目をきらきらとさせ、孝雄はぶっきらぼうに。相性がよ過ぎるから、やっぱり君らは付き合えばいいと思うけれど、男衆が芸妓に手を出すのは禁じ手だからなあ……。


「だってときをさん綺麗だもの。化粧薄くっても座っているだけで様になっていたし。一番綺麗なのは姉さんだけれど、その内誰もが気付くわ」

「それは……」


 褒め過ぎ……ではないところが憎いところだ。

『華族ロマネスク』で、どうしてこれだけヤンデレ蟻地獄になり、登紀子を人形扱いして彼女の尊厳陵辱が平然と行われ、私も必死に逃げ回らないといけなくなったかというと。

 登紀子が綺麗過ぎるのが原因で、次から次へと恋煩いを発生させて、ヤンデレ蟻地獄を形成させてしまったからだ。そりゃ借金で首が回らなくなったら、娘をアカン男に嫁がせようとしたり、売りに出したりするはずなんだ、登紀子のクソ親父も。

 本当に、幸哉さんだけだったんだよね。周りが勝手に狂っていく中で、狂うことなく登紀子の世間知らずで大人しい性分も、綺麗なだけで考えが足りない彼女を根気強く物事教えてくれたのも……彼女をまともに人間扱いしてくれたのも。

 ……いけないいけない。あの人のことは、もう蓋するんだから。

 私が言葉を詰まらせていると、「さて、着いたから降りろ降りろ」と孝雄は人力車を停めて、私たちを降ろしてくれる。


「ありがとう、孝雄さん送ってくれて」

「ああ……それじゃあ俺は他の姉さんたちを迎えに行くから。今日は初座敷だったからこれくらいで済んだが、明日からはもっと忙しくなるから、あんたたちも覚悟しておけよ」

「おやすみなさい」

「おやすみぃ」


 そのまま孝雄は人力車を走らせて、明かりの灯った道を駆け抜けていった。

 私たちも早く寝に行こう。

 化粧を落とし、襦袢姿で眠ろうとするけれど、なかなか寝付けない。幸哉さんに会えたことが嬉しかったのと、幸哉さんに会えたということは、間違いなく他の攻略対象たちも動いているという不安が渦巻いて、なかなか眠りにつけない。

 明日も稽古をしてから姉さんたちについて座敷に上がるんだから、眠らないといけないのに。羊を数えるべきかと考えている中。

 変わった煙草の匂いがすることに気が付いた。


「……ええ?」


 私は思わず目を開く。

 今日のお客さんは煙草も煙管も嗜んでいなかった。だとしたら、どこから?

 私は不安になり、窓を細く開ける。

 通りはそろそろ帰る客や、宿に泊まる客、置屋に送られていく芸妓たちしか歩いていない。これだけ歩いていたら、誰かひとり煙草を嗜んでいてもおかしくはないけれど。私は考え過ぎかと窓を閉めて寝ようとしたけれど。

 紫煙の煙が、外の明かりに照らされて立ち上っているのが見えた。

 途端に、私は心臓が跳ねて、大きな音を立てて窓を閉めてしまった。


「ちょっと……なに?」


 今日は非番の姉さんの苛ついた声が響き、私は「すみませんっ、虫を潰しました!」と謝った。姉さんはそのまま納得したように窓を背に眠ってしまい、他の芸妓たちも雑魚寝していたけれど。

 私は心臓が痛くなるのを堪えながら布団に潜り込むと、なんとか寝よう寝ようと目を瞑って、なにも考えないようにと務めていた。

 ……煙草が好きな攻略対象が、そういえばひとりいたのだ。

 まさか……でも。

 考えたくないと思っても、どうしても悪い方に悪い方にと意識が集中してしまう。

 私が意識を飛ばして、一瞬だけでも眠れたのは、窓の外から白々と夜明けを告げる朝日が降り注いできた頃だった。


****


 マッチを擦って、煙草に火を点ける。

 長いことしていた仕事がひと区切りついたのだ。仕事明けの紫煙の美味さが五臓六腑に染み渡る。


「この辺りで煙草を擦ると嫌がられますよ。着物に匂いが移るのを嫌がる芸妓は多いですから」

「いやね、その嫌がる顔が見たくなるんですよ、ときどき」

「女性はそういうのを嫌う方、多いですよ」

「あはははは……言いますねえ、早乙女さんも。さて。お会いできましたか? お探しの方に」


 俺がそう尋ねると、依頼者は顔を赤らめて頷いた。

 育ちがいいんだろう。ずいぶんとまあ、人のよさそうな顔だ。吉原に売り飛ばされた元婚約者を探しているっていう、お涙頂戴の話には絶対に裏があるだろうと思っていたのに、この御人と来たら、この界隈にいるにしては綺麗過ぎるくらいに裏ってもんがない。

 まあ、金払いもいいし、こちらが催促すればほいほい追加料金まで払ってくれたんだから、こちらも一件一件どうにか聞き込みをして仕事をこなしてみせましたけど。

 ただ、現状があまりよろしくないことは口を閉ざしておいた。

 これは依頼者からの依頼には入っていない。


「そりゃよかったです。ただ、探し出すまでが俺の仕事で、連れさらうなり、身請けするなりは、そちらが頑張ってくださいよ」

「まだそこまで無理強いはできませんけど……頑張ります。本当にありがとうございます、服部さん」


 そう言って、お礼を述べてくるんだ。

 この御人、その人のよさで馬鹿を見なければいいが。

 それにしても、この人の元婚約者と来たら、あまりにも顔が整っていた。これはたしかにどこぞの成金が狙っても仕方がない。

 成金が金に物を言わせて、たったひとりの芸妓見習いを探しはじめてからというもの、吉原は警戒態勢が働いて、そのとばっちりで依頼にも手間取った。

 あの綺麗な人、逃げ切れるといいがねえ。

 あと、顔を遠くから拝むくらいならば、吉原の男衆から睨まれることもないだろうと高を括る。こちらもあの成金を敵に回す趣味はない。

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